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荀子 巻第十一彊国篇第十六 8

凡そ姦人の起る所以は、上の義を貴ばず義をつつしまざるを以てなり。夫れ義なる者は、人の悪と姦とを為すことを限禁する所以の者なり。[而るに]今、上は義を貴ばず義を敬しまず、くの如くなれば則ち下の人百姓も皆な義を棄つるの志ありて姦に趨るの心あり。此れ姦人の起る所以なり。

(金谷治訳注「荀子」岩波書店、1962年)

姦人→わるがしこい人物。 わるだくみをする人。 心のよこしまな人。 ねじけもの。わるもの。
限→ ②かぎり。くぎり。さかいめ。はて。
上→①かみ。(ウ)政府・官庁などに対する尊称。
拙訳です。
『だいたい悪者が生まれる理由は、政府が正義を尊ばず正義を慎まないところにある。その正義と言うものは、人の悪や邪を限り禁ずる根拠となるものである。それなのに今、政府は正義を尊ばずまた慎まず、このようであれば民衆も皆正義を棄てる気持ちになり、邪に走る心が生まれ、これが悪者が生まれる理由である。』

且つ上なる者は下の師なり。の下の上に和するは、これをたとうるに猶お響きの声に応じ影の形にるがごとし。故に人の上たる者は慎まざるべからざるなり。夫れ義なる者は、内は人を節して外は万物を節する者なり。上は主を安んじて下は民を調ととのうる者なり。内外上下に節するは義の情なり。

(金谷治訳注「荀子」岩波書店、1962年)

和→②やわらぐ。(ウ)しずまる。したがう。たいらぐ。平穏である。
節する→限度を越えないようにする。控えめにする。
情→②まこと。(ウ)ことわり。真理。
拙訳です。
『かつまた、政府は民衆の指導者である。民衆が政府に従うことを例えれば、響きが声に応じて影が形に似るようなものである。だから政治を行う者は慎まなければならない。正義と言うものは、内には人を控えめにして、外には万物を控えめにするものである。政府を安泰にしては民衆を整えるものである。内外上下を控えめにさせるのは正義の真理である。』

然らば則ち凡そ天下をおさむるの要は、義をもとと為して信これに次ぐ。古者いにしえ、禹・湯は義に本づき信を務めて天下治まり、傑・紂は義を棄て信にそむきて天下乱れたり。故に人の上たる者は、必将かならず礼義を慎しみ忠信を務めて然る後に可なり。此れ人に君たる者の大本なり。

(金谷治訳注「荀子」岩波書店、1962年)

忠信→忠と信。まごころをこめ、うそいつわりのないこと。
拙訳です。
『であれば天下を治める要は、正義を基本として信用はその次である。古代、禹王・湯王は正義に基づきその次に信用に務めたので天下は治まり、暴君桀・紂は正義を捨て信用に背いて天下を乱してしまった。だから政治を司る者は、必ず礼と正義を慎んで、忠信に務めてそうすれば後に善く治まる。これが人を治める者の大本である。』

まとめます。
正義は、姦悪を禁ずる根拠となるものである。
民衆は政府に従う者であり、政府が正義を行わないと、民衆は姦悪に走ることになる。
正義の真理は、内外上下(人・万物・政府・民主)を控えめにさせる。
天下を治める根本は正義、信はその次であり、治世者が礼義を慎み忠信に務めれば世の中は善く治まる。

今の政府を、義と信という面から見直してみると、今までとは違った評価に気付くかもしれません。
義を正義と訳しましたが、日本の正義とアメリカの正義、中国の正義、ロシアの正義、各国の正義が同じではないところが難しいです。義は一つかもしれませんが、正義は実は色々ありそうです。難しいです。

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