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自殺の予防か防止か対策か

自殺と言葉

日本において、「自殺予防」と「自殺対策」は各々の考えや文脈によって使い分けられています。
私自身もなんとなくですが感覚的に使い分けたり、好んで「自殺予防対策」を使うようにしたりしています。しかし、他の方はどういう意図で使い分けているのか(あるいはいないのか)、どのように使い分けるべきなのか、といったことについては、明確に言語化したことがありませんでした。さらに私はほとんど使いませんが、「自殺防止」という言い方もあります。
これから自殺について学んだり関わったりしていこうと考えている方は、どの言葉を使えばよいのか、迷ってしまうこともあるのではないでしょうか。

自殺」と「自死」という言葉については、以前から議論されてきました。2013年9月には、NPO法人グリーフサポートリンク全国自死遺族総合支援センターが『「自死・自殺」の表現に関するガイドライン~「言い換え」ではなく丁寧な「使い分け」を~』を公表しています。また、2015年9月に発足した自殺対策円卓会議で、第2回会議から「自殺」「自死」という用語について話し合いが行われており、第3回で「自殺・自死の用語問題についての話し合い一次まとめ」が公表されました(竹島、2017)。

自殺、自死の用語問題には、それがどういう死であるかを考えるという重要な側面があります。そのことと、これらの言葉が強いインパクトをもつ言葉であることを踏まえて、それぞれの場面において適切に使用することを期待します。ただし、円卓会議は、現段階では、これらの言葉を類型的に使い分けることは推奨しません。それぞれの主体が、それぞれの文脈において、抑制的に、配慮をもって使用することを期待します。

竹島正(2017)自殺対策円卓会議 自殺予防と危機介入, 37(2), 18-22.
表2「用語問題の一次まとめ」より抜粋
自殺、自死の用語問題についての話し合い一次まとめ(平成28年9月22日)

このように「自殺」と「自死」という言葉については、一律のルールで使い分けるのではなく、その時々で主体的に使い分けることが推奨されている、と言えます。

「自殺」「自死」と組み合わせて用いられる「予防」「防止」「対策」の3種類についても、どれを組み合わせるかによって、意味や語感が変わり、受け取り手に影響を与えると考えられます。

例えば、日本自殺予防学会の学会誌『自殺予防と危機介入』は、はじめ1972年に『自殺予防』というタイトルで創刊されたそうで、影山(2018)は次のように述べています(太字は筆者)。

タイトルに予防という言葉が入っていることは、国際自殺予防学会誌のタイトルが単にCrisisであり(副題にはThe Journal of Crisis Intervention and Suicide Preventionとあるが)、アメリカ自殺予防学会誌のタイトルがSuicide & Life-Threatening Behaviorであるのに比べ、「この件に興味本位で取り組むのではない、自殺を防ぐことが最大目標なのだ」という態度をいっそう鮮明に表明している。

影山隆之(2018)学会法人化記念シンポジウム 日本自殺予防学会の歴史と法人化後の展望 学会誌「自殺予防と危機介入の展開」 自殺予防と危機介入38(1), 17-20

学会誌のタイトルに「予防」という言葉を組み合わせるかどうか、ということについても、色々な議論があったことが想像されます。

そこで今回は「予防」「防止」「対策」という3つの言葉について考えていきたいと思います。

なお、「自死防止」「自死対策」という言い方はあまり見たことがなく、今回は組み合わせをふまえるために、「自死」ではなく「自殺」を使うことにします。

辞書的定義

言葉の意味を考えるときは、まずは辞書です。コトバンクで調べてみます。

予防(よぼう)

[名](スル)悪い事態の起こらないように前もってふせぐこと。「病気の蔓延を予防する」
[類語]自衛・守る・防衛・防御・守備・固守・死守

デジタル大辞泉(出典:小学館)太字は筆者

防止(ぼうし)

[名](スル)防ぎとめること。「少年の非行を防止する」
[類語]防ぐ・食い止める・支える・受け止める

デジタル大辞泉(出典:小学館)太字は筆者

対策(たいさく)

[名](スル)
相手の態度や事件の状況に対応するための方法・手段。「人手不足の対策を立てる」「対策を練る」「税金対策」
律令制で、官吏登用試験の一。文章もんじょう博士が問題を出して文章得業生とくごうしょうに答えさせるもの。また、その答案。
[類語]方策施策企て一計奇計奇策愚策秘策・対応策・善後策得策方法妙計妙策良計良策上策下策国策政策一策万策拙策無策弥縫策びほうさく密計秘計百計

デジタル大辞泉(出典:小学館)太字は筆者

「予防」と「防止」はどちらも、防ぐ=悪いことが起こらないようにする、という意味であるのに対して、「対策」は対応するための方法・手段となっています。類語をみると「予防」は守る、「防止」は止めるというニュアンスの違いもうかがえます。
少なくとも、「自殺予防」「自殺防止」という言葉における”自殺”には、事前に防がなければならない(もしくは防がなければならなかった)悪いものとして捉える評価的なニュアンスが感じられ、「自殺は悪いものなの?」という疑問を呈したくなるかもしれません。
その点で、「自殺対策」のほうは比較的ニュートラルな言葉にみえます。ただ「自殺に対応する」と読み下すと「予防」や「防止」とは逆に、すでに起きた自殺に対応する、という狭義に見える気もしました。自殺の"危機"や”要因"、"問題"に対応する、というように間に言葉が補われたほうが実際に近づく印象になります。

社会での用法

社会ではどのように使われているでしょうか。「予防」「防止」「対策」に関連する基本用語を思いつくままに列挙してみます。

予防(prevention)

  • 一次予防、二次予防、三次予防:予防医学に基づく自殺予防の観点。

  • 自殺予防教育:学校で行われる自殺予防プログラム。日本では文部科学省が推進。

  • 世界自殺予防デー:9月10日。WHOが定めた日。

  • 自殺予防週間:9月10日~16日。自殺対策基本法で定められた啓発期間。

  • 日本自殺予防学会:1970年設立の「自殺予防研究会」が前身。

  • 自殺予防総合対策センター:国立精神・神経センターに属していた施設。現在はない。

防止(prevention)

  • 自殺防止対策事業:2001年に厚生労働省が予算化。現在まで続く。

  • 東京自殺防止センター:NPO法人国際ビフレンダーズ。

対策 (countermeasure)

  • 自殺対策基本法:2006年施行。

  • 自殺総合対策大綱:2007年策定。自殺対策の指針。

  • 自殺対策強化月間:3月。自殺対策基本法で定められた集中的に自殺対策を展開する期間。

  • いのち支える自殺対策推進センター:2020年に発足した自殺対策に取り組む指定法人。

  • 日本自殺総合対策学会:2020年12月に設立。

  • 自殺対策白書:内閣府→厚生労働省がまとめている。


政策に関連することはほとんど「対策」ですが、「自殺予防週間」は「予防」が使われています。これは「世界自殺予防デー」にならっているためだと思われます。また、文部科学省は「予防」、厚生労働省は「防止」や「対策」を使用しているようです。

ちなみに、私の所属している委員会は下記のような名称で、「予防」を使用しているのは日本臨床心理士会のみです。

  • 日本臨床心理士会「自死予防専門委員会」

  • 日本公認心理師協会「社会貢献活動自殺対策チーム」

  • 日本心理臨床学会「自殺対策専門部会」

  • 東京都「自殺総合対策東京会議 計画評価・策定部会委員」

文献での用法

Google Scholar

つづいて、書籍や論文中での使用状況をみるため、Google Scholarでそれぞれの言葉を検索したときの文献ヒット数を、1990~2019年までで調べてみました(2022/8/18調べ)。「自殺予防」「自殺防止」は後ろに「対策」を付けて使われることもあるので、分けて調べています。

文献ヒット件数の変遷

今のところ「自殺予防」と「自殺防止」にあまり区別が付いていませんでしたが、文献では圧倒的に「自殺予防」が多いことが分かりました。また、「自殺予防」の文献は1990年代から直線的に増加していますが、「自殺対策」の文献は2010年代に激増していることが分かります。
「自殺防止対策」という言葉ではあまりヒットしませんでしたが、いずれにせよ、日本語の文献を調べるときは、キーワードを限定せずに調べたほうがよさそうですね。

コーパス

次に、それぞれがどういう言葉と組み合わせて使われているのか、「現代日本語書き言葉均衡コーパス(少納言)」(サンプルは概ね2008年まで)で調べてみました。

「自殺予防」

27件/出版物の出版年1997年~
「自殺予防に取り組む」「自殺予防に役立つ」「自殺予防の活動」「自殺予防週間」「若者の自殺予防教育」「青少年の自殺予防について」「自殺予防対策」「自殺予防週間」「世界自殺予防デー」「うつ病における自殺予防」など

「自殺防止」

20件/出版物の出版年1981年~
「若者の自殺防止について」「東京自殺防止センター」「自殺防止活動」「自殺防止のため」「子どもの自殺防止」「群発自殺防止」など

「自殺対策」

9件/出版物の出版年2005年~
「自殺対策を(中略)推進」「自殺対策基本法」「自殺対策推進計画」「自殺対策従事者」など

先ほど列挙した用語とかなり重複していました。著書か新聞が多かったです。やはり「自殺予防」と「自殺防止」は固有名詞以外で明確な使い分けがないように思います。

ちょっと休憩

専門家の論述

ざっくりと「予防」「防止」「対策」の用法が分かってきたところで、専門家がどのように定義しているのか、私の本棚にある資料から分かる範囲で調べてみました。

まず、精神科医の河西(2009)は著書『自殺予防学』で、「自殺予防」と「自殺対策」の用法を説明した上で、本のタイトルに込めた思いを述べています。

「自殺予防」ということばには、自殺が起こらないように事前に対処するという意味合いが強く、そのため、すでに起きてしまった自殺への対応や、自殺で遺された周囲の人への対応といった視点が抜け落ちてしまうという意見がある。そこで、「自殺対策」のほうがより包括的なイメージを表すとして、国や自治体などではこちらが使われることが多い。
一方で、第5章で触れた心理学的剖検が、自殺の経緯を詳細に調べて自殺予防に役立てようとするものであること、遺族や周囲の人へのケアには自殺の連鎖を防ぐ意義があること、そして生前に支援に関わっていた人の衝撃、自責感、無力感、あるいは燃え尽きをケアすることは、その人たちが再び予防活動に取り組むための重要な出発点となることなどから、事後対応は、事前予防の重要な要素であるとする考え方もある。
***中略***
私は自死遺族ケアや、専門職のケアに携わる中で、自殺の事後対応が事前予防につながる可能性を強く感じていることもあって、「予防」ということばを使っている。そして、このままではさらに悪化してしまいそうな日本の自殺問題に対して、その問題の所在を示し、自殺を防ぐ方向に世の中の流れを反転させていくためには何が必要なのか、課題は何か、「今できることは何か」を読者に問いかけるつもりで、本書のタイトルを「自殺予防学」とした。

河西千秋(2009)自殺予防学 新潮選書 p131-132

つづいて、精神科医の太刀川(2019)も著書『つながりからみた自殺予防』において、用語の違いを解説した上で「自殺予防」と「自殺対策」のいずれも使用すると述べています。

自殺を防ぐことを、自殺予防という。といっても、これは個人の自殺を防ぐ活動から、例えば国全体の自殺率を減らす政策まで幅広く、その種類も様々である。WHOでは、自殺予防(Suicide Prevention)という公衆衛生学の言葉を使うが、「自殺された方の遺族(自死遺族)からすると、予防できたのに、できなかった、という罪責感が強まるのではないか」、という危惧があり、我が国では公的には自殺対策(Suicide Countermeasure)という行政的な言葉を使っている。しかし、自殺対策という言葉のみでは、政策的なニュアンスや集団を対象とする活動が重視されるため、本書では予防と対策の両方の言葉を柔軟に用いたい。

太刀川弘和(2019)つながりからみた自殺予防 人文書院 p78

末木(2020)も著書『自殺学入門ー幸せな生と死とは何か』の冒頭で、「自殺予防」と「自殺対策」という言葉について、どちらも「自殺を少なくしようという試みを行うことという点で一致」していると述べ、他の専門家と同様にニュアンスの違いに関する説明を加えつつ、著書で用いる用語の意味は文脈や語感に依存すると述べています。

本書では、おおむね、個別の人の自殺を防ぐ活動については自殺予防を、集団を対象としてその中での自殺率を減らすための取組を自殺対策と呼びたいと思います。ただし、これらの用語の意味は文脈や語感に依存するものであり、必ずしも厳密に使い分けることはしていません。

末木新(2020)自殺学入門:幸せな生と死とは何か 金剛出版 p8-9

ここまでの専門家の見解では、「自殺予防」という言葉に対する批判的な立場を受け止め、どちらを用いることも避けていません。

一方、金子ら(2018)は、SOSの出し方に関する教育について論じた論文の中で、「自殺予防」という言葉について次のように述べています。

平成18年に施行された「自殺対策基本法」という法律名が示すように、日本の自殺対策においては「予防(prevention)」という用語を敢えて明示しないという社会的コンセンサスが得られている。「予防」という用語は医学領域で主として用いられる用語であり、疾病(病気)を予防するための医学的方策を考えるということが「予防」の意味するところである。すなわち「自殺予防」という用語は、自殺対策を医学モデルとして取り扱うことを暗黙の了解としている。***中略***
対策において、自殺で遺された親族等の対策は予防医学モデルに馴染まないこと、「予防」という言葉が明示されると自死遺族の中には「自死を防ぐことができなかった」という違和感を覚えるという意見があること、病気中心の臨床医学的発想では自殺の原因をうつ病などの病気に求めがちになり、病気の背景に潜む社会経済的要因等への考慮が十分でなくなることなどが限界として指摘されている。そのため「予防」という医学モデルではなく、社会経済要因等も十分に組み入れた包括的な生活モデルとして、自殺対策を重層的に捉えていくべきであるとの見解が重要視されることになったのである。

金子善博・井門正美・馬場優子・本橋豊(2018)
児童生徒のSOSの出し方に関する教育: 全国展開に向けての3つの実践モデル
自殺総合政策研究, 1(1), 1-47.

すなわち、「医学モデルに基づく自殺対策」ではなく「包括的支援モデルに基づく自殺対策」に政策がパラダイムシフトしたことを明示的に示すために、医学モデルに基づく「自殺予防」という用語は敢えて使用しないという、片方の用語に批判的な立場をとっています。


以上のように、専門家の間では「自殺予防」と「自殺対策」の含意や語感をふまえて、どちらを使用するかを自らの態度や文脈によって使い分けていることが分かりました。もう少し詳細にいうと、自殺に対する各々の取り組み姿勢や捉え方(医学、社会政策、事前予防、事後対応など)、言及する対象のイメージ(個人、集団、社会など)、読み手(自治体、医療関係者、自死遺族など)のことを考慮に入れて、使い分けていると考えられます。

ちなみに「自殺防止」について解説している文献は見つけられませんでした。吉川武彦著『自殺防止ー支え合う関係を創り出すことからー』(2009、サイエンス社)という本もあり、「防止」を積極的に使用している専門家もいると思われます。
英語ではどちらも"prevention"ですが、医学や公衆衛生で「予防」という用語があてられてきたために、国際的な文脈に乗せるときは「防止」より「予防」を使用したほうが文章に整合性が出るのかもしれません。

(追記2022.08.28)日本学生相談学会が作成した『学生の自殺防止のためのガイドライン』は、「自殺防止」を積極的に使用していることに気づきました(全20ページの中で「防止」は75回登場するのに対し、「予防」は1回のみ)。医学モデルではなく、学生相談という独自の専門性に基づいていることが反映されている、と考えられるかもしれません。
これを受けると、金子ら(2018)の医学モデルに対する批判と、自殺対策という用語に対する批判に対処するために、「自殺防止」を積極的に選ぶ立場があってもよさそうに思いました。

どのような言葉を使うのか考えていくこと

今回は「予防」「防止」「対策」の違いについて色んな観点から見てみました。今回調べて感じたのは、著書を通して先生方が、それぞれの言葉の意味について丁寧な説明を加えていた、という事実です。
学術書や論文では、誤解なく読み手に意図を伝えるために用語の定義を明確に行うことは当然重要ですが、殊に自殺というテーマでは、「自殺」「自死」という言葉だけでなく、「予防」「防止」「対策」についても言葉が与える影響を考えて、発言する必要があるといえます。
また、「自殺予防」「自殺防止」「自殺対策」という言葉をさらに細かく言う方法もあるかもしれません。例えば私が主に取り組んでいるのは、自殺に関連する教育や啓発ですが、医学モデルでは「一次予防」とか「プリベンション」とかいうことができます。抽象化する必要がないなら「自殺予防」ではなく「自殺の一次予防」といった方が的確なのかもしれません。(ただ金子ら(2018)によれば、「一次予防」という医学モデルの用語を使うのもなじまないのかもしれないですが…)
総じて、私たちに大切なのは、「自殺予防」「自殺防止」「自殺対策」それぞれにどのような意見や文脈が備わっているのかを理解した上で、その言葉を使う意図を考え、実際に意図するところの説明を加える、ということなのだと思います。


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