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荀子 巻第七王覇篇第十一 1 その3

前回は、仁者は少しの瑕瑾もなく礼義を全うし、天下が定まるという話でした。続きです。

仲尼は置錐ちすいの地も無きに義を志意に誠にし義を身行に加えてこれを言語に著わしたれば、せい(成功)の日には天下に隠れず名は後世にも垂れたり。今亦た天下の顕諸侯を以て義を志意に誠にし義を法則度量に加えてこれを政治に著しここにこれを貴賤殺生にき重ね襲然しゅうぜんとして終始を一のごとくならしむ。

(「荀子」岩波文庫 金谷治訳注)

仲尼→孔子のあざな
置錐の地→ほんの少しの土地のこと。 または、ひどく狭い空間のこと。 錐(きり)を立てるのが精一杯なほど狭い土地という意味から。
志意→こころざし。 こころばえ。 意志。
せい→③なす。なしとげる。
垂れる→②(ウ)のちのちまで残す。
顕→③名高い。地位が高い。
申→③かさ(重)ねる。くりかえす。
襲→③かさねる。重ね着する。また、重ねた着物。
終始→③始めから終わりまで全部。始終。
拙訳です。
『孔子は、ほんのわずかな土地も持たないが義を本当の志として自らの行動に加えて言語として著述したので、成し遂げた日にはその名は天下に知れ渡り後世に残るものとなった。今また天下の名高い諸侯が義を本当の志として、義を法律規範に加えてこれを政治に組み入れ、身分の高低に関わらず死罪の判断にもひき重ね合わせて初めから終わりまで一つのように統一させる。』

くの如くなれば、則ちの名声の天地の間にひらき発するや、豈に日月雷霆の如くならざらんや。故に曰わく、国を以て義をせば一日にしてあらわると。湯・武は是れなり。湯ははくを以てし武王はこう(鎬)を以てして皆な百里の地に[起りし]も、天下は一と為り諸侯は臣と為りて通達の属も従服せざることかりしは它(他)の故なし。義をせしを以てなり。是れ義の立てば而ち王たりと謂いしことなり。

(同)

雷霆→かみなり。いかずち。
はく→(金谷先生の訳より)河南省商邱県、地名ですね。
こう(鎬)→(金谷先生の訳より)陜西省西安。
通達→③すみずみまで通じること。また、とどこおりなく通じること。
属→④なかま。たぐい。やから。同類。
拙訳です。
『このようであれば、この名声が天地の間に開かれ発すれば、日や月や雷のように必ずなる。だから国を挙げて義を成せば一日で(その名声は)現れるというのである。殷王朝の湯王と周王朝の武王がこれにあたる。湯王ははく、武王はこうという共に百里の地から起ったが、天下は一つとなり諸侯は臣下となって隅々の者たちも服従しないものがなかった。このことに他の理由はなく、義を成したからである。先に、義を樹立すれば王者であると言ったのはこういうことである。』

義を立てれば王者になれるという具体的な説明です。
孔子は寸土も持たなかったが義を体現し言葉として残したことで後世に名を残した。殷王朝の湯王・周王朝の武王は小さな土地から身を興し義によって天下を統一し王者になったとしています。
義の肝は「今亦た天下の顕諸侯を以て義を志意に誠にし義を法則度量に加えてこれを政治に著しここにこれを貴賤殺生にき重ね襲然しゅうぜんとして終始を一のごとくならしむ。」という箇所ですが、何とか訳したものの納得しきれていません。
おさらいしておきます。

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