夢で思いだす

 目が覚めそうな、夢から醒めそうなとき、何か自分にとって重要なことに気づいていた。忘れたくなかった。目が醒めるにつれてその実感がどんどん薄らぐ。忘れたくないのでもう一度寝ようとするけど頭ははっきりしてきて夢の実感はぼんやりしてくる。それが残念で、これを書きながら、朝起きたくない理由はこの残念さなのかもとさえ、おもう。

 友人からの、何を思い出そうとしているの?という質問。そのこたえ。頭で(理性で)こたえた。でももっと違う答えがあるような気がして、それを夢のなかで見つけたような気がした。

 それは埋もれてしまった感情。心の奥深くで率直に感じたことが浮上せずずっと残っている、そのことに気付くまでは。忘れてしまっていたそれらの感情の一つ一つを思い出すこと。今やろうとしているのは、そのこと。

 ジャン・グルニエが描こうとしていたことはこのことなのだろうか。だれもが、日常のなかで、もはや無意識的にやっている様々な「選択」、小さな一つの選択がどこへ向かうかを常に決定づける。もしそれが率直な感情にしたがって、ときには小さな勇気を出して決めたことなら、

 自分を表現することへのおそれ。こうして書いているいまも、そのおそれがあるために、率直に言うことを避けて、巧みにうまく無難な表現へと変えられているのではないか。一番核心となることは、書けないのではないか。そのおそれる理由は、自分が忘れている過去の中にあるのだろうか?

 でも、そのことで自分を責める必要はないんだと今はおもう。

 表現されたもの、それが言葉であれ、詩であれ音楽であれ絵であれ・・・そこには表現者の、感情が映し出される。隠してる、ということも、他者には分かったりする。

 結局ここまで書いても、起き抜けに分かったことについて書けなかった、それは美に関することだった、とりあえず今の所は思いつくところを書いたところでこのまま。

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