アパートの2個隣の部屋の人と付き合う
今までもいろいろと恋愛やパートナーシップについて考えてきたけれど、最近気づいたのは、わたしは人との愛の交換量が、普通の人よりも多いかもしれないということ。
自分の周りに「大好きだなぁ」と思う人がたくさんいて、わりと躊躇なく「大好きだよ!」って言ったりするし、自分で言うのはおこがましいけれど、わたしのことを好きだなと思ってくれたり、大切にしてくれているなっていう人は多いなと感じる。
そのことは、よい方向に行けば「みんなを愛し」「みんなから愛される」存在でいれるということかもしれないけれど、バランスを崩すと、愛を求めすぎてしまったり、1人のひとにその大きい愛を依存させてしまったりと、恋愛に振り回される生活になってしまう。
そんな感じでめちゃくちゃバランスを崩した恋愛(愛の交換?)(交換できてなかったけど)をしたこともあるし、それ以外の恋愛の反省なども含め自分のなかで内省が深まってきたこと、
そして、いろんなかたちの「人との関係性」(友達・友人・親友・シェアメイト・恋人…etc)を経験していることや、いろんな人のパートナーシップ観を聞いているなかで、
最近、自分のパートナーシップ観(こんな人と付き合いたいなぁ・こんな関係を築きたいなぁ)というものが変化してきているなぁと感じる。(変化していくのは当たり前かもしれないけれど。)
きっかけは2つあって、ひとつは今シェアハウスで男子4人と暮らしてみて感じたこと。
シェアハウスのなかには、たまに海まで散歩に出かけてお話をしたり、コーヒー豆を買いに行って、豆からコーヒーを淹れて「この豆の味いいね~」って言い合ったりするシェアメイトもいる。
たまたまお互い映画を観たいタイミングだったら、プロジェクターをつないで一緒に見たり、わたしがご飯をつくって一緒に食べて「美味しいね~」って言い合ったり。
一方で、それ以外の時間はそれぞれ好きに過ごしていて、仕事をしたり、自分の部屋で本を読んでいたり、筋トレをしていたりする。
でも、そういうそれぞれの生活のなかでたまたま交差する瞬間が、はじめに話したような、なにかの経験や食べ物を "分かち合う" 時間。
そういうのって、わざわざ友達とかを誘うほどじゃなくて、「シェアメイト」っていう友達でも家族でもない特殊な関係性だからできることなんだと、今までは思ってた。
だけど、別に「そういうパートナーシップがあってもいいんだよなぁ」ってふと思った。
普段はそれぞれの生活を営んで、たまに会ってただ美味しいものを一緒に食べに行ったり、好きな街を散歩したりと、時々 "分かち合う" 時間がある、そういうパートナーシップ。
もうひとつの変化のきっかけは、最近できた友達のパートナーシップ観がおもしろかったこと。
その友人(女の子)には7年くらい付き合っている彼氏がいるらしく、そんなに長く付き合ってるなんて自分には想像できないから、どんな関係なんだろう?と思って、「その彼氏との関係はどういう感じなの?」と聞いてみた。
そうしたら、"アパートの2個となりの部屋に住んでいる感じ" という全く想像していなかった回答が返ってきた。2個となりっていうのが絶妙。
ずっと遠距離なのもあって、たまに会って過ごしつつ、普段はそれぞれの生活をしているのが、そういう感覚らしい。他人であることを忘れない感じがしてすごく素敵だと思った。
シェアメイトの話も、友達の話も、どっちも共通しているものがある気がする。
ここまでの話で、もしかしたら「え、それって普通の恋愛関係じゃない?」って思う人もいるかもしれない。でも、最初に書いた通り、今までのわたしは与えたい愛も受け取りたい愛も大きすぎて、
そういう「たまに会う」みたいなほどよい距離感のパートナーシップ観を持てていなかった。「ずっと一緒にいたいと思えるひとを探したい」とか、「ほどよい関係からはじまったとしても、その先にはもっと深い関係になりたい」という気持ちが強かったからなのだと思う。
それ以外にも、今までは「価値観が同じひと」とか「対話ができる人」みたいなのが付き合いたいと思うひとのポイントだった気がする。
それが、「生活が時々交差して、好きな時間を分かち合えるか」と「いかに他人でいれるか」に変わったのがここ最近の出来事。これはわたしにとってかなり大きな変化。
共依存になったり自分を見失ってしまったりするような関係から、わたしがわたしでいることを大切にできる関係へ。
人って望んでいる方向に行くものだと思うから、そんな関係になれるひとを探そうと心に留めながら、人と出逢っていけたらいいなぁと思う。
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