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荀子 巻第五儒王制篇第九 6 その3

前回までに、彊(強)道と覇道について学びました。続きです。

[斉の]びん王の五国にやぶられ、桓公の魯の荘[公]におびやかされしは、它[他]の故なし。その道に非ずして而もはかるに王たらんことを以てすればなり。

(「荀子」岩波文庫 金谷治訳注)

拙訳です。
『斉国の閔王が五ヶ国にやぶれ、桓公が魯国の荘公に脅されたのは他でもない。王道を踏まえずに王になろうとしたからである。』

彼の王者は然らず。仁は天下にたか(高)く義も天下にたかく威も天下にたかし。仁の天下に眇きが故に天下も親しまざるはく、義の天下に眇きが故に天下も貴ばざるは莫く、威の天下に眇きが故に天下も敢えて敵する莫し。敵せざるの威を以て人を服する[仁義]の道を輔く。故に戦わずして勝ち攻めずして得られ、甲兵労せずして天下は服す。是れ王道を知る者なり。この三具を知る者は、王たらんと欲すれば王たり、覇たらんと欲すれば覇たり、彊たらんと欲すれば彊たり。

(同)

拙訳です。
『かの王者はそうではない。仁は天下に広く知られ義も天下に広く知られ威も天下に広く知れ渡っている。仁が広く知れ渡ることで誰からも慕われ、義が広く知れ渡ることで誰からも尊敬され、威が広く知れ渡ることで対抗する者はいなくなる。対抗できない威をもって人々が服する仁義の道を助けているのである。だから戦わないで勝ち攻めないでも地を得られ、武力を用いなくても天下は従ってくる。これが王道を知る者だ。この三つを知る者は、王者になりたい願えば王者なり、覇者になりたい願えば覇者になり、強者になりたいと願えば強者になる。』

仁と義だけでなく、威も必要なんですね。戦わずして勝つための威とはいえ、少し残念な気もしますが、人にはそういう力によるところがどうしてもあるものだと納得はしています。
仁も義もなく、ただ暴であるかの国に「荀子 巻第五儒王制篇第九 6」を読んでもらえたらいいのに。そして、王者とまでは行かなくても、せめて他国を友とする覇者を目指してくれたらなぁと思っています。

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