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3.11伝承ロードを訪ねて〜陸前高田〜

福島から宮城を越え岩手県陸前高田市へ。陸前高田はリアス式海岸を体現した入り組んだ地となっており、その津波の被害は凄まじく、震災の際に総務省消防局が「ほぼ壊滅状態」と発表した。自身の街が壊滅と称されることの恐ろしさよ。夜に着いたのだがあたりは真っ暗。散策は翌日へ。

入り組んだ地形のため被害は大きく遺構も多く残る

下宿定住促進住宅

海岸近くのエリアは公園として整備され建物はほとんど無い。そんな平野の中建っているのがこちらの震災遺構である。周りは草木に囲まれており、一見穏やかに佇む団地だが近づくとその情景に驚かされる。
外観からしか見ることはできないが、5階建ての建物を襲った14.5mの津波は4階を超え5階の床面にまで押し寄せた。綺麗にといった表現は適切ではないが、4階までの窓は全て割れ、ベランダの板は飛ばされ、一瞬で津波がどこまで届いたのかを物語る。

山側(津波は前から後ろに流れた)

下宿定住促進住宅
〒029-2205 岩手県陸前高田市高田町下宿34−5

東日本大震災伝承館
いわて TSUNAMI メモリアル

被害を受けた海岸沿いの多くの街に言えることだが、海と共に生きていた街の多くは海が見えない。予想を超えた大津波に対応すべく、どこも海のそばには高い防波堤が建てられているのだ。陸前高田もそうである。伝承館のまわりの沿岸部は更地となり緑あふれる公園に整備されている。海側は高い塀に覆われここが海沿いということを忘れそうな具合だ。

当館では資料とともに岩手県の被害、被災時の各団体の対応、防災策などが展示してある。

入って強烈なインパクトを残すのが津波に流された消防車である。シアターでは津波の時に撮影したビデオが流れていたのだが、初見の映像も多かった。また、伝承館の隣にはタピック45という道の駅の遺構が残っている。こちらの屋上に残った方を14mの津波から守ったそうだ。

流された消防車

特に印象的だった展示が2つある。
1つ目は功を奏した津波対策だ。
被害が取り上げられがちだが、安全意識の高さや備えによって助かった命も多くあったことを知れた。下記のページにもまとめられている。
市民の声に耳を傾けて階段が作られ逃げることができた話があった。同様に検討事項として挙がっていたが実行に至らず悔やまれた事例もあったのであろう。安全に対するスピード感は何事においても大事である。

2つ目は犠牲者の当時の行動をマップ上に表したデータベースだ。遺族への取材により落とし込まれた情報は津波襲来までどこにいて、どう動いていたのかを時間軸とともに表している。家に留まるもの、一度避難したのに引き返したもの、家族を迎えに行ったのか海の方へ一直線に向かう者、避難場所に津波が襲ってきた者、当時のリアルタイムを知ることができる貴重な資料だった。ネット上でも閲覧可能なのでリンクを貼っておく。

前述したとおり伝承館自体は公園の中にあり、道の駅が併設されている。
建物を出て防波堤へ足を進めた。

気仙沼市 東日本大震災遺構・伝承館
〒988-0246 宮城県気仙沼市波路上瀬向9-
https://www.kesennuma-memorial.jp/

奇跡の一本松

伝承館から続く道を行き階段を登ると海が広がる。荒れ狂ったことが俄かに信じがたい穏やかな海だ。眼下には防波林が広がる。

防波堤を登るとやっと見える海

そこを少し行くと見えるのが津波に流されなかった有名な奇跡の一本松だ。手前にはその盾ととなったユースホステルの遺構がある。
土台が大きく崩れて建物がひしゃげている。
復興のシンボル一本松は既に枯れており、現在は技術をもって残されているそうだ。

陸前高田ユースホステルの遺構
奇跡の一本松

奇跡の一本松
〒029-2204 岩手県陸前高田市気仙町砂盛176−6 高田松原津波復興祈念公園内
https://www.city.rikuzentakata.iwate.jp/soshiki/tochikatsuyosuishinka/toshikeikakukakari/2_1/2914.html

次は気仙沼へ。

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