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複雑性PTSDと解離症

生まれた場所や親、環境によって心の傷や複雑性PTSDといういわゆる「心の病」はありますが、そこが心の病と区別することがいいことが悪いことかが分からない。何十年も病院をあちこち行き、その医師によって薬を沢山処方されたり、どこも悪くないと言われたり。
私自身専門家でもカウンセラーでもないし、私の感覚が全ての人に正しく、当てはまるとは思っていません。
ただ自分のなんとなく分かったり、気づいたことをシェアしたいと思っています。
これは全てではないし、個人差がそれぞれあることを忘れず、少しでもなんとなく分かる感覚をシェアしたいと思います。
それを踏まえて参考にしていただけたら…と思っています。

最近解離がとても酷く、どうやったら以前の感覚に戻れるか分からず、戸惑ったり焦ることが多いです。

解離していない時…というか心と体が近い状態にある時は楽しいことが好きで。
それは人の不幸を笑ったり、蹴落として笑うというのではなく。自虐的な事を含めても自分や周りの人が少しでも笑顔になったり楽しんでくれたらいいなと。そんなふうに思えます。
笑顔が難しくてもちょっとホッとできるツイートとかしたいななどと。

しかし解離するとどうしてもそこまで持っていけない。
持っていくどころか人が怖くて仕方がない。
今ではTwitterを見るのも怖く、小さな物音でもビクビクしてしまうのでスマホの音は常にナイトモード。人が怖いという感覚は「この人が怖い」「嫌い」と特定の人に対してではなく全ての人にそう感じてしまう。家族でさえも。家族に申し訳なくてたまらない。
何をやっても楽しくない…というか日常生活を送ることが大変だ。
食事も少しずつ食べているが、味覚も鈍くなったりすぐ下痢をして過敏性腸症候群になってしまう。
眠ると悪夢。起きてもなかなか現実に戻れず。そのままフラッシュバックが頻繁に起こる。

前回大きく解離したのを感じたのは年末年始。毎年体調を大きく崩し寝込むことが多い。トラウマからくる精神的、肉体的に辛い時期。
この時にどんどん人が怖くてたまらなくなった。
なんで怖いのか。どうして怖くなったのか分からない。ただ精神的落ち込みと肉体的に体調を崩すといつのまにかそんな感覚になって止められない。
でもある時突然怖くなくなった。
体にポンっと心が入った感じがして怖さを感じなくなった。

今回も理由がはっきりしている。
ひとつは私にとって安心安全であると認識してしていた場所での話し合いが、安全ではなかったこと。
どちらがいいとか悪いとかではなく、私にとっては話し合いではなく攻撃的に感じてしまった。そしてその場は自分の感情を抑えて冷静にならないと場の空気が悪くなると、そればかり気にしていた。自分の気持ちを殺していた。
日が経つにつれ、私はあの時怒っていた。嫌な気持ちになった。辛かった。悲しかったなどいろいろな感情が出てきてどうしていいか分からなくなっていた。
これは小さい頃から感情を出すことを禁止されて育ったからだ。

そんな日が続いて、このままじゃいけないなと家族に公園に連れて行ってもらった。
たぶん祝日か土曜か日曜で子供連れの家族が多く、私と家族は公園を見渡せるような少し離れたベンチに座った。
家族はスマホを触ってたので、私はワンコと公園の遊歩道を歩いていた。
すると男の人が近づいて来た。一定の距離を保って私を見てる。怖い…。体が咄嗟に硬直したが、できるだけ冷静を保ち家族の元に戻った。
しかしその男は私の後ろに立ち私を見ているのが分かる。家族に伝えたいけど声が上手く出ない。
私の様子がおかしいのに気付いてくれてなんとか伝えたが男は一向に動かない。家族(男)が見ても動かない。
おかしいと感じて家族が私を別の場所に連れて行ってくれた。

こんなふうに普段の生活であってもおかしくない事が私には怖くてたまらない。自分のトラウマに繋がるからだ。
そしてどんどん解離していき、解離するまえの生活にはまだ戻れないでいる。

複雑性PTSDなどでトラウマを抱えてる人にとって、一般の人が思う当たり前が当たり前ではない。
家も完全に安全な場所ではないし、外もそうだ。
どんな場所であろうと自分のトラウマのトリガーとなるものがあったり、何かが引き金になって出てくることがある。
突然フラッシュバックに襲われて過去の怖い場所に引き戻されてしまう。
それが過去のことであっても、フラッシュバックや悪夢は現実に起こったことと変わらない。寧ろ繰り返し起こることでより一層心の傷や記憶が深くなる感覚だ。

今の私は頓服を飲むと眠くなることも怖い。寝ると悪夢を見るからだ。
しかし、食堂痙攣や気が遠くなり倒れて動けなくなり、家族に口に頓服を入れてもらわないと動けなくなる時もある。


解離症や解離性障害というと二重人格や多重人格などを思い浮かべる人も多いかもしれないが、それだけではないと思う。
ずっと自分の感情や行動を押し殺して生きていると自分がなんなのか、何が好きなのか、なにをやりたいのかが分からない。そんな感覚からいつの間にか解離していた気がする。
小さい頃の嫌な記憶は覚えているのに、小学生の頃や今までの記憶がすっぽり抜けている事がある。

私は他に人格がなく、体から心が離れて、その距離が遠くなると自分の寒いや暑い、空腹などの感覚は鈍くなるが、人が怖いという感覚はどんどん膨らみどうやっても止められない。
そして解離性健忘が起きて、覚えられないし伝えられなくなる。
他に人格がある人もテレビやドラマや映画にあるように別人格が殺人を犯すなど滅多にないと思う。そういうものでしか知らないから解離性障害や解離性人格障害は怖いと誤解が生まれる気がする。

私は解離症ですと名札を付けて歩いてる訳ではないし、出会った人全てに解離症なんですと言う訳ではない。
言っても理解されないし、話すことも疲れるし変な目で見られるだけだからだ。
でもこの生きづらい世の中で複雑性PTSDや解離症って気づかないだけで多いのかもしれない。
辛いけどなんとか生きていけてるし。
他の人はもっと辛いだろうし。
ちょっと疲れてるだけかもしれない。
そんな時にふと解離してまた戻っているだけかもしれない。
そんなに遠くて珍しい病気ではないんじゃないかと私的には感じる。


はあ…。
私の安心、安全はどこにあるんだろう。
どうやったら心と体が認識してくれるんだろう。
毎日毎日寝たきりに近い生活で、明日は少しは良くなるかな?
また以前のようにお風呂に入ったり、ご飯食べて美味しいって思ったり。
公園に行ってぼーっと空を見上げて綺麗だな。心が穏やかだなと思える日が早く戻ってきてくれないかなと。
毎日ベッドで抜け殻のようになりながら、以前のちょっとした幸せな日々が戻ってきてくれるのを待っています。
でもまだ怖いのでTwitterなど見ないしリプや返事もできません。
とにかく自分の体や心が安心安全だと認識理解してくれるのを待ちます。

私が特別おかしなだけなんだろうか…?


そよかぜ

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