傷つきは誰のせい?

割引あり

日常的に何かに臆病になっている人が多い。というか、ほとんどの人がそうかもしれない。すべての物事をコーティングし、傷つきを防ごうとする。しかし、それでも傷つくことはある。傷ついて傷ついて、傷つけた誰かや何かを憎む。

なぜ傷つくのだろうか。なぜ見ず知らずの他人に異常なまでの怒りを覚える人がSNS上にたくさんいるのだろうか。なぜ、なんとなくの不安感の中で生きているのか。どうして自尊心を持っていることを確信できないのか。

というか、そもそも傷つきは悪なのか。。。


結局のところ、傷つくのは自分のせいだ。少なくとも、そう考えた方がよい。

もちろん、直接的に暴言を吐かれたときなどに、傷ついた気がするのは普通のことだ。でも、それは、傷ついた気がするのは、自分の情報処理が生み出した脳内状態に過ぎない。所詮それだけのことで不幸になっているのはなんて馬鹿らしいことだろうか。

しかも多くの人は、直接的な暴言ではなく、自分に向けられたわけでもない言葉にも、傷ついている。SNS上を見れば今日もレスバの嵐があちらこちらで吹き荒れている。

傷つかないことは単に図太いことではない、それは確信を持っていることだ。自分の行動を、脳内情報処理のレベルで、自分で選択できることだ。ただし、傷つくことも選べなくてはならない。それもまた、確信につながる。ダジャレのようだが、確信こそ核心だ。そんな文章を以下で書く。

なぜ傷ついた気がするのか

傷ついた気がするのはなぜか、それを問うことからはじめる。

端的に言って、それは正しく自尊心を形成できていないからだ。自尊心は自分を尊重する心。なぜ、他人が言った言葉で傷つかなくてはならないのだろう。それは他人にコントロールされているという事だ。他人の行動は変えられない。しかし自分の行動を変えるのはたやすい。当たり前のことなのになぜ他人を変えようとするのか。他人に傷つきの原因を求めても、結局傷つきは解決しないのだ。

当たり前の話、人は皆それぞれ違う。ある人にとって傷つくことが、他の人にとってもそうとは限らない。だから他人に配慮することは大事だ。しかし、いくら配慮しても誰も傷つけないことは不可能だ。だから、傷つきが発生したとき、相手を憎むことは悪手だ。正しい自尊心があれば、他人もまた尊重できるはずだ。

相手の発言や行動によって自分が傷つきを感じているとき、その原因はやはり自分にある。自尊心が十分あれば、「相手はそれを私が傷つくことと考えていないんだな」という事実を冷静に認識できる。もちろん、相手がワザと傷つけてこようとしている場合もある。そのときはなおさら、傷ついてやるのは相手の思うつぼだ。あくまで冷静に、相手に対する対処(訴えることも含む)を検討すべきだろう。

こんな当たり前のことができない人がなぜ多く、具体的にどうすればいいのか。知りたい方は以下へ。


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