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荀子 巻第三非十二子篇第六 1 その5

若し夫れ方略をべ言行をひとしくし統類を壱にし、而して天下の英傑をあつめてこれに告ぐるに大道を以てしこれに教うるに至順を以てし、奥窔おうようの間・簟席たんせきの上にも歙然きゅうぜんとして聖王の文章具わりふつ(勃)ぜんとして平世の俗起こらば、則ち六説者は入ること能わず十二子者もちかづくこと能わず。置錐の地も無きに而も王公もこれと名を争うこと能わず、一大夫の位に存りながら則ち一君も独りとどむること能わず一国も独り容るること能わず、成(盛)名もて諸侯におくり臣と為さんことを願わざるは莫し。是れ聖人の勢を得ざる者にして仲尼と子弓とは是れなり。

(「荀子」岩波文庫 金谷治訳注)

方略→①はかりごと。手段。方針。
統→⑤のり。きまり。物事のしめくくり。綱紀。
大道→②人の行うべき正しい道。根本の道徳。
至順→この上なく従順なこと。
奥窔おうよう→調べたのですが奥窔おうようはなく、窔奥がありまた。窔奥→部屋の東南の隅と西南隅。暗くて奥深いところ。
簟席たんせき→細いあしで編んだむしろ。ござ。辞書の読みは「てんせき」でした。
歙然きゅうぜん→あつまるさま。一致するさま。
仏然ふつぜん→いかる様子。
況→⑧はなはだしい。
勢→①いきおい。(ウ)他を制する力。威力。権力。
拙訳です。
『方針を統括し言行を等しくして国家の規律を一つにして、天下の英傑を集めて人としての正しい道を伝え、この上なく従順なことを教えれば、暗くて奥深い部屋や筵の上にも(天下の隅々にまで)聖王の文章(大道・至順)が集まり整えられ、(大道・至順を知った)一般人が(聖王の治と異なる現状に)怒り起これば、先の六説は入り込めず、先の十二人は彼らに近づくこともできない。少しの土地も持たないのに王公でさえ彼らと名誉を争えず、大夫の位にあっても誰も彼らを留め、国に用いることができず、(しかし)その盛名は甚だしく諸侯は皆臣にしたいと願う。聖人の権力は得ていない仲尼(孔子)と子弓がこれである。』
子弓について、「荀子」の書中でしばしば孔子とならんで尊敬される人物であるが、それがどういう人物であるかは明確ではない、との注があります。

僕の理解は、

  • 仲尼(孔子)と子弓が綱紀を一つにして、天下の英雄を集めて指導すれば、大道・至順を世間の隅々まで、一般人にまで行き渡らせられる。

  • その教育を受けた一般人が現状に不満を持ち立ち上がったとき、先に非難した六説・十二人は無用の存在になっている。

  • 寸土も持たず何の権力もない仲尼(孔子)と子弓だが、その盛名はとどまる所を知らず、すべての王公大夫が臣にしたいと願っている。

です。
簡単にまとめようとしたのに、簡単にできていないですね…。頭悪いな~。

その5まで引っ張ってしまいましたが、次回その6で完結できそうです。


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