教科書文学のすすめ5「羅生門(芥川龍之介)」そんな人間もいるということ
拝啓
4月から高校生になる君たちは、これから始まる高校生活に、胸を踊らせている頃だと思います。
新しい出会い、新しい教室に、新しい空気。
眩しい朝日の中、少し目を細めた君を、私達大人も誇らしく、愛らしく感じています。
そんなみなさんに、ぜひ読んでいただきたいお話があるので紹介します。
まったくもって自分の範疇では理解できない人間もこの世の中には存在するということ
春になると、羅生門を思い出すのは私だけでしょうか。
私も15の春、田舎の進学校に合格し、意気揚々と高校生活をスタートさせました。
大好きだった国語。唯一自信のあった国語。
あの春、私の心を見事に打ち砕いたのが、この「羅生門」だったのです。
「いざ!」と教科書を開くと、教科書のはじめの方に取り上げられていたのがこちらの「羅生門」でして。
不穏。
全然キラキラレボリューションな高校生活できなさそう。
舞台は平安時代末期の京都。養和の飢饉(1181〜82)の頃といわれています。
(すべてを引用するわけにはいかないので、誤解のないように必要な箇所を抜粋していきます。)
なんだか、この下人、かわいそうな気がしてきますよね。
そんな状況で、はしごを使って羅生門の上へ。少しでも寝られそうなところを探しにいきます。
すると、「檜皮色の着物を着た、背の低い、痩やせた、白髪頭の、猿のような老婆」が死骸の髪の毛を抜くところに出会います。わお。
そこで、いろいろな葛藤と少しの問答がありまして。
「このときの下人の気持ちを述べよ」
わかるわけないじゃないですか!全然わからない!下人ひどい!
当時こう思った記憶があります。
なぜこの鬱々とした話と、キラキラな春に、高校生活の輝かしいスタートに、国語の教科書の最初の方で、出会わなければならなかったのか。
下人は、この世界のどこかに今もなお、いるのです。
この世界には、人の数だけものの考え方や見方が存在していて、自分の常識でははかれないことが山ほどあります。
これからの人生の中で、自分の考えと相容れないものとの出会いもあるということ。
それを知った上で、何を学び、どう生きるのかを自分で選ばなければならないということ。
私は、高校生活の長いようで短い3年間、どのように過ごすかを考えるきっかけとして、春に「羅生門」なのではないか、と思いました。
大人になった今、ようやく少しだけ、わかったような、わからないような。
長くなりましたが、みなさんの新生活に素敵な出会いがありますように。
敬具
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