見出し画像

荀子 巻第二十哀公篇第三十一 3

魯の哀公、舜の冠を孔子に問う。孔子こたえず。三たび問えるも対えざれば、哀公曰わく、寡人かじん、舜の冠をに問えるに、何のゆえこたえざるやと。孔子対えて曰わく、いにしえの王者はぼう(冒)にしてこう(曲)領なる者も有りしも、其の政は生を好みて殺をにくめり。是のゆえに鳳は列樹に在り、りんは郊野に在り、烏鵲かささぎの巣も俯してうかがうべきなり。君、此れを問わずして舜の冠を問う。対えざる所以なりと。

(金谷治訳注「荀子」岩波書店、1962年)

寡人→《徳の寡 (すく) ない者の意》一人称の人代名詞。王や諸侯が自分自身をさしていう。
子→先生や師、学問や地位のある人に対する敬称。
以→ゆえ。わけ。理由。
言→①いう。(イ)かたる。話す。
務→🈪②ずきん。かぶりもの。また、かぶる。
拘領→まるえり。質素なえり。
鳳→おおとり。めでたいときに現れるとされる伝説上の鳥。鳳凰ほうおう。雄を「鳳」雌を「凰」という。
列樹→つらなり並ぶ樹木。
麟→「麒麟きりん」は想像上の動物。聖人が世に現れたときに姿をみせるとされる。「麒」が雄、「麟」が雌。
郊野→町はずれの野原。郊外の野原。
烏鵲→カササギの別名。
俯→ふす。ふせる。うつぶす。うつむく。うなだれる。顔や身体を下に向ける。
窺→②見る。
鳳~烏鵲→(注より)鳳凰と麟は聖王があらわれると出現すると伝えられる想像上の瑞鳥と瑞獣。烏鵲の巣が低い所にあるというのは王者の慈愛が鳥にも及んだことを示す。
拙訳です。
『魯国の哀公が、聖帝・舜の冠について孔子に質問をした。孔子は答えなかった。三回質問しても答えなかったので、哀公は、「自分は先生に、舜の冠について尋ねているのにどういう訳で話してくれないのか。」と言った。孔子が答えて言う、「古代の王者には、(冠ではなく粗末な)頭巾をかぶって、質素なえりの(服を着ている)方もいましたが、その政治は人を生かすことを好み、殺すことを憎んでいました。こういうことから、瑞鳥と言われる鳳が木々に(当たり前のように)見られ、瑞獣と言われる麟は町はずれの野原に(当たり前のように)見られ、カササギの巣も(王者の慈愛に安心して)下を向いて見られたのです。君は、これらの(徳に関する)ことを問われずにただ舜の冠について問われました。これが答えられなかった理由です。」と。』

哀公か三度も「舜の冠はどのようなものだったのかな。」と質問しますが、孔子は答えません。業を煮やした哀公が、「どうして答えないのか!」と詰問します。すると孔子は、「古代の聖王には冠という立派なものではなく頭巾をかぶっていた人もいますが、木々には瑞兆である鳳凰が並び、近郊には瑞獣である麒麟が遊び、カササギも聖王の慈愛に魅かれて巣を下に作るほどでした。冠よりも先に問われることがあったからです。」と答えています。
聖王と言わる舜ですが、冠が立派だったから聖王と言われるのではなく、その治政が立派だったから聖王と言われているのです。孔子は、舜のうわべを真似るのではなく、本質をきちんと知り本質を真似てほしいと願ったのですね。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?