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一週遅れの映画評:『名探偵コナン 緋色の弾丸』撃ち抜くためのシステムを。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『名探偵コナン 緋色の弾丸』です。

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 いや、これはなかなか恐ろしい作品ですよ。これが(今回は1年延期になったとはいえ)毎年1本は劇場版として作られて、これですでに23作目という分厚さというか堆積みたいなものの質量でブン殴ってくる感じ。これが何というか「普通」みたいな顔をして作られ続けていることに若干の恐怖を覚えたりしています。
 
 というのも私は『名探偵コナン』って作品をほとんど履修していない、それこそ気まぐれに数巻原作を読んだりアニメを何話か見てる程度で一応は新一=コナンと灰原と元太?とあと一緒にガキが2人とあと蘭ねぇちゃんと小五郎ぐらいしかわかんない。ああ、あと何年か前に「(興行収入)100の男、になりそう」とか言ってちょっと話題になってたシャアの声のヤツがあか、あか、赤井?だっけ?程度の知識しか無いわけですよ。
 その知識もほとんど二次創作経由で手に入れたものってなので大抵歪んでるっていうね、なんだよガキ2人って、もっと言い様あるだろ。
 
 だから映画はじまって赤井の血縁が次々に「当然ご存じでしょうけど」って感じで次々出てきたときには、「え?お?そういう横の広がりしてんの?このキャラ」って感じでちょっと面食らったのと、でもそこに対してちゃんと必要最低限の情報はブチ込んで「ほー、あなたが彼のお母さんで、しかもコナンと同じように子供の格好になってると。やたら咳き込んでなんか体ヤバいんスね」というのが30秒くらいでわかるようになっていて、初見にも親切設計……いやね、こうガワは、っていうと自分が普段見てるもの関連分野がバレる気がするんだけど、表向きはキッズ向けではあるわけですよ『コナン』は。だからメインに想定してる視聴者ってある程度の年数で代替わりしていくことは織り込み済みで、だから私と同じようにね、これが初めてのコナン映画だって子供も当然たくさんいるわけで。ほら私も5歳児だから。だからそういう一見さんにも優しい作りになっていて、そういう部分には非常に好感を覚えましたね。
 
 ただそうは言っても23作目、というかそれは映画だけのカウントで原作なんてえーっともう94年が連載開始だから27年やってるわけですよ。その中で作り上げられてきたキャラクター同士の関係って基本的には不可逆なもので……例えば「過去編」みたいなやつでも、将来の姿が決まっている以上どうしたって決まった未来への道筋って意味ではやっぱ不可逆なものではあるわけ。だから27年間で作り上げてきた関係性の構造みたいなのが、かなり強固に作り上げられているわけなのね。
 
 だからキャラAがこういう行動をしますよー、ってなったとき「じゃあそれと関係の深いBはこう動くよね」「そうなるとBの敵対者CとライバルDはこう立ち回る」「そんでAとDの関係性があって、それを知るEはこうなるよなぁ」といった感じでもう連鎖的に物語が動いていく
 かつ作品として「このキャラを出すならこの描写は外せないよね」って部分は絶対あって、水戸黄門出てきたらやっぱ印籠は出して欲しいじゃん?それが劇場版って年に一度のお祭りならなおのことだと思うんです。
 
 で『映画名探偵コナン』はなにが恐ろしいって、もうね本当にそれだけで出来てる。初見でもわかるキャラ紹介→今回の変数(事件)→それを受けて動くコナン→以下、玉突き状にキャラクターたちが動き→期待されてる行動があり(「よ!中村屋!」的な)→ついでに大破壊と爆発ノルマをこなして→ちょっとビターな感じを残しつつ事件解決。これを組み込んだら110分になりました、ヨシ!って感じですげーシステマティックなの
 これってめちゃくちゃ強くて、時事っぽい事件をいっこ投げ込んで参戦キャラクターを決めたら基本形が出来上がって、それで見てる人は大体満足するってもう長寿作品として無敵じゃん。それが「恐ろしい」って感想になるわけですよ。たぶん毎年同じキャラクターを使って(ここらへんプリキュアを除外するって意味ね)映画を1作やってるのって、まぁ『ドラえもん』『しんちゃん』そして『コナン』みたいなとこあって、そのなかでテレビ版とか原作で(特に原作がまだ連載中って点を含めて)どんどん新キャラクターが投入されてるのは実質『コナン』だけって考えると、どんどんその「お決まりの展開の連続でエモさと満足度を稼げる」場面を増やしていけるのはストロングポイントとして唯一無二なわけですよね。
 
 だからコナンの映画って「初めてにも優しい、ファンには嬉しい」ものを次々に作っていける体制が整っていて、いや凄いよね。この構造が当たり前みたいになるまで育った『名探偵コナン』というIPコンテンツが凄いとは思いました。
 
 まぁ「とは」なんですけど。
 
 そんな作りだから話としては雑っていうか、こなすべきチェックポイントを消化していったらちゃんと話やる暇ないよねぇ……思ったかな。そういうシステムに圧倒はされたけどストーリーとしての見所は無いし、何というか「キャラクター同士の掛け合い」を見るための映画であって、お話を楽しむための作品ではないかな。肯定的な表現をするなら(これは完全に好意を持った表現ですよ、本当に)「公式二次創作」って言うのが正しい気がする。
 それが悪いかっていうと、長寿コンテンツであり昨今の作品消費の傾向を考えれば正しいわけだから、それで良いと思います。それが楽しい!って人はいっぱいいるし、いまその欲望に応えることは意味ある作品作りの姿勢だから、手放しに、とは言えないけど「素晴らしいですね」とは言う。
 でも私はもういいかな。今度もし私が『名探偵コナン』にハマることがあったら、次回作は絶対見に行くけど、いまの距離感のままだったら鑑賞候補からは外すと思う。これだけ大きくて安定して楽しめる要素がある作品を、そうとしか思えないのは絶対に損だとは思うけどね。
 
 
 
 
 
 でも最後に無理やり車を爆発炎上させたのは「そうまでして爆発描写ノルマをこなさないとダメなの!?」って思った。もういいだろ、そこは。

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 次回は『るろうに剣心 最終章 The Final』評を予定しております。

 今回の映画評はいつもと違う形式で話したため「これを仮に一人で話していたらどうなったか?」という考えで大幅に編集・修正・加筆をしたものになります。

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