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荀子 巻第十二正論篇第十八 2 #1

世俗の説をす者は曰わく、けつちゅう天下をたもちしに、とう・武はさんしてこれを奪えりと。是れ然らず。桀・紂を以て嘗て天子の籍(位)を有てりと為すは則ち然り。みずから天子の籍を有てりとは則ち然るも、天下、傑・紂に在りと謂うは、則ち然らず。

(金谷治訳注「荀子」岩波書店、1962年)

親→④みずから。みずからする。
拙訳です。
『世の中の風俗に染まる者は次のように言う、「夏王朝の傑王・殷王朝の紂王が天下を治めていたのを、湯王・武王が簒奪した。」と。これは違う。桀王・紂王がかつて天子の位にあったとするのは正しい。自ら天子の位にあったとするのは正しいが、天下を治めたということは違っている。』

古者いにしえ天子は千官、諸侯は百官なり。の千官を以てして[政]令の諸夏しょかの国に行わるればこれを王と謂い、是の百官を以てして[政]令の境内に行われ、国の安からずと雖も廃易遂(墜)亡に至らざれば、これを君と謂う。

(金谷治訳注「荀子」岩波書店、1962年)

諸夏→古く、四方の夷狄いてきに対して、中国の中心地域、その国々をいう。転じて、都をいう。
境内→社寺の域内。国内。
廃易→すたれかわる。
遂→①とげる。(ウ)おわる。おえる。
拙訳です。
『昔天子は千人の官僚を持ち、諸侯は百人の官僚を持っていた。この千人の官僚を使い中国の国々に政令を行き届かせる人を王と言い、この百人の官僚を使い一国内に政令を行き届かせ、国は安泰でなくとも廃れて代わり終り亡びなければ、その人を君主という。』

聖王の子[孫]、天下をたもつののち、埶籍(勢位)の在る所にして、天下の宗室なり。然れども[其の人]不材不中なれば、内は則ち百姓これをにくみ外は則ち諸侯これにそむき、近くは境内の一ならずとおくは諸侯のしたがわず、令も境内に行われずして甚だしきは諸侯これを侵削しこれを攻伐す。ごとくんば則ち未だ亡びずと雖も吾れはこれを天下を[たもつこと]無しと謂う。

(金谷治訳注「荀子」岩波書店、1962年)

材→③はたらき。才能。また、才能のある人。
中→③かたよらない。ただしい。④よろしい。
拙訳です。
『聖王の子孫(である傑王・紂王)は、天下を治める後継者であり、勢位のあるもので、天下の本家である。しかし才能がなく正しくなかったので、国内にあっては民衆から憎まれ、国外からは諸侯から背かれ、近くは国内を一つにまとめられず、遠くは諸侯が従わず、政令も国内に行われずひどいのは諸侯が国を侵し攻め討ってきた。このようであるから、まだ亡びてはいないとしても、私は天下を治めていないと言う。』

「天下をたもちし」を天下を治めると訳しましたが、調べた限り「有」には治めるという意味はありません。私の理解は、傑・紂は天子ではあったが、その位に相応しい天下を保つための正しい行動≒「治める」という行為ができていなかった、です。

繰り返しになりますが、ここまでをまとめます。
殷の湯王・周の武王が夏の桀王・殷の紂王から天下を簒奪したというのは間違っている、何故なら桀王・紂王が天子の位にあったのは正しいが、天子として天下を治めていなかったからである。
続きは次回とします。

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