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荀子 巻第六富国篇第十 1 その3

前回の続きを読んでいきます。

窮するはうれいなり、争うは禍なり。うれいを救い禍を除くには則ち分を明かにして群せしむるにくは莫し。彊(強)は弱をおびやかし知は愚をおどし下は上にたがい少は長をしのぎ、徳を以て政を為さず、くの如くんば則ち老弱には養を失するの憂ありて壮者には分を争うの禍あり。

(「荀子」岩波文庫 金谷治訳注)

分→④各人にわけ与えられたもの。性質・身分・責任など。
しくはない→それに及ぶものはない。それが最もよい。
拙訳です。
『行き詰まることは憂いであり、争うことは禍である。憂いから救い禍を取り除くには身分・責任を明確にして集団化させることが最も良い。強者が弱者を脅かし知者が愚者を脅し下の者が上の者に従わず年少者が年長者をしのぎ、徳の政治を行わない、このようであれば老人弱者は養われることがないという憂いがあり、壮健の者は身分を争う禍がある。』

事業はにくむ所、功利は好む所にして、職業には分なし、くの如くんば則ち人に事をつるのうれいありて功を争うの禍あり。男女の合、夫婦の分、婚姻の娉(聘)・内(納)・送・逆(迎)に礼なし、是くの如くんば則ち人に失合の憂ありて争色の禍あり。故に知者はこれが分を為すなり。

(同)

事業ことわざ→すること。しわざ。また、仕事。
功利→功名と利得。功績と利益。また、功績や利益を上げること。
失合→配偶者を失う。
争色→② 痴情の争い。痴話喧嘩。
拙訳です。
『仕事を嫌い、功名と利益を好み、職業に身分・責任が無い、このようであれば”人に事をつるのうれいあり”功名利得を争うという禍がある。男女の出会い・付き合い、夫婦の分別、婚姻の際の各儀式に礼がなければ配偶者を失う憂いがあり痴話げんかの禍がある。だから知者は分(身分・責任)をつけるのである。』
「人に事をつるのうれいあり」の「事をつる」をうまく訳せず、そのままにしてしまいました。この箇所金谷先生は「人々が自分勝手な仕事をして」と訳されています。
もう一つ「婚姻の娉(聘)・内(納)・送・逆(迎)」を解釈できず、金谷先生の訳「婚姻の聘礼・結納・送迎」を参考にして『婚姻の際の各儀式』としました。

前回までに、人は一人では生きていけない、集団生活が必要だかそこには分がなければならないということでした。そして今回もその分の大切さを説明しています。
分の解釈として、「身分」というのは使い方を間違えると差別になってしまうため、訳し方にも気を使ったつもりでいます。「封建的社会における上下の序列」の身分は良くありませんが、「集団・組織における、その人の地位・資格」は組織統制上絶対に必要だと思います。ただ課長から部長になると「偉くなる」という感覚がどうも苦手です。分を辞書から抜粋して「身分・責任」と訳してきましたが、「権限・責任」の方が良かったかもと、今さら考えています。
もう少し考えます。

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