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荀子 巻第七王覇篇第十一 12 その3

前回まで、君主は礼を元に愛をもって下位者に対応すれば、下位者はそれぞれの職分で役割を果たし、君主は腕を組んでいるだけで良くなる。こまごまとした仕事は官人使吏に任せれば良く、君主は公正を確立し宰相に仁者を任命することだ、ということを学びました。
続きです。

故に当を一人(宰相)に能くすればすなわち天下も取れ、当を一人に失すれば而ち社稷も危うし、当を一人にも能くせざるに而も当を千人百人に能くする者は説としてこれ有ること無きなり。既に当を一人に能くすれば則ち身は(又)た何の労をか為さん。[高き者は]衣裳を垂れて天下も定まる。

(「荀子」岩波文庫 金谷治訳注)

当→③わりあてる。うけもつ。
拙訳です。
『だから宰相一人の人選を正しくすれば天下も取れ、宰相一人の人選を誤れば国家も危うくなり、一人の人選も正しくできないのに千人百人の人選を正しくできる者は一般論としてありえない。一人の人選を正しくできれば他に何の苦労があろうか。(宰相の人選が正しければ)衣裳を垂れるだけで天下も定まる。』

故に湯は伊尹を用い文王は呂尚を用い武王は召公を用い成王は周公を用いたり。且つひくき者は五たり。斉の桓公は閨門の内に懸楽奢泰し遊抏(玩)になら(習)い、天下に於いて脩まれりとは謂われず、然るに諸侯を九(鳩)合し天下を一匡(正)して五伯の長と為りしは、是れ亦た它(他)の故無し、政を管仲に一にすることを知ればなり。是れ人に君たるものの要守なり。知者はこれが為めに力を興し易くして而して功名はきわめて大なり。是れを捨てていずれか為すに足らん。故にいにしえの人の大功名ある者は必ず是れにりし者なり。其の国をうしない其の身を危うくせし者は必ず是れに反せし者なり。

(同)

閨門→②夫婦の間柄。家庭内の事情。
懸楽奢泰→(注より)懸楽とは簨簴かねかけの類、奢泰は奢汰に同じ。奢泰→ぜいたく。
遊玩→玩び遊ぶ。
習う→慣れ親しむ。
鳩合→ある目的のもとに人々を寄せ集め、まとめること。
拙訳です。
『だから、殷王朝の湯王は伊尹いいんを登用し、周王朝の文王は呂尚(太公望)を登用し、武王は召公を登用し、成王は周公を登用した。これらの王には劣るものながら春秋時代の五覇が挙げられる。斉国の桓公は家庭内にぜいたくな鐘かけを持ち遊びに慣れ親しみ、人々から整った人とは言われなかったが、それでも諸侯をまとめて天下を正しく一つにして、五覇の筆頭に挙げられるのは、他の理由はなくただ政治を宰相の管仲に一任することを知っていたからである。これは君主たる者の守るべき要である。この要を知る者はこれを知るがために勃興しやすく、功名は極めて高くなる。この要を捨てては達成するのに不足がでる。だから歴史に功名を残す人は必ずこの要によった人である。国を失い、自身を危うくしたものは必ずこの要に反したものである。』

故に孔子曰く、知者の知は固よりすで(已)に多きに(又)た以て少を守る、能く察なること無からんや。愚者の知は固よりすでに少なきにた以て多を守る、能く狂なること無からんや、とは此れを謂うなり。

(同)

拙訳です。
『孔子先生は言われた。「知者の知は元々すでに多くあるのに、(その多さをもって)少ないところ守る、明察でないことがあろうか。愚者の知はもともと少ないのにそれで多くを守ろうとする、これで狂わないことがあろうか。」というのはこの事を言うのである。』

今回、宰相を選びをきちんとすれば、国は盛んになり功名が成ることを学びました。君主になることはまずありませんので、組織を任されたときは、いかに仕事を任すことが出来るサブを『当』するかが肝心と置き換えて読みました。
最後に孔子の言葉が引用されています。何でもやりたがる自分は、将に「知は固よりすでに少なきにた以て多を守る」ではないかと、赤面し落ち込みました。が、愚者だからこそこそコツコツ知を積み上げる楽しみがあるではないかと、愚者ならではの楽観的思考で乗り切ろうと思います(^^

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