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ペースを落とす 2、そして、暮らしのアフォーダンス。

前記事で読んだ本

なるほどなるほど、と読み終わり。

交感神経と副交感神経のバランスが大事。

歳をとるにつれて、副交感神経の働きが鈍る。

ゆっくり動くことによって、呼吸が安定し、副交感神経の働きがよくなる。

まあ、そういう話なのだけれども。いろんなことにつながっているなと思う。

その中でなるほどと思ったのは、要は、深呼吸をするのはいいんだけど、

深呼吸しなきゃ、と思った瞬間、脳がストレスを感じて、リラックスしなくなるというところ。

意識した瞬間、できなくなる。

確かにそうだ。

なので、呼吸が浅いと思ったら、深呼吸を”頑張って意識して”するよりも、動きをゆっくりした方がいい、ということみたい。ある種のパラドックスに気づく。

確かに、ゆっくり動きながら焦ることとか、呼吸が浅くなることはないのかもしれない。

この話を考えていると、建築のアフォーダンスを思い出した。

リラックスせざるを得ない装置というか。

アフォーダンスというのは、例えば、道端に自販機があったとする。そこでジュースを買うとする。ふとみると、その横に座るのに、ちょうどいい高さの、いい幅の塀?があったとする。人は、自然にそこに座る。椅子じゃなくても。座ってふと横を見ると、ちょうど腕の高さに平たい場所がある。それは塀のそばにある、車止めかもしれない。車止めのポールの上が平らになっている。その人は、自然にそこにジュースを置く。机じゃなくても。

これが、アフォーダンス。

自然に、人の行動を引き出すもの。

これを意図的に行い、強めていくと・・・・わかるよね。

空間はそうやって、人の行動を、引き出す、コントロールすることができる。

例えば、薪ストーブというものは、ある種のアフォーダンスを引き出す装置であると思う。

つまり、スイッチ一つで暖かくはならない。

時間も、手間もかかる。薪というのも、すぐには手に入らない。もちろん買ってくればすぐといえばすぐだけれど、薪は木を切って、割って、二年くらい干さねばならない。

薪ストーブ=急ぐことのできない装置なのだ。

オットの会社の女性が、薪ストーブなんてあり得ないわ〜〜〜〜と言ったそうだけど、つまりそういうこと。そんなことしてられないわってこと。

そういう人が大半だと思うけれど、

ともかく薪ストーブは、暖かいけれど、暖まることに対して、集中して、時間をかけて、手間を費やす。

もともと、暮らしというのはそういうものだったかもしれない。

でも、「急ぐ」「効率」が前提になってから家もそんな作りや間取りになり、もともとはフランスで鉱山で働く労働者のための、効率的な住宅を元にした戦後の、かの有名な51C型から始まり今では、人の生活は、〇〇DKなどという「型」にはめられてしまった。

住む人の暮らしの多様性ではなく、効率。つまりいかに狭いところにたくさんの人が住めるか(=貸主や売主が、いかにお金をたくさん得られるか)という効率。

住み手の快適さや人間性、暮らしなどを出発点としたものではないということ。

その前提が、末端の装飾と、仕上げに隠れされている。

「便利」っていうのには気をつけなきゃいけないなと思う。

何が言いたいか、

「ゆっくり動く。」というのも、意識しなければできない。

ならば、空間のアフォーダンスを利用してはどうか。ゆっくり動かざるを得ないものを取り入れて見る。

つまり、薪ストーブのような、時間と手間のかかる装置を、生活の中に入れてみる。

めんどくさいかもしれない。

めんどくさいと思うならやめた方がいいかも。笑

でも、楽しんでできるならば、時間をかけてする家事とか、仕事とか、それというのは、つまりゆっくり生きるためのアフォーダンスの装置であり、方法なのではないかと思ったのだった。

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