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荀子 巻第十議兵篇第十五 2 その6

趙国の孝成王からの問いに対して、荀子は、斉<魏<秦<桓・文<湯・武、という強さの順を示しました。仁義によりととのった湯・武の軍が最強という説明でした。続きです。

故に兵は大斉なれば則ち天下を制し、小斉なれば則ち鄰敵をあや(危)うくす。の招延し募選して埶詐をとうとび功利をとうとぶの兵のごときは、則ち勝つと勝たざるとに常なく代々こもごもしぼ(斂)み代々張り代々存し代々亡びてたがいに雌雄を為すのみ。夫れ是れを盗兵と謂い、君子は由らざるなり。

(「荀子」岩波文庫 金谷治訳注)

こもごも→②互いに入れ替わるさま。かわるがわる。互いに。
雌雄→②すぐれていることと劣っていること。勝ちと負け。優劣。勝敗。
拙訳です。
『「軍隊が大きく整えば天下を制し、小さく整うのであれば近隣の敵を危うくさせられます。(それに対して)人を招き選んで勢いと偽りを尊び功績と利益を尊ぶような軍隊は、勝ち負けに常がなく交互にしぼみ交互に拡張し、交互に存立し交互に滅亡して互いに優劣を繰り返すのみです。このような軍隊を「盗兵」と言い君子は採用しません。」』

故に斉の田単でんたんと楚の荘蹻そうきゃくと秦の衛鞅えいおうと燕の繆蟣ぼくきとは是れ皆な世俗の所謂いわゆる善く用兵する者なり。是れ其の巧拙強弱は則ち未だ以て相い(似)たるもの有らざるも、其の道のごときは一なり。未だ和斉には及ばざるなり。掎契(挈)司(伺)詐権謀傾覆すること未だ盗兵より免れず。斉桓と晋文と楚荘と呉闔閭と越句践とは是れ皆な和斉の兵なり。其の域に入れりと謂うべし。然れども未だ本統あらざるなり。故に覇たるべきも王たるべからず。是れ強弱のしるしなりと。孝成王と臨武君と曰わく、善しと。

(同)

掎挈きせい→引き止める。制御する。
拙訳です。
『「斉国の田単、楚国の荘蹻そうきゃく、秦国の衛鞅えいおう、燕国の繆蟣ぼくきらは、世間では用兵の巧者と言われています。彼らの用兵の巧拙や強弱の度合いは似ていませんが、その方法の根本は同じで、「和斉(和やかに整っている)」には至っていません。騙して引き止め権謀を用いて傾け覆すやり方は「盗兵」と言われても仕方がありません。斉国の桓公、晋国の文公、楚国の荘王、呉国の闔閭、越国の句践らの軍隊はすべて「和斉」の軍隊です。「和斉」の域にあると言えますが、「本統(王者の軍隊)」には至っていません。ですから彼らは覇者ではありますが王者にはなれていません。以上が強弱のしるしであります。」孝成王と臨武君は、「良く分かった。」と答えた。』

軍隊の強弱について、斉<魏<秦<桓・文<湯・武と挙げられていましたが、前三つは国名、後ろ二つは人名です。今回前三つの中でも戦争巧者とされる斉国の田単、楚国の荘蹻そうきゃく、秦国の衛鞅えいおう、燕国の繆蟣ぼくきという人々が挙げられて人として比較できるようになりしまた。
何度も書いていますが、僕の中国古代の知識は宮城谷昌光の小説からのものが中心です。田単は「楽毅」、衛鞅(商鞅)は「孟嘗君」という作品でその名を知っており、なるほど、田単や衛鞅の軍隊でも「和斉」には届かないのか、と荀子の内容理解に役立ちしまた。
「和斉」の域にある春秋五覇の軍隊も「本統」には至らない、王道は遠いですね。

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