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荀子 巻第二十哀公篇第三十一 2 #1

孔子曰わく、人に五儀あり。庸人ようじんあり、士あり、君子あり、賢人あり、大聖ありと。哀公曰わく、敢えて問う、何如いかなればすなわち庸人と謂うべきかと。孔子こたえて曰わく、所謂庸人なる者は、口に善言をうこと能わずして心に邑邑ゆうゆう(悒悒)を知らず、賢人善士を選んで其の身を託して以て己れが憂をおさむることを知らず、動行に務むる所を知らず、止立に定まる所を知らず、日々に物を選択して貴ぶ所を知らず、物に従いて流るるが如くして帰する所を知らず、五さくは正たるも心は従いてこわる。くの如くなれば則ち庸人と謂うべしと。

(金谷治訳注「荀子」岩波書店、1962年)

儀→(注より)「五儀」について、楊注は五つの儀法としたが、王念孫は儀に等の意味があることを明かにした。
庸人→凡庸な人。 普通の人。 一般の人。
士→学問や知識のすぐれた人。
君子→学識・人格ともにすぐれた、りっぱな人。人格者。
賢人→聖人に次いで徳のある人。また、かしこい人。賢者。
大聖→聖人の中でも特にりっぱな人格を備えている人。最もすぐれた聖人。
何如→どうか。どう考えればよいか。
斯→「すなわち」と読み、「~であれば~となる」「~したら~する」などの意を表す。
所謂→世間一般に言われる。俗に言う。よく言う。
善言→ためになるよい言葉。戒めとなる言葉。
道→いう。語る。述べる。唱える。
邑邑→②うれえるさま。(注より抜粋)劉師培は謙退して自足せざるさまだいう。謙退→へりくだって控え目にすること。また、そのさま。
為→おさめる。まとめる。統治する。
動行→動き行う。行うこと。行動。
務→つとめ。仕事。役目。
止立→挙止。挙止→立ち居振る舞い。挙動。挙措 (きょそ) 。
帰→物事が最終的に落ち着く。おさまる。
五鑿→(注より抜粋)楊注に一説を引いて、五鑿は五情のこと、『荘子』の注で六鑿を六情(喜怒哀楽好悪)と解している、という。五情は喜怒哀楽怨。
拙訳です。
『孔子が、「人には五つの等級があります。それらは、庸人という普通の人、士という知識人、君子という学識・人格ともに優れた人、賢人という聖人に次ぐ徳のある人、大聖という聖人の中でも特に立派な人格を備えている人です。」と言うと、哀公が、「わざわざ質問するが、どのようであれば庸人と言うべきかな。」と問われた。孔子がそれに答えて言った。「世間一般に言われる庸人という人は、ためになる良い言葉を口にすることなく、心が憂え謙虚にするということを知らず、賢人や善士に身を託して(その指導により)自分の憂いを治めることを知らず、役目を理解せず行動し、立ち居振る舞いには一定の法則が無く、日々物を選ぶのにどこを大切にして選ぶか分からず、物に従い流されるようで落ち着く所を知らず、五つの感情は正しいのですが、感情のままに従うことで心が壊れます。このようであれば、つまり庸人・普通の人と言えます。」と。』

孔子は哀公に、人には五等級がありますと言い、庸人・士・君子・賢人・大聖を挙げました。哀公が、その中で庸人と言うのはどんな人かと問うと、孔子は、戒めの言葉を言わず、謙虚さを知らず、学んで修めることを知らず、目的を理解せず行動するので一貫性が無く、基準無く物を選ぶために物に流されて落ち着く所を知らず、感情は正しくても感情のままに生きるために心が壊れているのが庸人であると説明しています。
続きは次回とします。


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