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カスミルのとしょかん(番外編)

※ここでの私は芥川研究してる人間じゃなくてただの一介の芥川オタクです!!!!!
※以下全文「オタク特有の早口」が延々続くだけです!!!!!主観の塊!!!!!!


 皆様こんにちは。カスミルのとしょかんへようこそ。
 本日は番外編です。ふふ。7月24日、何の日かご存知ですか?河童忌ですよ河童忌。芥川龍之介の命日です。あああ。ああああ。ぬあああ。あのね、皆様ご存知かどうか知りませんが、私は芥川龍之介が大好きなのです。かれこれ中学生の頃から、ずっと。ずーーーーーーっと。何度か方向性の違いにより解散したりもしましたが(芥川とは短歌の趣味が壊滅的に合いません)、なんだかんだ卒論を芥川龍之介の作品で書いたくらいにはやっぱり大好きです。
 で、河童忌です。折角なので何か書こうと思い、番外編を出す事にしました。
 何の作品をご紹介しようかと考えた時に、この際芥川の遺書でも……と思ったりもしたのですが、ちょっとこれは私が悲しくなっちゃいそうなのでやめました。あ。自殺したんです芥川。35 歳の時に、たくさん睡眠薬のんで。「何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」があったんですって。詳しくは「或旧友へ送る手紙」をご覧になってください。青空文庫のリンク貼っておきます。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/20_14619.html#:~:text=%E4%BD%95%E3%81%8B%E5%83%95%E3%81%AE%E5%B0%86%E6%9D%A5,%E5%92%8E%20%E3%81%A8%E3%81%8C%20%E3%82%81%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%82
ついでに遺書もどうぞ。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/16034_33783.html

 という訳で遺書は却下。どうしようかと悩んで、結局「歯車」をご紹介する事にしました。これも青空文庫にありますのでよかったら是非ご覧になってください!
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/40_15151.html

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 芥川の本当の絶筆は「西方の人」「続西方の人」なのですが、「歯車」に関しては「絶筆に成り損なった絶筆」(注1)であるという指摘があります。本当は芥川、「歯車」を書いて妻の親友と心中するつもりだったようですが、それが妻にバレて計画はなくなり、結果的に「歯車」は絶筆にはならなかった、という……。妻である文ちゃんの気持ちを思うと、もう、ね、何とも……。兎にも角にも、作品が書かれた背景としては、そんな感じです。
 次に、形式や内容のお話をします。「歯車」が書かれたのは芥川が自殺した1927年です。晩年の芥川は、「文芸的な、余りに文芸的な」(注2)にも書いている通り、「「話」らしい話のない小説」(注3)というものを理想としていたようです。「歯車」も例に漏れずそうであると言えます。なので作品の内容を説明するのは少し難しいのですが、強いて言えば、語り手である「僕」が知人の結婚披露式に参加すべく某避暑地から東京へ行き、しばらくの滞在の後また避暑地へと帰って行く、という内容です。
 うーん。これじゃあ何がおもろいねん、と言われかねないですね。でもね、作品の魅力って話の筋の面白さだけじゃないと思うんです!よっしゃ!語ります!

◯個人的に思う「歯車」の魅力

 2つあります。1つめが作中で様々なものが暗合していく所、2つめは語り手がなんとなぁく芥川っぽい所です。順番にお話しますね。

暗合する様々な事象

 暗号じゃないですよ、暗合です。これ大事。作中では、いろんなものが偶然一致(暗合)していくのです。「レエン・コオト」を例にご説明します。作品の冒頭、自動車で東京に向かう語り手は、乗り合わせた乗客から「レエン・コオトを着た幽霊」の話を聞きます。「雨のふる日に濡れに来るんじゃないか?」と茶化すんですが、自動車から列車に乗り換える停車場で偶然「レエン・コオトを着た男」を目撃します。語り手はちょうどレエン・コオトを着た幽霊の話を聞いたばかりなので少し苦笑しますが、特に気に止める様子もなく次の列車を待ちます。
 次に語り手が偶然レエン・コオトを目にするのは列車の中、「レエン・コオトを着た男が一人僕らの向うへ来て腰をおろ」すのですが、さすがにこの時には語り手は「ちょっと無気味」になったようです。何せレエン・コオトを着た幽霊の話を聞いてからというもの、雨が降っている訳でもないのにレエン・コオトを着た人間を何度も目撃するのですから。その後もレエン・コオトは何度も語り手の目の前に現れます。宿泊先のロビーにある長椅子に脱ぎかけてあったり。極めつけは語り手が姉の娘から受けた電話です。曰く、義兄が轢死したと言うのです、それも「季節に縁のないレエン・コオトをひっかけて」! レエン・コオトが、暗合する事で死の象徴になっていくのです。
 まだ登場します、レエン・コオト。ホテルの玄関で「レエン・コオトを着た男が一人何か給仕と喧嘩をしていた」り、東京から避暑地へ帰る際に自動車の運転手が「何故かこの寒さに古いレエン・コオトをひっかけていた」り。死の象徴が付き纏うのです。
 「レエン・コオト」の他にも、語り手は様々な暗合を見出していきます。その度に語り手は無気味さを感じたり不快感を覚えたりします。その結末が……え、なあ、紹介する言うといてこんな事言うの最悪やけどさ、ちょっとこれはまじで全文読んてほしい、あのね。最後の一文がね。有名やからご存知かもしれませんがね、なかなかの衝撃なんです。引用して載せようかとも思ったんですが、こんな所にサラッと載せてしまうようじゃその衝撃が薄れちゃう気がしてならんのです。語り手の見る世界を語り手と一緒に辿って、その行き着く先である最後一文を噛み締めてほしいのです。紹介文でこんな事言うのはあまりにわがままですかね。今僕が解説を放棄するのは一生に一度の我儘かも知れない、とでも言っておきましょうか。ふふ。

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語り手の芥川っぽさ

 この語り手は芥川の事や!なんて言うつもりはさらさらないんですが、なんとなぁく芥川っぽいですよ。文学理論も何も知らなかった中学生の私はこの「歯車」を芥川の自伝か何かやと思い込んで号泣してました。ははは。おもろいですね中学生の私ね。
 「芥川龍之介という人間が好き!」という方はまあそういう読み方をしてみても楽しいのでは、と思ったりもします。(ただ、この読み方を提示してみたのは、あくまでも作品をおすすめする為の一手段である事だけは留意して頂きたいです。)

 うーん。書きたかった事はだいたい書けましたかね。本当は「歯車」の先行研究にも少し触れたかったんですが、それをやりはじめるとたぶん終われなくなっちゃうので、この辺にしておきます。

 終わります!次回は来週です、来週はちゃんと真面目にやりますので!見捨てないで!!
 では次週またお会いしましょう!

「生きてるって素敵でしょ?」
生には終わりがあるものね。

◯書誌情報


芥川龍之介「歯車」(『大調和』(1927年6月1日、春秋社)に「歯車」の題で「一 レエン・コオト」の章のみ章題は付されない形で掲載、またその他の章は遺稿として同年10月1日発行の『文芸春秋』第5年第10号に、『大調和』掲載分に「一 レエン・コオト」の章題を新たに付したものを含めて掲載)初出、未見。
『芥川龍之介全集』第15巻(1997年1月8日、岩波書店)参照。

◯注


(注1)宮坂覚「「歯車」〈ソドムの夜〉の彷徨」(『国文学 解釈と教材の研究』第26巻第7号5月号、学燈社、昭和56年5月20日、114頁)
(注2)1927年4月1日発行の『改造』第9巻第4号、5月1日発行の同誌第9巻第5号、6月1日発行の同誌第9巻第6号、8月1日発行の同誌第9巻第8号に連載されたのが初出です。ここでは『芥川龍之介全集』第15巻を参照しました。
(注3)『芥川龍之介全集』第15巻、148頁。


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