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荀子 巻第二十哀公篇第三十一 1

魯の哀公、孔子に問いて曰わく、吾れ吾が国の士を論じてこれとともに国を治めんと欲す。えて問う、如何いかにしてこれを取らんやと。孔子こたえて曰わく、今の世に生まれていにしえの道に志し、今の俗に居りて古えの服を服す、此れに(処)りて非をす者は亦たすくなからずやと。

(金谷治訳注「荀子」岩波書店、1962年)

士→学問や知識のすぐれた人。
論→⑥えらぶ。⇛掄
与→ともに。いっしょに。つれだって。
舎→置く。
取→とる。選びとる。採用する。
志→こころざす。ある目的や目標に心を向ける。
非→わるい。あやまち。まちがい。不正。
鮮→すくない。まれである。
拙訳です。
『魯の哀公が、孔子に次のように質問された。「私は我が国の学問や知識のすぐれた人を選んで一緒に国を治めたいと望んでいる。わざわざ聴くのだが、どうやってそのような人を選び採用すればよいだろうか。」孔子が答えて言う、「今の世に生まれていながら古代の道義に心を向け、今の風俗にありながら古代の服を着ている、このような者たちに悪い事をする人はまれでしょう。」と。』

哀公曰わく、然らば則ち章甫しょうほ絇屨こうくしんしてこつさしばさむ者はな賢なるかと。孔子対えて曰わく、必ずしも然らず。[然れども]の端衣・玄裳・べんしてに乗る者は、志、葷を食うことに在らず。斬さい菅屨かんく、杖つきてかゆすする者は、志、酒肉に在らず。今の世に生まれて古えの道に志し、今の俗に居りて古えの服を服す、れにりて非を為す者は、有りと雖も亦たすくなからずやと。哀公曰わく、善しと。

(金谷治訳注「荀子」岩波書店、1962年)

章甫→中国いん代のかんむりの名。
絇→くつかざり。くつの先につける飾りのひも。
屨→くつ。はきもの。
紳→大帯。高位の人が礼装に用いた太い帯。
笏→官位のある者がもつ細長い板。しゃく。
搢→差す。差し挟む。笏(しゃく)を帯に挟む。
比→⑧おなじ。ひとしい。
端衣→祭祀のときの礼服。
玄裳→黒色の下衣。
絻→冠。=冕
路→⑨くるま。⇒輅
葷→にんにく・にら・ねぎなどの臭いの強い野菜。からい野菜。
斬衰→最も重い喪服。 麻で作る。
菅屨→わらぐつ。
啜→すする。汁などをすすり飲む。
拙訳です。
『哀公が言われた。「そうであれば、殷の時代の冠・章甫をかぶり、つま先に飾りがついた靴を履き、礼装用の太い帯をし、笏を帯に差した者は皆等しく賢者であるか。」と。孔子が答えて言う、「必ずしもそうではありません。[けれども]あの礼服に黒色の下衣、冕の冠を付けて車に乗り祭祀に行く者は、(身を清めるためには忌まれる)臭いの強い野菜を食べたいと思いません。麻の喪服を着て藁沓を履き、杖を突いておかゆをすすって喪に服する者は、酒や肉に心を動かすことはありません。今の世に生まれていながら古代の道義に心を向け、今の風俗にありながら古代の服を着ている、このような者たちに悪い事をする人は、居たとしても少ないでしょう。」と。哀公は、「よく分かった。」と仰った。』

哀公に賢人とともに政治をしたいが、どのようにして賢人を集めればよいかと問われた孔子は、今の世に在りながら古代の道義を志し、今の風俗に居ながら古代の服を着ている人に賢人が多いと答えています。
古代の服を着ていれば皆賢人だろうかという哀公の質問には、(古代からの)喪服を着て喪に勤める人に悪い人は少ない答えています。
孔子の門人は、礼の勉強として古代の道義を勉強していますし、古代の服装にも通じ、実際に着ていたのかもしれせん。と、考えると、哀公の質問に対して、孔子はちゃっかり自分の弟子たちを推薦したようにも取れます。僕の勝手な想像ですが、そんな風に考えると孔子という人が身近に感じられて面白いです。

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