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荀子 巻第二十子道篇第二十九 4 #2

前回は、弟子の子路が孔子に、朝から晩まで熱心に農業に励み、親を養っている人がいますが、親孝行の評判が立たないのはなぜですか、と質問し、孔子が、その人が不敬・不遜・不順でないのであれば、友人に仁を持つ人がいないのではないかと答えたところまで読みました。
続きです。

孔子曰わく、ゆうよ、これをしるせ。吾れ汝にげん。国士の力ありと雖も、自ら其の身を挙ぐること能わざるは、力無きには非ず、勢の不可なればなり。故に入りて行の修まらざるは身の罪なり。出でて名のあらわれざるは友のあやまちなり。故に君子入りては則ちあつく行い、出でては則ち賢を友とす。何為なんすれぞ孝の名なからんやと。

(金谷治訳注「荀子」岩波書店、1962年)

志→しるす。おぼえる。記憶する。
語→かたる。かたらう。話す。述べる。ものがたる。言う。
国士→②その国で特にすぐれた人物。
罪→自分にとって不都合であること。過失。過ち。
章→⑨あらわれる。また、あらわす。
篤→物事に熱心である。もっぱらである。
拙訳です。
『孔子が言う。「由(子路)よ、このことを覚えておきなさい。君に話してあげよう。国内で特にすぐれた力を持っている人でも、自分で自分の身体を持ち上げることができないのは、力が無いのではなく、体勢としてできないからである。これと同じで内にあって孝行が不十分なのは自身の過ちであり、外に出て評判が顕れないのは友人の過ちである。だから、立派な人は内にあっては熱心に孝行し、外に出ては賢人を友人とする。どうして孝行の評判が立たないであろうか、いや必ず評判になる。」と。』

今日の僕のポイントは「自ら其の身を挙ぐること能わざる(自分で自分の身体を持ち上げることができない)」です。すごい発想です。
評判というのは、友人を介して世間が立てる者であり、自分で立てられるものではありません。どんな力持ちでも、自分で自分で持ち上げることはできないのと同じだと、言われてみればそうなのですが、見事な例え・発想です。
自分にできる事は、孝行を努めることと、友人を選ぶことです。自分でできることをしっかりやっていこうと思います。

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