「風立ちぬ」を観る。堀越二郎の『零戦』を想い出す。

最近ジブリばっかり借りてきては観ている。久々に、「風立ちぬ」・・・。

途中から涙無しには見れなかった。

 この映画の原作になっている堀辰雄の小説は読んでいないが、この映画の主人公になっている堀越二郎本人が書いた『零戦』は本当に忘れられない本のひとつだ。この本に比べればやはり映画は宮崎駿テイストが満載だし、サン=テグジュペリ的な世界観:「紅の豚」の優雅さと軽快さが織り込まれているので、本来とても重い主題になりそうなところを、ギリギリのところで直接語らず見せているのかな、と思った。

 最初に映画を見たときはこの『零戦』を読んでいなかったので、むしろ軽やかな映画として素直に見たのだと思う。涙を誘うのは主人公の妻の物語であり、飛行機と零戦に関する表現は、ある意味抽象的に、最低限に、美しく描かれている。
 しかし、本を読んだあと、再び(久しぶりに)映画を見て、直接描かれなかったもっとリアルな部分は、無視されているのではなく、あえて表現されないことによって、深みが出ているんだなあ、と思った。

 本は感情に訴える大げさなものではなかった。当時、ほとんど不可能と思われたスペックの戦闘機=のちの零戦を設計することを海軍から依頼される場面から、それを設計していく上での工学的難題、そしてその時に起こってくる人生が淡々と語られる。
 軽やかで天才的なひらめきによってそれは生まれたのではなく、作者は実直にひとつひとつ、難問に立ち向かって問題を解決していく。それがついに空の中に舞う時の感動。その後の戦争の過程の中での複雑な感情。そこには壮絶とも言える、零戦誕生の裏舞台と、その設計者の人生があって、それは起承転結するハッピーエンドのおはなし、などではなかった。
 最後に「零戦は一機も戻ってこなかった」と、映画で主人公は呟き、そこには多くのことが表現されていたと思う。

 これを読んだのは広島にいた時で、そのあと、私は呉にある大和ミュージアムで本物の零戦をしみじみ見たのだった。

 (ちなみに大和ミュージアムには、あまり知られていないもう一つの特攻隊の「回天」や、特攻隊員が家族に宛てた手紙も展示されている。)

 戦後の日本人が、「惨敗した」という強い事実とともに、特攻隊と零戦に対して抱いてきたものの中には、たぶん、全く対立する二つの感情があると思う。

 しかし、一つの感情があまりに大きいので、もう一つの感情について語られることはほとんどないし、もはやタブーとして、暗黙の了解のうちに、埋もれつつあるのかもしれなかった。

 でも、この本、そしてこの映画は、とりわけその美しいほうの、ひたむきな情熱について、静かに語っているように、私には思えた。 

 結果として、書くのには少し勇気のいる主題になってしまった。


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