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居場所

※この内容は私のトラウマの吐露であり、フラッシュバックの可能性があります。

私には小さい頃から居場所というものがなかった。
自分が自分でいられる。安心できる居場所といえる場所。

私の父親はアルコール依存症で普段からお酒を飲んで家で暴れたり大声で怒鳴る人だった。
母とは毎日喧嘩をしている。
私には異母兄弟の兄がいるが、二人の間に入ってそれを止めている。
父親と一緒に住んでいたのは3歳までだが、私の記憶には突然父と住んでいた場所がフラッシュバックで出てくる。
父親がお膳(テーブル)の上に上がって怒鳴り散らす様子。母と兄がそれを止めている。
母は私にテレビを見てなさいと言うが狭い部屋で真横なのでテレビなんて見ていられない。

父の横にはいつも一升瓶。臭いはお酒と正露丸。
大工だったが仕事は碌にせず、母が外で働くことは許さなかったようだ。

3歳の時母は命の危険を感じて私を連れて実家に戻った。
母が結婚した理由が弟が結婚して自分の居場所がなくなり、実家を出たかったからという理由だったのに、私を連れて実家に戻ってどうなるとは考えもしなかったんだろう。

母の実家には祖父母と叔父夫婦。私よりひとつ上とふたつ上の従兄弟がいた。
叔父もまたアルコール依存症で酔うと暴れたり物を投げたりする人だった。
しかしそこにしかいられないと子供ながらに感じていた。
母と私は完全に「居候」である。
完全に邪魔者で迷惑な存在。
母が叔父夫婦と一緒に私にきつくあたることは、そこにいる手段だったのだろう。

叔母からはよく「居候のくせに食べるな」と言われた。
叔父からはただでさえ生活が苦しいのにと愚痴や説教がどんどん増えていく。
祖父母は全く庇ってくれることはない。
従兄弟からは○○(母の旧姓)の家になんで○○(私の苗字)がいるんや!と言われる。

ご飯は勿論、おやつも従兄弟は食べるけど私にはもらえない。
従兄弟がよく「ミロ」を飲んでいたけど、私は飲んだことがない。
母に飲みたいとか助けてとか言ってはいけないと何故か分かっていた。

幼稚園のお弁当は毎日ご飯と味のしない卵焼きと赤いウインナー。
たまにご飯の上に梅干しや沢庵が乗っている。
友達のお弁当がとても綺麗で可愛くて私はいつも蓋で隠して食べていた。
ある日母に「ウインナーをタコさんの形にして欲しい」とお願いした。
母からは「贅沢言いなさんな!!」と怒られて、二度と何も言わないと誓った。

祖母にはしょちゅうお寺に連れて行かれ極楽と地獄の絵を見せられた。
悪い子だと地獄にいくよ。針山や閻魔様に舌を抜かれる。熱い釜に入れられるなど説明される。
極楽は?どんなところ?と一度聞いて一言返って来たけど、なんと祖母が答えたか覚えてない。

母の実家は街中で公園などもなく、幼稚園が終わると遊ぶ場所がない。
近くにある駐車場に車が停まっているのが少ない時従兄弟に来いと言われた。
バットで小石を打つから拾えと。逆らうことは許されない。
おでこに衝撃が走る。なにが起こったのか分からない。顔に生暖かいものを感じる。顔を触ると手が血だらけでびっくりして泣きながら母の所に行った。母はタオルか何かで私の額を押さえながら「泣きなさんな!」と私を怒った。

父親が5歳の時に交通事故で死んだ。
そこから虐待は酷くなった。
親戚が集まると決まって私を大人の部屋に呼び出し「お前が悪い」「体が弱いのが悪い」なんだかよく分からないことで怒られる。
どうやったら怒られないか。どうやったらもっといい子になれるか。そればっかり考えていた。

大人になってカウンセリングを受けて何故あんなに怒られてたのか不思議に思い、母に「私ってそんなに悪い子だった?」と聞くと、「体は弱かったけど申し分のない子だった」と。
「じゃあなんであんなに怒られてたの?」と聞くと「父親が死んで厳しい存在がいなくなったから親戚に怒ってもらうように頼んでいた」とのこと。
「何が悪かった」ではなく、「厳しい存在がいなくなったからとにかく怒ってくれ」と頼んだ母。それを全く疑いもせず全て受け入れて怒る親戚…。
助けてくれる人なんて誰もいなかった。
自分が全部悪い。自分の存在が悪いと思っていた。

子供なので従兄弟と喧嘩することもあったけど、理由なんて聞かれない。昼も夜も夏も冬も関係なく外に放り出される。
掘り炬燵の足に必死に捕まって「ごめんなさい。もうしません。」と謝っても許してもらえない。許されるのは叔母や叔父が許した時。それまでずっと外?で「ごめんなさい。もうしません。」と叫び続けた。

小学生になると学校が終わった後に校庭で遊ぶことができたけど、早く帰りなさいと先生に言われる。
この頃まではイジメにはあってなかったが、担任に目をつけられてしょっちゅう廊下に立たされた。
先生の捌け口だったんだろう。
家に帰りたくなくて大きな交差点の歩道橋が四角に繋がっている所を暗くなるまでぐるぐる回った。

理科の授業で蟻の巣の絵を見たときだと思う。蟻の巣にはご飯の部屋や卵の部屋。いろんな部屋があると。
それを見て私はできるだけ小さな紙にできるだけ小さな字でひとつ部屋を私に分けてくれませんかと手紙を書いて蟻の巣に詰め込んだ。
それが私の精一杯だった。

7歳になって母と二人暮らしをすることになった。
やっと解放されると思った。
でも母は経済的な不安や精神的な不安から私への虐待は更にひどくなった。
2年の時に転校してきた私はリュクの学校なのにせっかく買ったんだからとランドセル。
目立つ変な子となってイジメの対象になった。

居候より辛い生活がここからはじまった。

ねえ?本当に安全な場所ってこの世の中にあるの?
安心ってなに?

私にはまだ分からない事が多いし、この頃の私にそう聞かれてもここにあるよとは言えない。

あなたには安心な場所がありますか?
安心な場所がありますか?


同じように虐待で苦しんでいる子供や、その後遺症で苦しんでいる人に「大丈夫だよ」「ここにあるよ」と言うことはまだできない。
それが一番辛いです。

どうか。どうか。
虐待で苦しんでる子供達。
虐待の後遺症で苦しんでいる人達に少しでも安心や安全を教えてもらえませんか?
みんなが当たり前に暮らしている安心できる家や場所は虐待を経験した人達にとっては必ずしもそうではありません。
この世界に安心な人や安全な場所もあると。どうか教えてください。
お願いします。


そよかぜ

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