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荀子 巻第十議兵篇第十五 4 その2

軍制に対する問いに荀子が答えています。
続きです。

微子開びしかいは宋に封ぜられ、曹触竜そうしょくりょうは軍に断[切]され、殷の服せる民にはこれを養生する所以の者は周の人に異なること無し。故に近き者は歌謳かおうしてこれを楽しみ、遠き者は竭■1けっけつしてこれにおもむき、幽閒辟陋の国も趨使してこれを安楽せざること莫く、四海の内は一家のごとく通達のたぐいは従い服せざるは莫し。夫れ是れを人の師(長)と謂う。詩に、西よりし東よりし、南よりし北よりして、服すせざるは無し、と曰えるは此れを謂うなり。

(「荀子」岩波文庫 金谷治訳注)

■1→厥の下に足という字です。
微子開びしかい→(注より)楊注にいう、殷の紂王の庶兄で名は啓という、ここで開というのは漢の景帝の諱をさけて劉向が改めたものであろうと。
曹触竜→臣道篇第十三の六に「曹触竜の紂に於けるが若きは国賊と謂うべし。」とありました。悪者ですね。
竭蹶→つまずいて倒れる。
幽閒→①はるかに遠くへだたる。遠くて辺鄙。また、その所。
辟陋→②土地が中央から遠くて文化の低いこと。また、その土地。③かたいなか。
師→①教え導く人。手本となる人。先生。
拙訳です。
『「[周の武王が紂をたおしたとき紂の兄である]微子啓は宋国を封ぜられ、曹触竜は軍に切り殺され、殷の民でも周に服してきた人は周の民と変わることなく統治されました。ですから近くの人は歌を歌って治世を楽しみ、遠くにある人はつまづき倒れながらもやってきて、もっと遠くの辺鄙な国からも走って来て使役され安心して楽しまないものはなく、天下は一家のようになり法令・通達などに服さない者はいません。このようなことを人の師と言うのです。詩経に❝西からも来て東からも来て、南からも来て北からも来て、従わないものはいない❞というのは、この事を言うのです。」』

王者は誅あるも戦なし。城の守りたるは攻めず兵のてむかうは撃たず、上下の相い喜べば則ちこれを慶し、城をほふらず軍をひそかにせず衆を留めず[出]師は時を越えず。故に乱[国]の者は其の政を|
楽《ねが》い、其のきみに安んせずして其の至らんことを欲すなりと。臨武君曰わく、善しと。

(同)

至る→④㋐広い範囲に及ぶ。行きわたる。
拙訳です。
『「王者には罰することはあっても戦争はありません。城が守られていたり抵抗があれば攻撃せず、相手の君臣が揃って喜べばそれを祝い、敵を打ち負かさず軍隊を秘密に動かさず民衆を長く留め置かず出陣は時節を外しません。ですから乱れた国の民衆は王者の国の政治に憧れて、自国の君主に満足せず、王者の国の範囲に加わることを願うのです。」臨武君は「良く分かりました。」と答えた。』

王者は戦わずして勝つという内容です。
敵国民が降伏すれば自国民と変わらぬ待遇をするなど寛大な政治をすることで、東西南北の隣国は固より遠国からも走ってきて仕えるようになるとし、結果として、戦争は不要となります。
「王者は誅あるも戦なし。」至言です。
冬に向かい寒くなり、電力が必須となるのを逆手に、発電所への攻撃を続けるあの国の大統領に、紀元前三世紀にすでに荀子は「王者は誅あるも戦なし。」と言っていたことを教えてあげたいです。学んでほしいです。

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