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ピートのきいたヤツの効果

 一週間ぐらい前にフランシス・アルバートの話を書いたけれど、今回もお酒の話です。
 バーに行って「今日はカクテルの気分でもないな」と思ったりすると、僕は基本的にはウィスキーをちびちび——というか、ぼやっとしながらだらだらというか——飲むことにしている。ウィスキーって日本酒と同じで一家言ある人が多い(僕の父親はウィスキーといえばバーボンである、という人なのです)んだけど、僕自身はアメリカンでもスコッチでもカナディアンでも何でも飲む。バーテンダーさんに適当におすすめしてもらって、出されたものを飲む……と言うとなんだか何も考えてないみたいですが。まあ、あんまり何も考えてないんだけど。
 それでもまあ一応好みというのは僕にもあって、バーテンダーの方に「何かウィスキーでお好みの傾向などはありますか?」と聞かれると、大体アイラウィスキーを挙げることにしている。アイラウィスキーの代名詞でもある、煙るようなピート(泥炭)の香りが好きで、ラフロイグやアードベッグは家に常備していたりする。夜更けに一人アイラウィスキーのグラスを傾け、そのスモーキーな香りの向こうにアイラ島の厳しい自然を思う——なんてことは特になくて、家にいるとバーで飲む時よりも余計だらだらして飲んでいるだけです。家に遊びに来た人が飲むと「なにこれ、正露丸みたいな匂いがするんだけど」とか言われるけど、そんなことではめげない。
 ある時、元同僚の女性とバーで飲んでいて、バーテンダーの方にウィスキーの好みを聞かれたので「ピートのきいたやつが好きですね」と答えた。「ではピートのきいたやつをお出しします」という流れになって、まあ僕としてはいつも通りのやりとりだったのだけど、ふと横を見ると彼女がお腹を押さえてくふくふと笑っている。何かと思っていると、彼女は「ウィスキーの頼み方がハードボイルドでやばい。『ピートのきいたやつ』って」と言いながらしばらくお腹を抱えて笑っていた。釈然としなかったけれど、まあ楽しそうにしているしいいか、と思っていたら、後日別の同僚から「聞きましたよ、先生ってバーで『ピートのきいたやつを一杯』って注文するんですってね。いやぁかっこいいなぁ」とか言われた。そんな小説の主人公みたいな頼み方はしてない、と思ったんだけど、こういうのはちょっと困る。挙げ句の果てには、生徒も僕のところに来て「俺、大人になったらバーとか行ってみたいんです。ピートのきいたやつを飲んでみたいっすね」とニヤニヤしながら言う始末である。というわけで、ピートのきいたアイラウィスキーが好きな方は、バーで注文するときは気をつけたほうが良いです。
 それでもまあ、僕はめげずにその後も「ピートのきいたやつ」を注文してたんだけど、それが思いがけない効果を発揮することもある。先日、その元同僚の女性から一年振りぐらいに電話がかかってきて、「今バーで飲んでるんだけど、バーテンダーの人とアイラウィスキーの話になってあなたを思いだしたの。今から出てこれない?」というお誘いをもらったのです。それこそ小説の世界の台詞じゃないかと思ったけれど、もちろんお誘いは受けて、楽しい時間を過ごしてきた。ピートのきいたのを注文したか? そりゃもちろんです。

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