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声が出なくなったら、ステキなコミュニケーションができた話。

異変があったのは数日前、備忘も兼ねて症状を記録しておく。



7月5日の午後:仕事中に喉が枯れてきた。水をたくさん飲んでやり過ごす。ごま油入りのスープを食べて、ちょっと戻った気がする。

6日:声が出なくなった。有給だったので助かった。原因がわからず、喉に効く料理を調べて食べた。

7日:声が戻る。よし、と思ったのも束の間、夜に人と話していたらまた声が出なくなる。

8日:変わらず声が出ない。いきなり声を出したせいだと思い、6日と同じようにすごす。

9日:起きても治らない。病院に行ったら腫れているが、数日声を出さなければ大丈夫とのこと。


病院にかなり時間がかかり、帰りはご飯を食べることにしたのでちゃんぽん屋へ。ありがたいな、と持ったのは、たまたまレジにメニューが置いてあったこと。指だけで通じる!と感動した。ありがたい。店員さんの見落としがない工夫かもしれないけど。
口パクとジェスチャーで注文する。口パクをした瞬間、声が出ないと分かっていただけたようで店員さんの話が少しゆっくりになった。


麺少なめ、餃子をつけようと思い店員さんがレジに一つずつ打ち込むのを待つ。「注文は以上です」と表すためにOK、とジェスチャーする。
わかりやすかったようで店員さんもニコッと笑顔になり、スムーズに注文できてよかった、と安堵した。

数分のコミュニケーションがとても愛おしかった。言葉で話すのが私の普通。店員さんもそうだったはず。でも、一瞬で声が出ないんだ、と判断し工夫してくれた。ゆっくり話してほしい、とお願いしていないけど心遣いが嬉しかった。
飲食店で働いていたことがあるので忙しさの時に、そんなイレギュラーな場面に出会うと、なぜか流作業でやっていたことが「ちょっと待てよ」と立ち止まることができる。

無意識のうちに「相手のためにできることは何だろう」と考えられるのは人間のステキな能力。落とし物をして気づかない人に「落としましたよ」と咄嗟に行動できることもすごい。

いつの間にか体が動く。もちろん「あの人が落としたな、届けなきゃ」と視覚で認識してからの動きなんだけど、運動神経に情報が運ばれる前になぜか体が動いてしまった行動って見てたらすぐにわかる。


何だか小難しい話になりかけるので話を戻そう。


今日の出来事は、声が出なくなったから起きた。病院に行くはずではなかったし、終わるのがお昼ではなかったら家でご飯を食べていたはずだった。
小さな出来事が、ささやかな嬉しさに繋がった。


話せないからこそ、ありがたさに気づいた。
日常に戻ったら、またたくさん話を聞いたりしたいです。














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