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荀子 巻第五儒王制篇第九 8

王者の制---道は三代に過ぎず、法は後王にたがわず、道の三代に過ぐるはこれを蕩と謂い、法の後王に弐うはこれを不雅と謂う。衣服に制あり宮室に度あり人徒に数あり、喪祭の械用にも皆な等宜あり。

(「荀子」岩波文庫 金谷治訳注)

道→物の道理。ことわり。また、人として踏まなければならないとされる行動の筋道。道徳。
三代→前にもあったと思いますが、金谷先生の訳によると夏・殷・周の中国古代三王朝をさしているようです。
蕩→③ほしいままにする。だらしがない。みだす。
雅→②正しい。正統な。
宮室→帝王、天皇の住む宮殿。また、転じて、帝王、天皇の一族。皇室。
人徒→①徭役に従事する人夫。下僕。②人々。衆人。
械用→道具。器物。器用。
等宜→等宜という熟語はないようです。等→②くらい。順位。階級。宜→②むべ。うべ。当然である。
拙訳です。
『王者の制度。道徳は夏・殷・周の三代より遡らず、法は最近の王のものと違わず、(それは)三代より前の道徳はだらしがなく、最近の王と違うということは不正だからである。衣服や帝王の一族に決まり事があり、下僕にも決まった数があり、死者を祭る器物にも当然階級の制約がある。』

声には則ち凡そ雅声に非ざるものはな廃し、色には則ち凡そ旧文に非ざるものはめ、械用には則ち凡そ旧器に非ざるものはこぼつ。夫れ是れを復古という。是れ王者の制なり。

(同)

声→③音楽。音律。
旧文→むかしの彩色。先王の文飾。文は、文彩。
拙訳です。
『音楽では正しい音楽以外はみな廃止し、色彩は昔の彩色でないものは廃止し、器物は古いものでなければすべてこわす。こういうことを復古という。これが王者の制度である。』
僕は旧を単純に古いものと訳していますが、金谷先生は「伝統的」と訳されていて『なるほど~』と、勉強させてもらっています。

今までそうかそうかと荀子を読んできましたが、今回はちょっと違うのではないかと納得できずにいます。
「道は三代に過ぎず、法は後王にたがわず」は納得しています。古いことにとらわれる必要はないと思うからです。後半部分の復古はいただけません。昔をなぞらえているだけでは進歩は無いのです。歴史を学ぶことの意義は成功した人を参考にすることもありますが、失敗者を反面教師とすることも大きいと思います。同じ轍を踏まない、失敗をしないそのためには改善・改革が必要です。過去を改める、新しいプラスαを始めることが大切だと思っています。
それとも、復古の部分、まだまだ読みが浅いのかな…。

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