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書くことは好きなのか?手段か?
書く=もう一つの呼吸
11年前から当たり前にずっと続けてきて、詩や日記、エッセイ、映画の宣伝、小説風なものまで多岐にわたる。
今年インプロを始めてからは、暇つぶしにやっていたスマホゲームもしなくなった。
書く役目も与えられた影響もあるけど、移動時間はずっと書いていた。
8月にとある舞台の取材のお願いを受け入れてもらえて(いつか仕事になるといいな)、書くことが好きなんだろうか?
ふと疑問を持った。
なぜその舞台をしようと思ったのか
なぜ舞台に惹かれるのか
この企画をしようと思った意図は?
聞きたいことはたくさんある。(話し好きだからついこっちの話もしてしまう!!)
見たい景色もある。
その人を知るには会話も大切だけど、こっそり見ているほうが仕草や無意識の行動で「らしさ」が見えるんじゃないか。
気になる人と食事に行って、店員さんへの態度を見たほうがいいと聞いたことがある。
それに似ている気がする。
来月取材する方は初めまして、声も聞いたことがない。
Twitterのアカウントだけが情報源。
なぜ取材をしたいと思ったか、は後ほど記事に書くとして。
こうして頭の中の声を出す行為でもある。
「考えすぎじゃない?」と昔言われたことがずっと引っかかっていて「あー考えすぎやな」と思うこともある。(今!!)
けど、それって私だけじゃないし!!
と思い直す。
出すだけではなく、後から見直して「書いてないけどこんな不安があったよね」と微笑ましく見直したい。
実際、2月に書いた文章を見て「一生に一度、できればいいと思ってるだろうけど翌月に叶ってるよ〜」と自分に心の中でコメントしてる。
数ヶ月後、数年後、これを読んだ自分が何を思っているのかが楽しみ。
最近は未来の自分に向けても、書いている気がする。
絵や音楽、色んな表現方法がある中で、私の場合「書く」なのかもしれない。
今の不安は一生続かないと知っている。
動いてさえいれば。
だから抱え続けていられる。
これは数年前から一貫して変わらない。
オチをどうしようか、と真面目な自分が言ってくるけど気にしない。
全ての言葉は私のために書かれるものだから。
最初の読者の自分が楽しめるものを書く。
それはこれからも変わらない。
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