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荀子 巻第二十堯問篇第三十二 3 #1

伯禽はきんまさに魯に帰せんとせるとき、周公は伯禽のに謂いて曰わく、なんじまさに行かんとす、んぞなんじの子の美徳をしるさざるやと。対えて曰わく、其の人とりは寛にして、好んで自ら用い、以て慎しむ。此の三者こそ其の美徳なりと。周公曰わく、嗚乎ああ、人の悪を以て美徳とすか。君子は好むに道徳を以てす、故に其の民も道に帰するなり。の寛なるは辨[別]なきよりず。[而るに]なんじは又たこれをむ。

(金谷治訳注「荀子」岩波書店、1962年)

伯禽→中国,周の諸侯の一人。周公旦の長男。魯国の創始者。
帰→④おもむく。ゆく。
傅→もり。もり役。そばに付き添う。
盍→「なんぞ~ざる」と読み、「どうして~しないのか」の意を表す。
子→①こ。(ア)むすこ。また、むすめ。
志→しる。
帰→物事が最終的に落ち着く。おさまる。
辨→見分ける。違いをあきらかにする。
拙訳です。
『周公旦の長男である伯禽が、今にも魯国の地に赴こうとしたときに、周公旦は伯禽のつきそいの者に、「君は今にも出発しようとしているが、どうして息子の美徳とするところを知らせないのか、いや、知らせて欲しい。」と言い、つきそいの者がそれに答えて、「伯禽様の人となりは寛大で、好んで自ら行動され、そして慎重です。これら三点が伯禽様の美徳でございます。」と言った。周公旦が言う、「ああ、人としての悪い点を美徳とするのか。君子というのは道徳を好む者であり、だからその民も道徳におさまるのである。その寛大というものは違いを明らかにできないことから生じる。であるのに君はこれを美点とする。」』

の好んで自ら用うるは是れ窶小くしょうなる所以なり。君子は力は牛の如くなりとも牛と力を争わず、走ること馬の如くなりとも馬と走ることを争わず、知は士の如くなりとも士と知を争わず。彼の争なるは均[敵]する者の気なり。[而るに]女は又たこれをむ。彼《か》の慎しむは是れ其のせまき所以なり。[我れ]これを聞く、曰わく、越踰として士にまみえざることなかれ、と。士に見えては問いて、乃ち不察(明)なること無からんや、と曰う。問わざれば即ち者の至ること少なく、至ること少なければ則ちせまし。せまきは賤人の道なり。[而るに]女は又たこれをむ。

(金谷治訳注「荀子」岩波書店、1962年)

窶小→礼義がなく、器量の小さいこと。一説に単に小さい意。
士→学問や知識のすぐれた人。
均→ひとしい。ならす。同じ。同じにする。
浅→あさい。あさはか。知識や思慮が乏しい。
越踰→とびこえる。順序をとびこす。一説に、一日を過ごす意という。
見→まみえる。人に会う。対面する。
せざることなかれ→しないことを禁止する。二重否定=強調された肯定。
察→あきらか。みる。しる。あきらかにする。よく見る。くわしく知る。くわしく調べる。
至→いたる。とどく。ゆきわたる。およぶ。ゆきつく。
賤人→ 身分の低い人。 賤者。
拙訳です。
『「その好んで自ら行動するというのは器量が小さいからである。君子というものは力が牛ほどにあっても牛とは競争しないし、走ることが馬ほど速くても馬とは競争しないし、知恵が学者のようにあっても学者と競争はしないものである。競争すると言うのは同じレベルというものの気持ちである。であるのに君はこれを美点とする。その慎重であるというのは浅慮だからである。こう聞いている、順序を越えてでも学者に会いなさいと。学者に会っては、私に知らない事がないだろうか、と質問をする。質問をしなければ答えに行き着くことは少なく、答えに行き着くことが少なければ結果として浅慮になる。その浅慮というのは、身分の低い人の道である。であるのに君はこれを美点とする。』

周公旦は、息子である伯禽が魯国の君主として赴任するにあたり、伯禽の側近の者に、伯禽の美徳を挙げさせます。側近の者は、伯禽様は①寛大で、②好んで自ら行動し、③慎重であられます、と答えますが、周公旦はそれら三つは人の良くないことろだと嘆きます。
①寛大というのは決められないから、②自ら動くのは君主の立場を措いて競争したがるから、③慎重というのは人に問わず浅慮だからであるとしています。
続きは次回とします。

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