野月 そよか

ナラティヴ・グラフィッカー

野月 そよか

ナラティヴ・グラフィッカー

マガジン

  • しゅたいって?

    • 10本

    「しゅたいって?」は同名のトークセッションのために用意されたマガジンです。 2023年3月16日19時より、西小山にて「主体」あるいは「主体性」をテーマに5名の大学生によるトークセッションを実施します。登壇する5名はそれぞれ異なる専門分野を持っています。哲学や建築や農学といったように大学での専攻もバラバラで、本屋さんやWebエンジニアや教育関係といったように学外での仕事もバラバラです。今回のトークセッションでは、登壇者がそれぞれ事前に「主体」をテーマにしたnoteを書くことにしました。5つのnoteをもとに、議論が交錯する点を探っていきます。是非ご覧ください。

最近の記事

蛙さんとわたし:2024年4月1日時点の意味づけ

蛙さんへ 高校2年生の頃、自己紹介の場面で「井の中の蛙なので…」と話しはじめたときから、私が蛙だと気づいたときから、あなたは私にとって特別な存在です。 高校3年生の時、あなたが登場する物語を人前で語りました。 大学1年生の夏ごろには、「井の中の蛙の物語」という文章を書きました。 中学生や高校生のみなさんの前で、あなたについて語ることもありました。 時々一緒に旅行したりもしたね。 最近あなたは私の部屋の本棚の淵に座っています。暮らしの傍にあたりまえに居てくれます。

    • 悟性と直感の間にあるもの:2023年6月18日時点の意味づけ

      何か一冊本を、と言われ、手帳を開いた。 私にとって手帳は、自分の分身のようなものだ。 一日の時間の使い方と、何に触れて何を感じたかが記されている。 内容からはもちろん、書かれている文字の乱れ具合や突如現れる長い空欄から当時の感情の起伏や体調が思い起こされる。 … 2021年3月20日 土井先生の本購入 2021年3月22日「一汁一菜でよいという提案」読了。「感じやすい」ことは悪いことじゃない。 この直後から、バーチカルタイプの手帳の左端の空欄に、 「今日のお味噌汁」という

      • ひとり暮らしの部屋は問う:2023年4月30日時点の意味づけ

        2020年4月下旬、北海道。東京行きの飛行機に乗り込む。東京に着いたところで、入学式もなければ、授業もまだはじまらない。移動すること自体が恐れられ、移動する人が疎まれた時期だった。怖いほど空席の並ぶ飛行機。スーツケースを持つ私と母をにらむ視線。それが嫌とは思わなかった。むしろこちらが常識外れだ。心の中で何度も頭を下げながら、人目の当たらないひとり暮らしの部屋を目指した。 大量の家具を設置してくれる配送業者のお兄さんは、小声で挨拶したあとはてきぱきと作業をして、無言で去ってい

        • グラフィックレコードから読み解く「しゅたいって?」

          はじめにはじめまして。野月そよかと申します。 トークセッション「しゅたいって?」のグラレコを担当しました。 この文章はトークセッションのまとめではありません。あくまで私が登壇者五名の対話をグラフィックレコードを眺めながら再解釈し、少しだけ感想を加えたものです。ぜひグラフィックレコードをなぞりながら、皆さまとの解釈のズレや、セッションの聞こえ方の違いを楽しんでいただければと思います。特に登壇者のみなさま、もし私の認識が著しく誤っていた場合は、どうかご指摘ください。 第1部を

        蛙さんとわたし:2024年4月1日時点の意味づけ

        マガジン

        • しゅたいって?
          10本

        記事

          2022年10月23日時点の意味づけ

          3年生の夏期休業がおわりました。進路について考え始めるこの時期に、現時点の関心や最近考えていることを残しておきます。 1 大学生活と学問的関心について大学生活3回目の夏期休業が終わりを迎え、ようやく秋学期がはじまりました。ほとんどすべての授業が対面形式になり、平日は丸一日大学で過ごすようになりました。ようやく友人ができはじめて、楽しい嬉しい日々です。これぞ思い描いていた大学生活!近頃はゼミ活動が本格化し、先生方との交流も深まっています。そして、社会教育学をメインに扱う先生方

          2022年10月23日時点の意味づけ

          蛙さん、綴る。

          蛙さんは、描くことが好きです。書くことも好きです。 正確には、書かないと頭にとどめておけなくて、書かざるを得ない日々を超えて、好きになったといったほうが良いかもしれません。 井戸の中の蛙にとって、 慣れない、早すぎる時の流れ。いとおしい、せっかくの言葉たちが飲み込む前に次々と現れては消えてゆく。確かに何か新しい発見があったはず。新しい視点に気づいたはず。それでも— 蛙にとっては、覚せい剤のように脳に一時的な、それはそれは強い刺激を与えるもので、後に衝撃への依存心の他、何も

          蛙さん、綴る。

          井の中の蛙の物語

          むかしむかし、あるところに、一匹の蛙がおりました。 深い深い井戸の中、20の仲間と先生と暮らしていました。彼女は、大変な自信家でした。 絵を描くこと、文章を書くこと、お勉強すること、運動すること、少しがんばれば、20の中で一番を取ることは困難を極めるようなことではありませんでした。それだから彼女はいつも少しがんばって、周囲から讃えられ、幾度となく繰り返されるそれに、陶酔し、快楽を覚えていたのです。 あくる日、蛙が井戸の外へゆくチャンスが巡ってきました。 蛙は、自信家とはいえ

          井の中の蛙の物語