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「世田谷出身者は、イモい。」

「世田谷出身者は、イモい。」
そう言い切ると、「はて?」の表情を一斉に向けられた。
いやいやいや、そんなはずはないだろう、と。
正直会社の飲み会でこんな発言をするもんじゃない。それは百も承知だ。
だが、私はこの後展開する(つもりだった)持論にかなり自信があったし、その表情を「なるほどぉ~」の納得一色に染められると思っていた。
だが結果は大はずれした。全く刺さってない、というかクエスチョンマークがめちゃくちゃ増えているではないか。
「きっとあなたの住んでいた地域がそうだったんだね~」とフワッとした締めの言葉を頂戴し、何事もなかったかのように別の話題へとスライドしていった。

だが一夜明け、私一人だけがこの話題に取り残されていた。
あの時うまく言語化できなかった悔しさ(たかが飲み会でのことにそんな感情抱くな)、そして何より自分の持論をしっかり残しておきたい気持ちが沸々と湧いてきて、パソコンを開いた(暇なの?暇ですぅ)。

この持論、確固たる根拠なんてものはないし、28年間の東京生活を経て感じている、あくまでも個人的観測でしかないものだ。とは言え、もしかしたら同じように感じている東京(ないし都内近郊)出身者もいるのでは?と淡い期待を抱いてもいる。
もしあなたもお暇があれば、ちょっと読んでみてほしい。(長いけど)


冒頭の発言に戻ろう。
私は東京都世田谷区出身である。
里帰り出産でこの世に生を享けた為、厳密には生まれは東京ではないが、面倒なので、出身は?と聞かれたら「東京です」と答え、のどこ?と聞かれれば「世田谷です」と答えている。
そう言って返ってくる言葉の多くは「お~シティーガールだね~」だ。特に年上の地方出身者に言われるケースが多い。確かに出身地が持つであろうイメージだけ言えば私は間違いなく「シティーガール」だ。
この「シティーガール」や「シティーボーイ」と言うワード、よく聞くが実際どういう意味合いで使われているのか。私の感覚的には雑誌「POPYE」などに載っているような洒脱な若者をイメージするのだが、試しにネットで検索してみると、このような意味らしい。

都会風の感覚を身につけ、流行に敏感な若い男性(女性)

なるほど、ここでポイントになるのは都会“風”だろう。あくまで“風”でしかない。間違っても「都会出身」とは書かれていないし、都会風というぼんやりした表現で濁しているのもまたきな臭い。

私が育ったのは世田谷区の中でも東京の西寄りで、どこに羽を伸ばしても(=自転車で近所を巡っても)見渡す限りの家・家・家。ザ・閑静な住宅街である。一軒家と低層マンション、それからアパート。お城のような邸宅があったと思えばめぞん一刻に出てきそうな「〇〇荘」が建っていたりする。高級住宅街と言われるような地域も近かったため、友達と「お金持ちのお家ツアー」と称して住宅街を練り歩いたこともあった。

そのため、公立の小学校に通う私でも、クラスメイトには「良いおうちの子」が当たり前のようにいて、正直育ちの良い子が多かっただろうと思う。

かく言う私は、そこまでべらぼうに育ちが良いと言うわけではなかったし超庶民だったが、周りがそんななので必然的に(と言うか無意識に)その子たちの価値観にピントを合わせていたような気がする。

ピントを合わせる作業の一つが「習い事」だった。

小学生時代、ひとりっ子だった私は、両親からの愛情を一身に受け、ありとあらゆる習い事をさせてもらった。まずは幼稚園のとき、協調性のないワガママな娘に危機感を感じた母は私に「リトミック」を習わせることにした。その先生がとにかくユニークな人で、私の初期の人格形成に大きな影響を与えた人物なのだが、そこで私はピアノに興味を持ち、同じ先生のもとでピアノも習い始めた。小学2年生になり、担任の先生が書く黒板の字の美しさに感動し、それを母に伝えると「書道」も習わせてくれることになった。「スイミングスクール」に通っている子たちがスクール帰りに被るタオル地の帽子に憧れて、一時期近所のスイミングスクールにも通った。(ヤンチャな先生にプールサイドを走らされ、すってんころりんした日を境に怖すぎて辞めた。スクール期間たったの1年。)とにかく算数が苦手だった私に父が呆れて、その日のうちに入塾した「そろばん」。そのおかげで後に私は数学好きになった。(そして今でも暗算はそろばんスタイル。)

ほぼ毎日、放課後な何かしらの習い事をしていた時期もあり、もはや習い事マニアだった。とにかく私が興味を持ったことにNOを突きつけなかった両親と、毎度習い事に付き添う母は本当にすごいと思うし、とても感謝しているが、と同時に、それだけ習い事の選択肢がある地域にいたんだなとしみじみ思う。これがやってみたい、と思った時に当たり前のように近所に教室がある環境だった訳だから。リトミック以外は、そこまで気を衒ったものは習ってないものの、土地柄で制限されるような環境ではなかったのは確かだ。

そしてもう一つ、習い事をしているクラスメイトがそれなりの数いたことも大きい。
それが自分のやっていた習い事と同じではなくても良い。とにかく「習い事をするのがポピュラー」な環境であることが、私にとっては重要なポイントだったように思う。そもそも習い事なんてすること自体が珍しい地域の小学校にいたら、何かに興味を持っても、それを習い事で突き詰めようとは考えなかっただろう。矛先が違うものに向いていた可能性は高い。

そうしてピント合わせの集大成が「中学受験」だった。

小学4年生ぐらいだろうか。「塾」というものに通い始める子がクラスメイトに増えた。
聞くとみんな「受験」というものをするらしい。何それ?と怪訝に思ったが、受験のために小学4年生から塾に通ってみっちり勉強するのかとげっそりした記憶がある。

でも次第に「塾」というものに興味と憧れが湧き始めた。何それ?が好奇心の何それ?に変わっていた。なんか、かっこいいな「塾」通ってるの、といった具合に。単純な小学5年生の私は、気づけば母に「私も〇〇ちゃんみたいに中学受験したい!」と目をキラキラさせながら言っていた。

そして小学5年生の冬、中学受験を決意した私は気軽に続けられる「書道」だけを残して全ての習い事をやめ、塾に通い始めた。

2006年当時、クラスメイトのうち半数以上が中学受験をする環境だったのは、割と珍しい方だったのかもしれない。基本的にどの家庭も親御さんの意向で中学受験させられているケースがほとんどだったように思うが、それだけ教育熱心=教育費に投資できるだけの経済力がある家庭が多かったわけで、中高一貫校に通うメリットや将来性をそれなりに理解して受験に臨む子も多かっただろうとも思う。

私はというと、もともと私の意向で決めた中学受験だったこともあり、そもそも両親も受験に対してそこまで熱心ではなかったし、将来性とかいう込み入ったことは何も考えていなかっただろうと思う。(少なくとも私は何も考えていなかった。)また、行きたいと思った学校が1校しかなく、加えてその学校の受験方法が特殊だったこともあり、記念受験に近い形でその学校1校だけを受験した。落ちたら地元の中学に通うつもりで。

だが晴れて合格し、その春私は中高一貫の女子校に足を踏み入れることとなった。

同じように、中学受験をした他の子達もほとんど皆どこかしらの私立の中高一貫校に進学していった。こうして小学校の友達とはあっさり離れ離れになった。

それから6年の月日が経ち、自由すぎる女子校でのびのび過ごした私は、遂に女の園(という名の動物園)の檻から解き放たれた。はい、高校卒業です。

卒業式の直前だっただろうか、小学校の同窓会が開かれると聞き、私も参加した。
何人かとは高校の時点でちらほら集まることがあり、SNS(当時はmixiが主流)で繋がっている子もいたが、小学校の卒業式以来の子たちも多かったので、みんなどんな風に変わってるんだろう、と内心ドキドキワクワクしていた。

だが、いざ蓋を開けてみると正直みんな見た目はパッとしなかった。(もちろん私も含めて)

なんていうか「洗練されている」とか「垢抜けている」とか「洒脱だ」とか、そんな感情を抱く人が誰一人いなかった。冒頭言ったような所謂「シティーガール&ボーイ」はそこにいなかった。でもみんな、とっても良い子そう。あの当時のまま、汚れを知らず、大きな羽目も外さず、グレることもなく、もちろん犯罪なんかに手も出さず、6年間真っ当にまっすぐ生きてきたであろう18歳が勢揃いしていた。聞くとほとんどが大学進学が決まっており、みんな各々にこれから始まるキャンパスライフに心躍らせていた。

当時は、「あれ、みんな全然変わってないじゃん!まぁそれは私もか!」ぐらいにしか思っていなかったが、今思うと、整った環境で育った故の垢抜けてなさだったんだと分かる。

習い事に始まり中学受験、そして(経済力の意味に限るかもしれないが)高水準での教育環境や価値観・倫理観の形成、それらを経て選ぶ進路としての「大学」。遺伝もあるとは思うが、「選択をする」=「選択ができる環境に当たり前のようにいる」ことが私たちを変に大人にさせなかったのではないだろうか。

要は、その意味での苦労を知らない稚拙さと、一方で知能レベルの高さないし一定水準をクリアしたモラル、がめつく取りに行こうとせずとも何にでも手に入り、何でも受容できる土地柄、これを体現したのが世田谷を含めた「東京」という土地だと私は思う。

これは偏見かもしれないが、都内で当たり前のように育った人間は、様々なものに対してのレーダーが敏感で、かつ的確にキャッチする印象がある。でも同時に、自ら能動的にがめつく食らいつく印象があまりない。それは、目まぐるしくいろんなものが浮遊し漂い続け、流れ去っていくのが当たり前の場所で、いちいち自分から追いかける必要があまりないからだと思う。これも一種の適応能力であり東京で育つための処世術でもあるのだろう。

一方で、大学を機に上京してきた地方出身の若者は、これも想像でしかないが、今まで抑圧されてきたもの(がもしあれば)から解放され、ありとあらゆるものを東京で吸収しようと思って上京するだろう。その人たちが持つ意欲的なエネルギーは計り知れない。そしてこれは絶対に東京出身者は持ち合わせていない。このがめつさは彼らにパワーを与え、恐ろしい速度で成長させる。環境の変化やカルチャーの吸収力を経た彼らの垢抜けスピードは凄まじい。東京出身者がキャンパスライフでトレンドのキャッチボールをしている間に、トレンド(=野球)の試合をし続けているぐらいの違いだろう。(何それ)

だからもし、街で「シティーガール&ボーイ」っぽい人を見かけたら、それは高確率で東京出身者ではないだろう。「都会風」を身につけて自分のものにした地方出身者だと私は思う。

そして逆に、この人ちょっと垢抜けてないな(年齢に比べてどことなく幼いな)、と思ったら、実は男女問わず東京出身かつ育ちが良かったりするので、もう少し中まで突っ込んで見てほしい。

最後にもうひとつ、今日の持論で重要なことがある。それは東京には大きく二種類ある、ということだ。「トーキョー・イーストサイド」と「トーキョー・ウエストサイド」だ。

今日言及した私の持論、「世田谷出身者は、イモい。」は主に「トーキョー・ウエストサイド」の人間に当てはまる話だろうと思う。(あくまで経験則的に)
だが、「トーキョー・イーストサイド」は全く別物である。

と、これについて言及すると5000字をゆうに超えてしまうので、今回のところはここまでにして。

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