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荀子 巻第三仲尼篇第七 1 その1

今回から「仲尼篇」となります。
今回の話は、古代中国・春秋時代に五覇(五人の覇者)の筆頭に挙げられる斉の桓公についての話です。周王朝を建てた周王の力が衰えてきたため、周王に代わり各国間の調整をした実力者を覇者と言います。宮城谷昌光の小説が好きなので、『桓公知っているぞっ。』とちょっと嬉しいです。

仲尼の門にては五尺の豎子じゅしものいうに五を称することを羞じたりと、是れ何ぞや。曰わく、然り。

(「荀子」岩波文庫 金谷治訳注)

拙訳です。
『孔子の一門においては、背の低い子供でも五覇を褒めることを恥かしい事とする、これは何故か。答えて言う、その通りだと。』
孔子学派においては、小さな子供でも五覇を褒めないのには理由があるとしています。その理由として、桓公の次のような悪事が挙げられています。

  • 兄を殺して国主の地位をを争った。

  • 姑姉妹の面倒を見なかった→嫁せざる者七人あり。

  • 家庭内においてはぜいたくで斉国の財政の半ばをさいても足らない。

  • 外においては、諸外国を偽り襲いその数35にものぼる。

これらをもって、何で大君子の孔子、その学派に称えられようかとしています。
では、このようであったにもかかわらず、滅びず覇と称賛されているの何故か。と新しい問いを投げかけます。

曰わく、於乎ああの斉の桓公には天下の大節あり、夫れれか能くこれを亡ぼさん。

(同)

大節→①人の守るべき大きな節操。大切なみさお。君臣・父子・男女などの間における節義。②国家の存亡にかかわる重大事。
拙訳です。
『答えて言う、ああ、なんと斉の桓公には人としてあるべき節操があり、それにより誰も彼を滅ぼすことができなかったのだ。』
大節の具体的な内容として、次の事が挙げられています。

  • 管仲に国を託するに足りる才能があることを見抜いたのは大知である。

  • 怒りを飲み込み、あだを忘れて管仲を用い、遂には父に次ぐ人(仲父)として尊敬したのは英断である。

  • 管仲を立てたのち、親類縁者に管仲を妬むことをさせ無かった。譜代の重臣と同じような地位を授けたが、家臣から妬む声をあげさせなかった。

桓公に順う親戚縁者から譜代の家臣の端々に至るまで、管仲を貴敬しない人がいないようにしたのは、天下の大節であり、この一事を以てして誰も桓公を滅ぼすことはできない、覇と言われているのももっともなことだと認めています。
例に挙げた「怒りを飲み込み、あだを忘れて」というのは、桓公は管仲に殺されそうになったことがあったからです。その過去を無きものとして管仲を採用した大度を褒めているわけです。

桓公が覇と呼ばれることを認めた荀子はここで最初に戻り、では何故孔子学派であれば子供も五覇を褒めることを羞じるのか、改めて問うています。
その答えは!?
この続きは次回、明日以降にします。


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