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荀子 巻第十八成相篇第二十五 2 #1

請う、相を成して、[治]法のみちを辨ぜん。至治の極は後王にえることなり。しんとう]・ぼくてき]・季[子]・恵[施など]、百家の説は誠に(祥)からず。治は一(後王)に復える[に在り]。これを修むるは吉なり。君子はこれをまもりて心結ぶが如く、衆人はこれをうたがい、讒夫はこれを棄てて形(刑)を是れおさ(治)む。

(金谷治訳注「荀子」岩波書店、1962年)

相→労働歌の一種。
方→やりかた。手段。技術。
辨→⑥あきらか。また、あきらかにする。
至→この上ない。きわめて。いたって。非常に。
後王→あとから王となる者。後世の王。また、今の王。
復→かえす。もどす。もとにもどす。
しんとうぼくてき・季子・恵施→(注より抜粋)季子が明かでない他は、みな有名な思想家。
詳→よい。めでたい。
一→もっぱら。ひたすら。
執→とる。しっかりと守る。しっかりと保つ。
弐→⑪うたがう。
衆人→②普通の人。凡人。
形→⑥のり。しおき。⇛刑め
詰→①せめる。なじる。責め問う。⑤おさめる。
拙訳です。
『歌の形式を借りて、法治のやり方を明らかにしよう。この上の無い法治の極みは近代の王のやり方に戻すことである。しんとうぼくてき・季子・恵施などの多くの説は本当に良くない。法治はひたすら近代の王のやり方に戻るのが良い。これを修得すれば吉である。君子は心を結ぶようにこれをしっかりと守り、普通の人はこれを疑い、邪な人はこれを捨て刑罰により治める。』

水は至平なれば、端[正]にして傾かず。心術くの如くなれば聖人にたり。一にして而も埶(勢)あり直にして而もゆだめ(弓矯)を用うれば必ず天にもまじわらん。世に王(者)なければ、賢良をくるしめん。暴人は芻豢すうけんにて仁[ひと]は糟糠、礼楽はほろんで聖人は隠れ伏し墨術行わる。

(金谷治訳注「荀子」岩波書店、1962年)

端→ただしい。正直。まっすぐ。きちんとしている。
心術→心の持ち方。心ばえ。
直→正しい。曲がっていない。すなお。まっすぐ。なおい。
枻→ゆだめ。弓の曲がりを正す道具。
一→⑩おなじ。
参→④ならぶ。ならんで三つとなる。⑧わける。分割する。
窮→きわまる。行き詰まる。苦しむ。
芻豢→牛、羊、豚、犬など、人間が飼育して、食用や労役などに用いるけもの。
糟糠→①酒かすと米ぬか。転じて、粗末な食べ物。
息→やむ。やめる。終わる。途絶える。
伏→ふす。ふせる。かくれる。身を隠す。待ちぶせする。
墨→「墨家ぼくか・ぼっか」の略。
術→すべ。方法。てだて。手段。はかりごと。たくらみ。計略。
拙訳です。
『水は真っ平にあれば、まっすぐにして傾かない。心の持ち方がこのようになれば聖人に似てくる。聖人と同じでありしかも勢いがあって、正しく曲がっていないのにさらにゆだめを用いるのであれば天の働きにも並ぶだろう。世の中に王者がいなければ賢良な人は苦しむことになるだろう。(そのようであれば)乱暴者が牛や豚の肉の豪華な食べ物で、仁ある人が粗末な食べ物に、礼や音楽は滅び途絶えて、聖人は身を隠して墨家の方法が行われる。』

後王に立ち返れという説ですが、以前後王を調べた記憶はありますがすっきりしません。ちゃんと注がありましたので転載します。

後王思想は荀子の特色ある思想で、異端の諸説が多く古代に託して論説するのに反撥したものである。不苟篇第三注十五参照。
不順篇第三注十五→「後王」楊注にいう、当今の王なり、後王の道も百王と異ならず、堯舜[の道]を行えば是れも亦た堯舜なることをいうと。

(金谷治訳注「荀子」岩波書店、1962年)

続きは次回とします。

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