伝説の治療家「野口晴哉」~整体の創始者の名言に学ぶの巻~
皆さんは、伝説の治療家「野口晴哉」氏をご存じでしょうか?
2000年前半頃から研究書や絶版本の復刻などが相次いで刊行され、にわかに注目をされることもあった「野口整体」
「整体」という言葉の語源であり、その創始者でもあるのに、
歴史の表舞台で知られることがほとんどない
野口晴哉 氏
それが日本の歴史・文化に大きな影響を与えていたとしたら・・・
少し興味が湧いてきませんか?
彼が、「伝説の治療家」とされる理由。
気になるそこのところを、今回は記していきましょう。
野口晴哉とは?
(引用元:野口晴哉公式サイト,©野口裕哉,野口晴哉公式サイト制作チーム)
野口晴哉氏は、日本の整体指導者で「野口整体」の創始者です。
それどころか、この野口整体をもとに「整体」という用語がうまれました。
なので、「整体」の生みの親といっても過言ではありません。
その天才的な偉業は数知れず!
伝説といっていいほどの出来事が度々ありますので、後程紹介させて頂きます。
野口整体
(引用元:野口晴哉公式サイト,©野口裕哉,野口晴哉公式サイト制作チーム)
野口整体とは、昭和20年代に野口晴哉氏が提唱した整体法です。
とある経験を経て、治療家を志した野口晴哉氏が、古今東西から治療法を探求し体系化した整体法です。
活元運動、愉気法、体癖論から構成されます。
【活元運動】
生を全うしようとする人間の内にある力をより敏感にするための、錐体外路系を利用した自己訓練法
【愉気法】
人間がお互いを守ろうとする本能的な「手当て」を発展させ、呼吸法を基礎とした精神集注による気の感応の実践法
【体癖論】
人それぞれの特徴的な体の使い方を観察することによる、人間の生理、行動などに見られる個性的現象の研究
今、巷でいわれる「整体」と趣が違うことは一目瞭然ですね。
単純に筋肉を揉みほぐしたり、ズレた骨格を強引に矯正するのでなく、人体へ「気」を通すことで、少ない刺激で、自らの体が働いて治るような、きっかけを与えることに重点を置いたところに違いがあります。
気の力や潜在意識、自律神経の働き、性の機能。
それら全てを統合した野口整体は、他の東洋医学より何歩も先を行っていました。
【健康】とは、病気を対処療法的に治したり、理想的な体格に整えたり、栄養を取ることではなく、むしろ常に変化し続ける体、敏感で柔軟な感覚を育てること。
様々な療法を試した後、結局は野口整体に行き着くという人が多いのも、そのような根源的なアプローチを超えるものが他に無いからかもしれませんね。
では、いよいよ野口先生自身について深掘りしていきましょう!
野口晴哉の伝説・名言
(引用元:野口晴哉公式サイト,©野口裕哉,野口晴哉公式サイト制作チーム)
名言は数知れず!
では、早速野口晴哉氏の名言を見ていきましょう!
読むだけで、元気が出ますね。まさに健康美!
それが野口先生の名言の美しさです。
幼少期から逆境を楽しむ
野口晴哉少年は、幼い頃にジフテリアという病に罹患し、発声ができなくなる。つまり会話が不自由となりました。
その結果、辛い子供時代を過ごしました。
しかし、野口少年はその会話が不自由なことを逆手にとって、とある遊びをし始めます。
孤独な少年は次第に、人の無意識に働きかけ人を動かす遊びを開始しました。
その遊びはよく成功し、しばしばイタズラをして楽しんでいたといいます。
他にも、『人の体の悪いところが黒く見え、そこに自然と手を当てたくなってしまった。』という逸話も残っており、その特異な才能の片鱗を見せていたようです。
関東大震災にて、天才目覚める
(引用元:「関東大震災写真帖」©日本聯合通信社 編/国立国会図書館)
野口晴哉少年が12歳の頃、生まれ育った東京で、関東大震災に見舞われます。
その中で、たくさんの人々が傷つき、死んでゆく姿を目の当たりにします。
さらに震災後、上下水道は壊滅、赤痢やチフスが急激な勢いで蔓延しました。
そんな時、野口少年の才能が覚醒したのでした!
なんと、下痢などに苦しむ人々の症状を、手を当てるだけで次々に治していったのです。
これぞ「愉気法」の始まりです!
以来、人間の体と自然の摂理、治療に関する探求は、生涯にわたって続くことになります。
10代で掲げた「名言」
(引用元:野口晴哉公式サイト,©野口裕哉,野口晴哉公式サイト制作チーム)
これは野口晴哉氏が10代の頃に綴ったとされる名言です。
これは「全生の詞(ことば)」と呼ばれています。
この「全生」=「我あり」こそ、野口氏の原点となり、以後そのハツラツとした生き方が展開していきます。
さらに特筆すべきは、この「我」の捉え方です。
これこそ、野口晴哉氏が類稀なる傑物である証明にも思われます。
それは、個人の主義主張的な「我」ではなく、原初としての宇宙から「いのち」を与えられた存在、「円融無瞬にして、すでに生死を離れた存在」としての「我」の肯定でした。
つまり、人間の生活をよりよいものにするために「いのち」の力を利用しようとするものではなく、人間という存在自体がまず「いのち」の働きの一つのあらわれなのであり、だからこそ「いのち」の具現化である自分を精一杯生かして生きねばならないのだ!
という逆転的思考に基づいた「我」なのです。
10代でこの境地!おそるべしです。
だからこそ、彼の治療の要所は、この「全生」思想にもとづいて、「生を委縮せしめるすべての既成概念を打破すること」でした。
コロナ時代にも生きる叡智
そんな「全生」への開眼から、野口晴哉氏の視野は、当時の常識では考えられないものになっていました。
それは、ウィルスや伝染病に関する見解にも表れています。
野口氏は、ウィルス・伝染病すらも、心身を成長させるものであって、人間にとって非常に重要な役割を担っていると言ったのです。
今でこそ、このような考え方は、科学的立証されつつありますが・・・
しかし、戦後の日本で近代医学も発展途上の時期に、このような理論を打ち出したのは驚くべきことです。
進化生物学でウイルス進化論が唱えられたのも1980年代ですから。
アカデミズムとは一線を画す確信が、彼には存在していた証だともいえます。
しかし、彼がより本格的に世に出たのは30代になってからなんです。
そう、治療家として名声を得た若き野口晴哉氏の活動は、身体の教育=「体育」として後の世に広く知られていくことになります。
(引用元:公益社団法人整体協会)
1947年、整体協会の前身、整体操法協会を設立
37歳のこの頃から、病を治すことよりも人間本来の力を引き出し、健康に導く自らの活動を「体育」と位置づけ、「治療」を捨てることを決意。
以後、後進指導や教育に力を入れていきます。
なぜ体育、整体だったのか?
野口晴哉氏は「整体協会」を設立し、「体」を前面に押し出した教育に生涯を捧げるようになります。何故、「体」の教育だったのでしょうか?
それは、野口氏が「体」を人間の裡(うち)なる「いのちの働き」を視角化して表現する媒体であると考えられたからです。
そこには「意識」というものを中心に人間存在を語ることへの反発があり、その勘違いを正そうという意図がありました。
(引用元:野口晴哉公式サイト,©野口裕哉,野口晴哉公式サイト制作チーム)
『今までの教育はすべてこの点において間違っている』
それが野口氏が伝えたかったことです。
当時の学校教育は言葉による説明や説得を通じて、人間の「意識」を変えれば、成長や矯正が可能だと考えており、学校体育は体を意識によって操作することで、規律ある人間が育成されると考えていました。
しかし、野口氏が打ち出そうとする教育は、それとは全く異なっていました。
“「意識」は人間の行動を決定する要素の10%に過ぎない”
ゆえに真の人間教育は残りの90%の潜在意識下の領域を対象としたものでなければならないという基本方針を打ち出したのです。
そして、人間行動の90%を決定する潜在意識下の領域を支配しているものこそが、「気」。
この「気」の働きこそが、人間の生活を目に見えない領域から支配しているものの正体であると説きました。
後に、彼が発表した「体癖」論は、以上の原理に基づいて観察された「気」とその体への現れ方との相互関連についての集大成でありました。
体癖を生み出す
体癖(たいへき)とは、簡単に言うと、見た目から、その人の感受性の癖を導く概念です。
身体の重心の偏り・腰椎のゆがみと個人の生理的・心理的感受性(体質、体型、性格、行動規範、価値観など)が、相互に作用していることを診療から見出し、その傾向を10種類+感度の過敏・遅鈍の合計12種類にまとめた理論でした。
“見た目で性格がわかれば、それぞれの相互理解が深まる”
こんなに役立つ叡智はないはずなのに、社会に浸透しなかった「体癖」。
その理由は、パターンが多いうえに、ほとんどが複合パターンなのですぐには使いこなせないこと、ある程度の精度で読み解ける様になるまでには訓練が必要というところにあります。
また、野口先生の教えを引き継ぐ、指導者の養成が思うように進まなかったことも一要因であったでしょう。
なんとも勿体ない限りです。
失われた日本の身体所作
そんな野口晴哉氏が説いた「体育」は、今となっては残念ながらマイナーなものになっています。
なぜなら、それは近代化、特に世界大戦を機に日本の和的な身体所作が失われたからに他なりません。
そこのところのリアルな実態は、三浦雅士の著書『身体の零度』(講談社メチェ, 1994)に記載されています。
こうした身体所作の変容のインパクトは、戦時中という特殊な状況での一過性の出来事でないことに注目してほしいです。
軍隊式の体操、西洋的な生活様式による、身体所作の導入の影響。
それに伴って引き起こされた「生」に対する無意識的変化こそが、近代化とそれを支えた様々なイデオロギーが去った後も残続しているのですから・・・
野口晴哉氏において「体育」や「修養」の過剰が、人間を抑圧していると説かれたように、今となっては当たり前となった生活様式にて、私たちは無意識の抑圧を体験し続けているのですから。
「都市生活」「西洋型建築」「核家族」
「満員電車」「633教育」「教育格差」
それが私たちを過剰に規律化し、その本来の姿を失わせているという警告には、真摯に耳を傾ける必要があると思うのです。
野口晴哉氏の目指した教育=日本の身体所作と、
世界大戦を機になされた教育=西洋の身体所作。
その世界線の切り替わりこそが、日本人の抑圧と鬱屈が決まった世界線の始まり。
それは近代化という名のもとに、秘密裏になされた「教育」であったのですから。
その世界線を切り替わりのポイントまで引き戻した時、私たちの無意識の教育は、また違った様相を呈するかもしれません。
そう考えていくと、高度経済成長期を終え、失われた30年の鬱屈を経て、
サステナビリティ、多様性を、テクノロジー主体で推し進めようとしている現代において、浮かび上がる一つの問いがあります。
「カラダを忘れてないか?」
体と意識が結びついていることを野口先生は残しています。
『カラダがなくても成立してしまうような情報空間』に触れていることが多い”今”
だからこそ、生活や社会の中のあらゆる問題に立ち会ったときに、体というファクターを忘れて、言葉や情報空間(意識)の操作だけで解決しようとしてしまう。ココにこそ、現代人が抱える死角があるのです。
そこで大事なのが、カラダ=人体を知ること。
多様性、サステナビリティは人体にこそあるんです。
人体と社会、人体と地球、人体と宇宙という観点なしには、これからの時代は語りつくすことはできません。
情報空間が肥大化していき、その中で人々の生活が営まれるような時代。
身体を育てる=体育する意味は、カラダと人間の意識=心が本来離れずに、
密接に影響し合っているということを、体感で想い出す貴重な学びなんです。
平成から続く日本人のメンタルヘルス問題の増加や、近年の多様性の議論などの糸口も、身体をもっと真剣に見つめることで、きっと見えてくるものだと、僕たちはあなたに伝えたい!
そうと決まれば蹲踞するっしょ!
って言われて、カラダが気になりだしたあなたへ。
残念ながらこんなにカッコよかった野口先生はもういない。
だけどそれでも・・・
あなたにはまだ、その身体を育てるチャンスがあります!
↓人体の可能性に気づきだしたあなたは、身体の封印を解く冒険に出よう。
師匠直筆「体癖サピエンス辞書」によれば、世界の答えは「人体=からだ」にあるにゃ💜その秘密の全体像をシェアしていくから、ピン!と来たお前さんは前のめりに参加するにゃ💜