「こころはこんな感じやねん」の2意識と無意識の関係
こころは広い。
せやけど、意識、自分がわかっている部分は、広かったり狭かったりするねん。
自分という意味で「自我(じが)」って言ったりもする。
意識が狭いと、収まりきらへんもんが出てくる。
小さな花束しかできへんときに、花がこぼれ落ちてしまう、みたいなもんや。
そしたら、こぼれ落ちたもんは、ないことになる。
認めたくない自分のことやな。
ないことになるけど、本当はあるから、こぼれ落ちた花は、「無意識」っちゅう倉庫に入れられてしまうんや。
ずっとおとなしく倉庫にいたらええんやけど、不意に花が倉庫から出てくるときもあるんや。
ずっと腹立ってたんをがまんしてて、爆発したり。
言い間違いをしたり。
無意識の倉庫にあるもんは、コントロールできへんからな。
いつやってくるんか、どんな風にやってくるんかわからんねん。
こうせんとあかん、ていうのがきつい人は意識が狭いから、無意識の倉庫がパンパンや。
許されへんことが多いねん。
まあ、そういうこともあるわ、とか、いろんな考えがあるからな、って考えられる人は、意識が広いから、こういうことは少なくなるんや。
逆に無意識が教えてくれることもあるんや。
「気づき」っていうやろ。
あれは、無意識の倉庫にあった花が、花束の中に入ってきたってことや。
「そうやったんか」って気づいて、成長することができる。
無意識と上手に付き合うことが大事なんやな。
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