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荀子 巻第十一彊国篇第十六 4 #4

荀子が斉国の宰相に対して、すでに「人に勝つの埶(人に勝る勢力)」を有しているのだから、「人に勝つの道(人に勝る方法)」へ進むべきであると、斉国を取り巻く状況を踏まえて説明しました。
続きです。

夫れ傑と紂とは聖王の後の子孫にして天下を有つ者の世[継]なり、埶籍の存する所にして天下の宗室なり、土地の大なることは封内千里、人のおおきことも数うるに億万を以てせるも、俄かにして天下はてき(超)ぜんとしてな傑・紂を去りて湯・武にはしり、はん(翻)ぜんとしてな傑・紂をにくみて湯・武を貴べり。是れ何ぞや。の桀・紂は何ぞ失い、湯・武は何ぞ得たるや。

(金谷治訳注「荀子」岩波書店、1962年)

埶→②いきおい。
籍→⑥しるす。かきこむ。
宗室→①一族・一門の本家。宗家。宗家→一門・一族の中心となる家柄。特に、芸道などで正統を伝えてきた家。また、その家の当主。家元。
封内→領土のうち。 領内。 国内。
倜然→②高く上がる様子。
反然→改め変えるさま。翻然。
拙訳です。
『「暴君であった桀王と紂王はそれぞれ、聖王の子孫であり天下を有する世継であり、勢いの印があるもので天下の中心であり、保有する土地の広いことは国内千里に及び、国民も多く億万人に及びましたが、突然に天下は高く舞い上がり傑王・紂王から去り聖王である湯王・武王に走り、翻然として傑王・紂王を憎み湯王・武王を尊びました。これはどうしてでしょうか。桀王・紂王はどうして天下を失い、湯王・武王は天下を得たのでしょう。」』

是れ他の故なし。桀・紂は善く人の悪む所を為せるも湯・武は善く人の好む所を為せばなり。人の悪む所の者は何ぞや。曰わく、汙漫争奪貪利是れなり。人の好む所の者は何ぞや。曰わく、礼義辞譲忠信是れなり。今、人に君たる者、(譬)しょう比方ひほうすれば則ち自ら湯・武に並ばんことを欲す。[然るに]其のこれをぶる所以の若きは則ち以て傑・紂に異なること無きに、而も湯・武の功名あらんことを求むるは、可ならんや。

(金谷治訳注「荀子」岩波書店、1962年)

汙漫→汚漫→けがす。けがれる。また、けがれ。
辞譲→へりくだって他人に譲ること。謙譲。
忠信→忠と信。まごころをこめ、うそいつわりのないこと。
辟称→たとえ。譬喩。
比方→くらべる。ならべる。方も、比。また、たとえ。
拙訳です。
『これには他の理由はありません。桀王・紂王は人が憎むことを行なったのに対して、湯王・武王は人が好むことを行ったからです。人が憎むこととは何かと言えば、きたなく争い奪い欲深く利益を求めることです。人が好むことは何かと言えば、礼と正義を尊びへりくだって他人に譲り嘘偽りのない事です。今、君主となっている者は、自身を例えるなら湯王・武王のようでありたいと望みます。自身の統治方法は傑王や紂王と変わりがないのに、それで湯王・武王の功名を得たいというのは可能なことでしょうか。』

夏王朝の桀王、殷王朝の紂という二人の暴君と、殷王朝の湯王、周王朝武王という二人の聖王を比較しています。暴君と聖王の差は、人が悪むことを実行したか、人が好むことを実行したかであり、具体的に憎むこととは「汙漫争奪貪利」、好むこととは「礼義辞譲忠信」と教えてくれています。
荀子は、今の君主は、湯王や武王のようでありたいと願っているが、実際の統治は「汙漫争奪貪利」であり、それでどうして湯王・武王のような名声を得られようかと、手厳しく批判しています。
今の時代も同じで「汙漫争奪貪利」をもって戦争が行われているのだなぁと恥ずかしい気持ちになりました。
続きは次回とします。

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