生活するということは何か
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今日、散歩していると思いついたことがある。
それは、「生活」という言葉である。
我々には、それぞれの生活がある。
生活とは何なのかとふと疑問に思う。
まず思い浮かんだのが、ルーティンという英語である。
ルーティンというのは、決められた行動を繰り返すこと。言い換えると、日課のようなものに近い。
この繰り返しという行動は、リズムを伴う。
そして、このリズムは安定を生み出すのではないか。
つまり、生活するということは、安定してしまうことなのではないかと仮説した。
敢えて、「してしまう」と書いたのは意図がある。
例えば、嫌な仕事をしているにも関わらず、愚痴ばかりこぼしているサラリーマンはよく見かけると思うが、この嫌な仕事をして愚痴をこぼすまでの行動が生活になっているのではないかと僕は考える。
つまり、「嫌な仕事をして愚痴をこぼす」ことがいつの間にか安定してしまっている。生活にはそういう力があるのではないか。
僕自身の意見の正当化や善悪二元論を述べたいわけではないが、僕は生活という一定のリズムに差異と変化が欲しいと思ってしまう性(たち)である。音楽理論で言うところのシンコペーションが欲しいと思ってしまう。
型ができてしまったら、そこから少しズレる。ズラしてみたくなる。
そんなわけで、僕は転職ではなく無職を選んだのかもしれない。
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