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一週遅れの映画評:『ゴールデンカムイ』再現性と無責任さについて。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かして配信で喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『ゴールデンカムイ』です。

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 今週っていうか先週か。新作映画が妙に少なくて、いやね『哀れなるものたち』の先行上映に行くって手もあったんだけど、この映画評は「新作公開されたものを、その翌週にネタバレ一切躊躇なくやる」って方針だから、先行上映は基本的に取り上げられないんですよね……さすがに先行上映で見たのをネタバレ上等で話すのは「ネタバレ容認派」の私でもさすがに思いとどまるわけですよ。
 ということで選択の余地なく今回は『ゴールデンカムイ』なんです。正直に言うとあんま惹かれてなかったんですよね……で、見た結果どうだったかって言うと、面白かった。面白かったんです、ですけどぉ……という。
 いやぁ、正直この方向で話を今日するのは凄く悩んだ、というか今も迷ってるんですよね。どうしようかな……。
 
 とりあえず全然関係ない話から入るかしら、ね。なんかね、劇場に結構な数のお客さんが入ってて。
私はいつも席を「最奥列の左端」にしてるんです、理由は2つあってスクリーンの左側、つまり下手ですよね。批評ですよーって視点で見てる関係上、やっぱり作品に対して入れ込みすぎない距離を確保して置きたいわけです。
それはずっと冷淡に観てるってことじゃなくて、もちろん夢中になってる部分もあるけど、それと同時に気持ちを落ち着けて鑑賞したい。だからこう、ほとんどおまじないみたいなものだけど作品の中で否定されるものやネガティブな事象が置かれやすいと言われる下手側に座りたい。
あとはもっと単純に「なるべく同じ席で見る方が、他の映画評と条件が揃えやすいから」というめちゃくちゃ物理的な話なんですけど。
 ただ今回は席が埋まってて、いつもあんま座んない場所だったんですが。ここがなんか異常に隙間風が吹いてきてですね、まぁ換気という意味ではね、安心だったんですけどwちょっと信じらんないぐらい寒くて。ほら『ゴールデンカムイ』って冬の北海道が舞台だから、こう「あれ? ここって4D上映だったっけ?」って感じで没入感はありましたね。
 
 いや実際のロケ地がどこは知らないですけど、めちゃくちゃ寒そう。特に手指ですよ、手指。たぶん冬の北海道で素手のままライフル構え続けたら凍傷になる気がするんですが、実際に画面で映る指が死ぬほど冷たそうで凄いんですよね。
 そういった点も含めて原作で描こうとしていることの再現度が非常に高い。特に衣装の汚れで表現しているグラデーションがとても良くてですね。日露戦争の回想シーンでは、杉元の格好はめちゃくちゃ汚いわけですよ、一方で作中前半の北海道シーンではそこそこキレイな服になっている。だけどですよ、話が進むに従ってどんどん薄汚れていき最終的には日露戦争回想シーンと遜色ないくらいのウェザリングが施された状態になる。
 日露戦争での戦場が地獄のようだったという回想から、服がキレイになることで「ここはそういった地獄からは遠い場所」というのを(雪の白さも相まって)伝えている。だけど金塊を巡る争いに参加し、飲み込まれていくことで段々と「あのときの地獄」と変わらない場所になっていくことを示しているわけじゃあないですか。
 個人的にはアシ(リ)パさんはもっと「臭そう」な方が興奮するんですがwどんどんと汚れて日露戦争のときと同じ「地獄」へ近づいていく杉元に対し、白を基調としたアシ(リ)パさんの「人を殺さない」という姿勢が汚れないまま隣に立っていることで、真っ直ぐに地獄へ突き進んで行きかねない杉元のストッパーとして働いてるコントラストはすごく良いと思うんです。
 
 その上で、作中で杉元とアシ(リ)パさんが手をつなぐシーンが2回あるんですけど、そのどちらも「アシ(リ)パが杉元を助けようと手を伸ばす」って状況なんですよね。
 もう何人、何十人と人を殺してきた杉元と、誰も殺さないアシ(リ)パ。あるいは和人とアイヌ。そういった簡単には相容れることのできない背景がある中で、それでも目的に向かった互いに敬意を払って対等に並び立つ感じが表現されているのも感動的なんです。
 
 ……なんですが。あぁ、もうこれ行くっきゃねぇな。
 
 最近の邦画、特に人気のある漫画やアニメを実写化した作品ってめちゃくちゃ出来が良いんですよね。まぁ世間から評判が芳しくない作品もありますけど、それだって実際に見てみると「いやいや、かなりグレートな出来なんじゃあないか?」って思えるものも多い。
だけど悲しいことに、まだまだ「実写化はクソ!」っていう凝り固まった化石みてぇなこと言うバカは存在しているし、一方で「こりゃあ酷いよね」って出来の実写化作品があることは否定できないですよ。
 そういう中で実写化するにあたって、ものすごく丁寧に丁寧に原作を再現するって方向性に向かうわけですよ。まともなとこなら。いや実際素晴らしいと思うんですよ? 漫画と実写映画ってメディアの差が当然あるから、ただ漫然と「再現しました」なんて出来ない、そのメディアの差を感じさせない工夫と技術がつぎ込まれていると思うんです。
 
 それがわかった上で。これが私のワガママというか、ほとんど難癖ってレベルの話なのはわかってますけど……だったら映画を見に行く必要ないかもなぁ、って思っちゃうの。
『ゴールデンカムイ』を見てる間は楽しかった、楽しかったのは間違いないの。でも見終わったあとで「この楽しさ、原作読んだときと一緒だな」になる。もっというと「映画を見る前」と「映画を見た後」で、私は何も変わってないのよ。120分なりなんなりの時間の中で、新しく手に入れたものが何も無い。
 これ『ゴールデンカムイ』を読みかえしたのと何も変わんねぇな、って「再現性の高い実写化」の感想としてなら120点だと思うんです。だけどお金と時間を使って「同じだったね」を確認する必要が””私””にあるのか? と言えば、まぁ、うん、やっぱ「無いかな……」って答えるしかないのよ。それは。
 
 ……映画が終わった後でね、後ろの席から聞こえてきた会話が「あのアシ(リ)パって子が主役じゃなかったんだね~」だったんですよ。だからね『ゴールデンカムイ』を見るのが初めてって人にはすごく良い作品だと思う。それは間違いない、だってちゃんと原作と”同じくらい”面白かったんだもの。
 
 これなぁ、つまりは「ファン納得の再現度よりクソ実写化の方が見たい」ってことだから、基本的にめちゃくちゃな発言だと思う。そんなヤツの望む世界なんて、ファンも原作者もたまったもんじゃないですよ。
 ただ世の中にはそういった異常な欲望の持ち主が存在しており、「原作と映像化作品は違う方がいい!」って言い換えれば「原作とその映像化は、まったく別の作品ですよ」ってことなんです。ほら、やっぱハガレンの『シャンバラ』とか超好きだしさ。
 だから……だからとか今さら言っても意味無いし、それで何らかの悲劇が回避できたとも思えないんだけどさ。それでもこうやって「無責任な消費者」にしかなれない私は、その「無責任さ」手放さないことでシリアスになってしまう状況を解体できれば良いなって。今はそう考えています。

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 次回は『哀れなるものたち』評を予定しております。

 この話をした配信はこちらの15分ぐらいからです。


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