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一週遅れの映画評:『お母さんが一緒』それは、あまりにも誠実な一夜。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かして配信で喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『お母さんが一緒』です。

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 ときたま「めちゃくちゃ面白かったんだけど、何が面白かったか尋ねられると返答に困る」という作品に出会うことがあって、いや、ここには「この私がだぞ!」という嫌らしい自負もあるのですがw そういった点でこの『お母さんが一緒』は完全にそういう映画でした。

 考えを整理するため、ざっくりとしたあらすじを言うと。
 39歳、36歳、29歳の三姉妹。彼女たちは母親の誕生日プレゼントとして、温泉旅館での一泊旅行を行う。これだけだと仲良し家族旅行に聞こえるけど、三人とも母親のことが苦手で、しかも長女と次女の関係には結構な険悪さがある
当然、この4人がずっと一緒にいる旅行でトラブルが起きないはずもない。そんな中、末っ子の三女がサプライズで結婚発表をしようと、彼氏を旅行に合流させようとする。彼氏の存在すら知らず寝耳に水の長女&次女は、ただでさえ不穏な雰囲気の中、パニックに叩き込まれる……というお話なのね。

 場面はほとんど旅館の一室(ちょっことレストランと露天風呂が出てくるくらい)で繰り広げられる密室劇で、しかもこの母親は椅子に座っている体の一部が映るだけで顔も声も一切出てこない。映画と言うより舞台が念頭に、それもあまり予算がない感じがあるのかな? という印象を受けるタイプなんですよね……ていうか元は演劇か。
 しかも8割方、この三姉妹がギャーギャー騒いでるっていう。ずっとお互いに愚痴や嫌味を言い合い、延々とギスギス空間が続いていくのの何が面白いかって言うと……なんなんだろうなぁ。だけど三姉妹とも母親について「あの人はずっとネガティブな事しか言わない!」という問題点を共有していて、特に長女は顕著にずっと母の行動を愚痴ってるわけよ。なのに旅館の部屋に入った瞬間、長女は「カビ臭い」とか、わざわざ畳にベターッと顔を押し付けて「畳から変な臭いがする!」って言い出したり。本人が非難している母親と変わらないことをやってるんですよ。
 これを単純に血統の話にしていいのか、という問題があって。長女のやってることは母親と変わらない、血って怖いわねぇ……で済めば話は簡単なんですよ。だけどこの長女は幼い頃から母親に「勉強して良い学校に行って、立派な社会人として自立しなさい」って言われ続けていて、それに対して素直に言うことを聞いていたのね。それ自体は別に恥じることでは無いんだけど、それは同時に「母親からの影響を多大に受けている」ことにもなるわけ。
つまり彼女の性質は血によって育まれたものではなく、家族という共同体という閉じた環境で指針となる生き方が「それ」しかなかったことによるものだと描かれているのね。

 それに対して次女は、まぁここはかなりステレオタイプなんだけど「学業に秀でていた姉と比べられることで、違う生き方を選ぶことになってしまった」という性格になってるんですよ。だから姉よりも自由奔放に生きている、ように見えて次女は次女であらゆることに不満を見出す母親と、その性質を模倣している姉に対抗するため、結局同じような「自分の不満に対して敏感な」反応を返してしまうのね。
それに加えて、子どもの頃から「お姉ちゃんより可愛い」と言われて育ったことから、「女としては私の方が幸せに生きている!」というマウントを取ろうとしている。ここで長女は「あんたばっか可愛いって言われてた!」という不満をつねに燻らせえいるわけですよ。
 ここで「単純な言い争いなら長女に若干の分があり」つつ、「だからこそ覆せない”可愛い”というコンプレックスを次女は的確に突いてくる」という、もうどうやったってケンカが激化する要素しかないっていう関係なわけ。

 で、三女は。あらすじで説明したように長女とは10歳、次女とも7歳差で年齢としてはかなり離れているのね。だから長女は三女をすごく「幼い子ども」として扱う。たぶんちょっとした雑談で口にしただけの「おいしそうなお菓子」を家族旅行にわざわざ持参して、それで機嫌とろうとしてたり。一方で次女は次女で「年が近い私が一番の理解者」という感じで居続けるの。
でも言うたて三女は29歳なわけですよ。長女にしてみれば10歳のときに生まれた赤ちゃんで、ずっとそのイメージがあって。下手すりゃまだ小学生とか中学生ぐらいだと勘違いしてるような対応をしてしまうわけ、次女もそれは変わらない。
 にも関わらず家族内ので多数決としては「ひとり」としてカウントしてるから、めちゃくちゃ子ども騙しみたいな手法で三女を取り込もうとしてくる。三女自体はそのことに少し辟易はしてるんだけど、ずっとそういう環境で過ごしていたから「お姉ちゃんたちが私に甘いのは当たり前」というかそれが「甘い」ことすらイマイチ理解していないのね。

 長女は母親に素直に従ってきて、次女はコンプレックスとマウンティングに明け暮れ、三女は幼いままでいることを求められている
 こうやって均してみると、三姉妹とも成熟できていない……わけでもないと思うんですよ。それぞれにちゃんと社会生活は送っているし、三女はちゃんとお付き合いしてる男性がいて結婚まで考えている。だけど家族といるときだけは、子どもの時にあった関係性を維持したままになってしまう。
 この映画のタイトルって明らかにEテレの『おかあさんといっしょ』をパロディしているわけだけど、こうやって考えてみると『お母さんが一緒』にいる場面、つまり家族だけで集まってるときだとまるで『おかあさんといっしょ』を見ていた時代にまで引き戻されてしまう。というそういった意味が含まれていて、めちゃくちゃ良いタイトルだと思うんですよね。

 そしてお互いに重箱の角を突きまくる姉妹関係の中に投げ込まれたのが三女の彼氏で。コイツがねぇ、長女次女のネガティブ発言がまったく通用しない。度量が大きいとかじゃあなくて、普通に無神経なだけって言う「こっちはこっちでどうなのよ」という問題を抱えてはいる。
 それでね奇妙なことに、様々なトラブルの結果「今回の結婚発表は無し!」って話になって、母親と彼氏の初対面は別の機会に持ち越しになるんですけど、そう決定した翌日、あれだけ「ネガティブ発言しかしない」って姉妹から言われていた母親が「いい温泉だったわね」という、長女からして「あの人がそういうことを言うの、初めて聞いた!」と驚くようなポジティブ発言が出てくるの。
 これがねぇ、たぶん本当にたまたま母親のテンションが高かった、たぶんこの一瞬だけのものだろうことは簡単に想像できるんですけど。それでも「家族という蠱毒めいた関係に、外から全然違う性質ものが入ってくることで何らかの良い作用があるのかも……?」と思わせたところで話は終わるんですよ。

 家族というか血によって作られた共同体っていうものの異常さ、お互いに憎しみ合っているレベルでも、それでも感情とは別の共同体をまとめる理由があるからそのまとまりは非常に解体しづらく。だけどそうやって解体できないからこそ、思いもよらないステキな瞬間が――それは本当に「瞬間」でしかないのだけど――が訪れることを描いていて。
 なんかねぇ、すごく真っ当に、綺麗事ではない「家族ってそういう良いこともあるんじゃね?」っていうメッセージが込められている作品で。それがハチャメチャな姉妹ケンカの果てに生まれるのが、すごく楽しい気分にさせられる映画でした。

 決して「家族って素晴らしい」なんて思える内容じゃないけど、それでも続けていかざるえない家族という共同体にいることで「全部が全部、悪いわけじゃない」という説得力をひねり出してくる。そうね、誠実な。家族というのものに対してすごく誠実な作品だったと思います。

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 次回は『あのコはだぁれ?』評を予定しております。

 この話をした配信はこちらの15分ぐらいからです。


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