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ネコが西向きゃ尾は東?

【これは、劇団「かんから館」が、2012年3月に上演した演劇の台本です】

1945年、日本は敗戦し、東日本はソ連に、西日本はアメリカに分割占領された。そして、冷戦下、東と西にそれぞれ独立国家が誕生する。西はアメリカの影響の下、資本主義国家に、そして、東は、ソ連の影響の下、「将軍様」を戴く共産主義独裁国家となる。そして、ソ連が崩壊し、東日本は、世襲制のいびつな独裁体制を続けた。

   〈登場人物〉

    石原権蔵
    矢口悠也
    三村晶子
    森村さち
    松平一郎

    学校の机が四脚横に並んでいる。
    上手から、矢口、晶子、さち、石原が座っている。
    全員が黙々とツルを折っている。
    それぞれの机の上にダンボール箱があり、そこにも大量の折りヅルが入っている。

矢口  ふぁーあ。(小さなあくび)

    しばしの間。

石原  ふぁーあ。(大きなあくび)

    しばしの間。

矢口  あーあ。(小さなため息)

    しばしの間。

石原  あーあ。(大きなため息)

    しばしの間。

    矢口、ツルを数羽落とす。

矢口  もう。(拾う)

    しばしの間。

    石原、ダンボール箱を落とす。

石原  もう!(拾う)

    しばしの間。

矢口  何よ?

    しばしの沈黙。

矢口  だから、何なのよ? あんた。

    しばしの間。

石原  ひょっとして‥‥うちに言うてんの?
矢口  決まってるでしょ!
石原  何って、何なん?
矢口  だから、マネしないでよ。
石原  何を?
矢口  もう、白々しいんだから‥‥。さっきから、あたしのマネばっかしてんじゃん? あくびとか、ため息とか。
石原  そんなん、してへんで。
矢口  何言ってんのよ! してたじゃん!
石原  してへんて。
矢口  じゃあ、どうしてあくびしたのよ?
石原  ねむたいし。
矢口  ため息は?
石原  だるいし。
矢口  もう! このオカマは‥‥。ああ言えばこう言う。‥‥ねぇ、ねぇ、晶子、さっちゃん、あいつマネしてたよね?
晶子  あんたたちうるさいよ。これぐらい黙ってできないの? 集中できないじゃん。
矢口  ‥‥‥。さっちゃん?
さち  同左。
矢口  え? ドーサ?
さち  左に同じ。
矢口  ‥‥‥。もう!
石原  (勝ち誇ったように)ワハハハハハハ‥‥。
晶子  石原さん。
石原  いややわー。ゴンちゃんて呼んでぇな。
晶子  だったら、ゴンちゃんさん。
石原  はい?
晶子  あんたたちって言ったでしょ? あなたもうるさいんです。
石原  ‥‥‥。はーい。

    しばらく全員黙ってツルを折り続ける。

石原  ねぇ。
全員  ‥‥‥。
石原  ‥‥ねぇ、これ、いくつ折ったらええのん?
さち  聞いてなかったんですか?
石原  さあ‥‥? 聞いたような、聞かへんかったような‥‥。
矢口  ‥‥ボケよね。
石原  え?
矢口  老人ボケ。認知症。
石原  ちゃうわ!
矢口  ボケてる人は、みんなそう言うのよ。「わしはボケとらん。わしはボケとらん。」って。
石原  そやから、ボケてへんって!
矢口  ほらほら言った。言った。
石原  何やの? あんた、うちにケンカ売ってんの? ええ度胸してるやないの?

    石原立ち上がる。
    矢口も立ち上がる。

晶子  あんたたち、いいかげんにしなさい!
石原・矢口  ‥‥‥。
晶子  ごめんなさいは?
石原  ‥‥ごめんなさい。
晶子  ほら、ユーちゃんも。
矢口  ごめんなさい。
晶子  はい、よろしい。

    石原、矢口座る。
    しばしの間。

さち  千羽ですよ。千羽鶴だから。
石原  ええ! そんなん無理やわ。
さち  できるまで食事なしですよ。
石原  ええー!
矢口  (勝ち誇ったように)フフフフ‥‥。

    しばらく全員黙ってツルを折る。
    石原、あわてて折り出す。そして、折り紙を破る。

石原  もう!
全員  ‥‥‥。
石原  うち、指太いさかいに、折り紙苦手やねん。こんな細かいのん、できひんわ。
全員  ‥‥‥。
石原  ‥‥飛行機。
全員  ‥‥‥。
石原  紙飛行機やったらあかんの? うち、紙飛行機作んの得意やで。
全員  ‥‥‥。

    石原、勝手に紙飛行機を折りだす。
    できあがった紙飛行機を、客席に投げる。

石原  ブーン。ほら。
さち  あの‥‥。折り紙、千枚ちょうどしかないんですよ。
石原  ええー!
矢口  バーカ。
石原  何やて?
矢口  だってバカじゃん。
石原  何やて!
晶子  こら、あんたたち!
石原・矢口  ‥‥‥。ごめんなさーい。
晶子  よし。

    しばしの間。

石原  ああ、もうやんぺや。ダイエットしょーかなーと思てたし、ちょうどええわ。

    石原、机に突っ伏す。
    しばしの間。

石原  なあ‥‥。
全員  ‥‥‥。
石原  なあ、さっちゃん。
さち  はい?
石原  何でツルやねん?
さち  はあ?
石原  何で、みんなでツルなんか折るねん?
さち  それは‥‥それは、日本古来の伝統文化だからでしょう?
石原  ‥‥それやったら、別にカブトでもええやん。
さち  さあ? それは分かりませんけど‥‥。
石原  うち、カブト作るわ。カブトの方が簡単やし。
さち  ‥‥あの、ゴンちゃんさん‥‥。あんまり逆らわない方がいいと思いますよ。
石原  ‥‥‥。まあ‥‥それは、そうやろうけどな。
さち  だから‥‥。
石原  こんなぎょうさんツル作って、どないすんの? 甲子園の応援でもあるまいし。
さち  さあ‥‥よくは分かりませんけど、特に目的なんかないんじゃないですか?
石原  ほなら‥‥何で?
さち  だから、民族意識を植え付けるとか、そういうんじゃないでしょうか?
石原  こんなんで民族意識なんか身に付くかいな。単なるいけずやて。
さち  いけず?
石原  いやがらせ。
さち  はあ。‥‥まあ、確かにそうも言えますね。
石原  そやろ?
さち  はあ‥‥。
晶子  さっちゃん。そんなおっさんの相手してたらダメよ。その人はもう落ちこぼれてるんだから。
石原  何やて? 失敬なこと言わんといてよ。
晶子  でも、事実でしょ? 事実。
石原  おっさんちゃうで。おかまやで。
晶子  何? そっちなの?

    全員、クスクス笑う。
    松平が入ってくる。
    全員黙る。

松平  何か、みんな楽しそうだな。
全員  ‥‥‥。
松平  折り紙は、そんなに楽しいか?
全員  ‥‥‥。

    松平、一人一人、のテーブルをのぞき込む。

全員  ‥‥‥。

    松平、石原の箱からツルを一つ取り上げる。

石原  ‥‥‥。
松平  何だ、これは?
石原  ‥‥‥。
松平  ‥‥何だ?
石原  ‥‥‥。
松平  お前、耳が遠いのか? オレの質問が聞こえんのか?
石原  ‥‥ツルです。
松平  ふーん。‥‥ツルねぇ。
石原  ‥‥‥。

    松平、ツルを握りつぶす。

石原  あ。

    松平、捨てる。

石原  ‥‥‥。
松平  ほら、拾えよ。ゴミが落ちてるぞ。
石原  ‥‥‥。
松平  やっぱり耳が遠いのか?

    石原、ツルを拾う。
    松平、石原の尻を蹴る。
    石原、倒れる。

松平  全く、オカマというのは、何をやらせてもダメだな。生き方だけかと思ったら、手まで不器用なんだな。ほんと、何の取り柄もないクズだよな。なあ、矢口君。
矢口  ‥‥‥。

    石原、席に座る。

松平  お前は、昼飯抜きだな。‥‥まあ、無駄にブクブク太ってんだから、ダイエットになってちょうどいいだろ。‥‥何なら、一週間ぐらい抜いてみるか? スマートになって、ステキな彼氏が見つかるかもしれんぞ。
石原  ‥‥‥。(松平をにらむ)
松平  何だ? その目は? ‥‥石原さん、あなた、何か文句でもあるんですか?
石原  ‥‥‥。
松平  うん?
石原  ‥‥‥。
松平  お返事は?
石原  ‥‥ありません。
松平  どうも、オレも耳が遠くなったかなあ? 何も聞こえんなあ。
石原  ありません!(どなる)
松平  ‥‥あ、そう。‥‥それはよかったねぇ。
石原  ‥‥‥。
松平  おい、他にもダイエット希望者がいたら、さぼってもいいぞ。メシだけじゃなくて、いろいろとエクササイズも用意してあるからな。
全員  ‥‥‥。

    松平、去り際に、

松平  ‥‥それじゃ、ま、みなさんがんばって。
全員  ‥‥‥。
松平  おや、お返事は?
全員  はい!(どなる)
松平  うん、元気があってよろしい。ハハハハ‥‥。
全員  ‥‥‥。

    松平去る。
    音楽。
    暗転。


    学校の机が四脚横に並んでいる。
    石原の机を中心に話が盛り上がっている。

矢口  二丁目って歌舞伎町の?
石原  そうや。‥‥歌舞伎町、知ってんの?
矢口  そりゃ、あたしも一応オカマの端くれだからね。うわさぐらいは‥‥。
石原  そうか。その二丁目に、うちの友だちがぎょうさんおってな。
晶子  えっ、そんなのどうやって連絡するの?
石原  そら、いろいろと手はあるもんやで。オカマの結束は固いんや。オカマの友情は国境も越える。まあ、蛇の道はヘビちゅうやつやな。
さち  蛇の道って何?
矢口  そんなのどうでもいいわよ。で、その二丁目ってどうなの?
石原  そら、ものごっついとこなんや。住んでるやつはみんなオカマでな、
矢口  ええー。マジ?
石原  マジもマジ、大マジやて。それどころか、西トーキョーに住んでるやつの半分以上はオカマなんやで。
矢口  うわー、ステキねぇ。あたしも行ってみたーい。
さち  半分以上って、ちょっとそれオーバーじゃありません?
石原  ほんまのほんまやて。‥‥さっちゃん、あんた、西に行ったことあるん?
さち  それは‥‥。
石原  ほら、そやろ。
晶子  ゴンちゃんさん、それ言っちゃダメ。さっちゃんは西に脱出しようとして捕まったんだから。
石原  え? ああ、そうなんか‥‥。
さち  (うなづく)
石原  そら、かんにんな。うち、ほんま悪気なかったんやで。
さち  いいんです。気にしないで下さい。
矢口  それよりさあ、もっと西トーキョーのこと教えてよ。
石原  ああ、そやな。‥‥西トーキョーでは、何でも自由に買えるって知ってるやろ?
矢口  うん。
晶子  でも、あれって、西側の宣伝なんじゃないですか?
石原  ちゃうちゃう、マジで買えるらしいんや。それで、若いやつとかは、休みになると渋谷でデートしたり、ハンバーガーかじったり、コーヒーショップに行ったりして遊ぶんやて。
矢口  マクソナルド? スターリンボックス?
石原  ちゃうちゃう、あれは、西のまねして作ったバッタモンや。ほんまもんは、マクドナルド、スターバックスちゅうんや。
晶子  似たようなもんじゃないの?
石原  ちゃうちゃう。第一、あれは特配切符持ってへんかったら、買えへんやろ? みんな、行ったことある?
矢口  あたしは一回行ったよ。
さち  私も一回。
晶子  私は二回。
石原  で、どやった?
矢口  なんかボソボソしてて、期待はずれだった。
さち  コーヒーが苦かった。
晶子  わざわざ高い金出して行くとこじゃないわね。まあ話のネタぐらいかな?
石原  それがや、ほんまもんのマクドナルドとスターバックスは、ごっつうまいらしいで。なんかな、牛肉一〇〇%のハンバーグが五枚も六枚もはさんであるやつがあるらしいし、うまいうまいコーヒーがどんぶり一杯飲めるらしいわ。
矢口  マジ? 信じらんなーい。
晶子  よだれが出てくるわね。
さち  ねぇ、ねぇ、ゴンちゃんさん。テンノーって、西トーキョーにいるんですか?
石原  あほ! 天皇陛下と呼びなさい。天皇陛下はな、京都の御所にいやはるんや。
さち  ふーん。‥‥それで、そのテンノーヘーカと将軍様と、どっちが偉いんですか?
晶子  さっちゃん、それはちょっと‥‥。
石原  かまへん、かまへん。‥‥さっちゃん、よう聞いとくんやで。将軍というのはな、元々は天皇陛下の家来なんやで。
さち  え?
矢口  マジ?
晶子  ウソでしょ?
石原  ほんまのほんまや。さっちゃん、将軍家は、何年続いてるんや?
さち  えーと、来年が開幕四一〇年記念だから、今年で四〇九年です。
石原  皇室は何年続いていると思う?
さち  コーシツ?
石原  天皇家のことや。‥‥どれくらいやと思う?
さち  え? ‥‥さあ?
石原  今年が皇紀二六七二年や。
さち  コーキ?
石原  初代の神武天皇が即位されてから二六〇〇年以上続いているんや。世界で一番長い王室やで。
さち  ほんとですか?
矢口  マジ?
晶子  ウソでしょ?
石原  ウソなんか言うかいな。これだけ見ても、どっちが偉いか、すぐにわかるやろ?
さち  へぇ‥‥。
晶子  でも、明治の乱で、慶喜様をテンノー一味が裏切って、政権転覆を図ったんでしょ?
矢口  そうよ。そうよ。
さち  うん、私も学校でそう習ったわ。
石原  それはまるっきり逆や。明治維新で慶喜が政権を天皇陛下に返したんや。それが、昭和二十年に、終戦のどさくさに、ロスケの力を借りて、また政権を乗っ取ったんや。
さち  ショーワって?
晶子  ロスケって何よ?
石原  なんやなんや、昭和もロスケも知らんのかいな。あんたら、ほんまにすっかり洗脳されてしもてるなあ。
矢口  そんなこと言われてもねぇ‥‥。
晶子  ちょっと信じがたいわよねぇ。‥‥ゴンちゃんさんこそ、西側の情報に洗脳されてるんじゃない?
石原  うちは洗脳なんかされてへん! 完全中立客観的な事実を言うてるんや。
矢口・晶子・さち  ‥‥‥。
石原  なんや、なんや、うちのこと疑うてるんか?
矢口・晶子・さち  ‥‥‥。
石原  年寄りの言うことは聞かんとあかん!
矢口・晶子・さち  ‥‥‥。
石原  そやからや‥‥そやから、我々大和民族は、東、西の別なく、万世一系の皇室をあがめたてまつらなあかんのや。
矢口・晶子・さち  ‥‥‥。
石原  あんたら、ひょっとして、君が代も知らんのか?
矢口  キミガヨ?
さち  何ですか、それ?
石原  もう、これや! 君が代はな、大和民族の魂の歌や。天皇陛下の御代が永遠に続きますようにと、願いたてまつる歌なんや。
晶子  どんな歌なんですか?
石原  よっしゃ、うちが歌たるさかいに、しっかり覚えや。
    ♪ 君が代は千代に八千代にさざれ石のいわおとなりて苔のむすまで

    全員、拍手。

さち  このメロディーは、聞いたことあります。
矢口  オリンピックの曲よね。
晶子  そうそう、オリンピックの曲。
石原  ‥‥オリンピックの曲ねぇ‥‥。まあ、ええわ。

    松平が竹刀を持って入ってくる。
    全員、沈黙。

松平  今、禍々しい歌が聞こえたような気がしたが‥‥。オレの気のせいか?
全員  ‥‥‥。
松平  ‥‥気のせいか?
全員  ‥‥‥。
松平  返事は!
全員  ‥‥‥。
松平  ほう‥‥。しらを切るつもりか? それでは、一人ずつお伺いして行きましょうか?

    晶子に。

松平  三村晶子さん、私の気のせいですか?
晶子  ‥‥き、気のせいではありません。
松平  ほう。

    さちに。

松平  森村さちさん、どうですか?
さち  気のせいではありません。
松平  なるほど。

    矢口に。

松平  矢口悠也さん、どうですか?
矢口  気のせいではないと思います。
松平  うむ。

    石原に。

松平  石原権蔵さん、いかがですか?
石原  ‥‥‥。
松平  ‥‥‥。ああ、あなたは耳が遠いのでしたな。‥‥それでは、さっきの売国の歌をどなたがお歌いにになったのか? これもお伺いしましょうか?

    矢口に。

松平  だれが歌っていたのですか?
矢口  ‥‥‥。
松平  おや、どうしました?
矢口  ‥‥そ、それは。
松平  それは?
矢口  それは‥‥。
石原  うちが歌いました!

    松平、石原を見る。

松平  ほう、あなたが。
石原  ‥‥‥。
松平  困るんですよねぇ。事もあろうに、この再教育所で、あのような歌を大きな声で歌われては‥‥。
石原  ‥‥‥。
松平  あなたには、特別な教育が必要なようですな。
石原  ‥‥‥。
松平  私の言っている意味はおわかりですな?
石原  ‥‥‥。
松平  そうそう、あなたは耳が遠いんでしたな?
石原  ‥‥‥。
松平  声でわからないとすると、体でわかってもらうしかありませんな。
石原  ‥‥‥。

    松平、石原を竹刀で叩く。バシ!

松平  よーく教えてやるから、あっちに行くんだ!

    バシ!
    松平、石原を別室に連れて行く。

石原の声  天皇陛下万歳!

    竹刀の音。バシ! バシ!

さち  やめて!

    長い沈黙。

晶子  ‥‥ゴンちゃんさん。
矢口  ‥‥どうなるのかしら?
晶子  ‥‥最悪の場合‥‥。
矢口  ‥‥最悪の場合?
さち  イヤー!

    しばしの間。
    松平が戻ってくる。

松平  この部屋はかなり綱紀が緩んでいるようだから、原点に立ち返り再教育を行う。
全員  ‥‥‥。
松平  気をつけ!

    全員気をつけ。

松平  歴代将軍様の御名呼称! 始め!
全員  権現様。秀忠様。家光様。家綱様。綱吉様。家宣様。家継様。吉宗様。家重様。家治様。家斉様。家慶様。家定様。家茂様。慶喜様。家達様。家正様。恒孝様。
松平  もう一回!
全員  権現様。秀忠様。家光様。家綱様。綱吉様。家宣様。家継様。吉宗様。家重様。家治様。家斉様。家慶様。家定様。家茂様。慶喜様。家達様。家正様。恒孝様。
松平  もう一回!
全員  権現様。秀忠様。家光様。家綱様。綱吉様。家宣様。家継様。吉宗
様。家重様。家治様。家斉様。家慶様。家定様。家茂様。慶喜様。家達様。家
正様。恒孝様。
松平  将軍様の歌!
全員  ♪人生楽ありゃ苦もあるさ
    涙の後には虹も出る
    歩いてゆくんだしっかりと
    自分の道をふみしめて

    人生勇気が必要だ
    くじけりゃ誰かが先に行く
    あとから来たのに追い越され
    泣くのがいやならさあ歩け

    音楽。

    暗転。



    学校の机が四脚横に並んでいる。
    深夜。
    松平が座っている。
    さちがやって来る。

松平  森村さん、こんな時間に何ですか?
さち  いや、ちょっと眠れなくて。
松平  困りますなあ。ちゃんと許可を得てもらわないと。
さち  すみません。
松平  眠れないなら、医務室に睡眠薬がありますよ。
さち  いえ、大丈夫です。
松平  そうですか。
さち  はい。ご心配ありがとうございます。‥‥教官さんも大変ですね。こんな深夜まで。
松平  いや、仕事ですから。
さち  え、こんな時間まで、お仕事なんですか?
松平  ‥‥ええ、仕事ですから。
さち  本当に?
松平  ‥‥ええ。仕事ですから。
さち  本当に?

    しばしの沈黙。
    やがて、二人笑い出す。

さち  ‥‥もういいでしょ?
松平  ‥‥でも、壁に耳あり障子に目ありだから。
さち  もう、みんなとっくに寝てるわよ。
松平  でも‥‥。
さち  ‥‥仕事ですから?
松平  もう!
さち  ほんと、いつもお仕事熱心なのね。松平さんは。
松平  そんなにオレをからかって楽しいか?
さち  フフフ‥‥。
松平  ハハハ‥‥。

    さち、松平の隣に座る。

さち  ねぇ。
松平  何だ?
さち  ちょっと、聞いてもいい?
松平  だから、何?
さち  あの、権蔵さんのことだけど‥‥。
松平  権蔵? ‥‥ああ、あのじじいおかまか。
さち  うん。‥‥どうするつもりなの?
松平  ‥‥どうするって、オレが決めることじゃないからな。
さち  じゃあ、どうなるの?
松平  そうだなあ‥‥あいつは、前から反抗的だからなあ‥‥中庭で鞭打ちか、ひょっとしたら、公開処刑だな。
さち  えー。あんなおじいさんを? かわいそうよ。
松平  そう思って、見逃してきたから、どんどん増長してきたんだよ、あいつは。ここらで、きちんとしとかないと、示しが付かない。
さち  示しが付かないって、私たちに?
松平  まあ‥‥そうだな。
さち  そこまでしなくたって、あんなじいさんに何もできはしないわよ。ただ粋がってるだけよ。
松平  まあ‥‥そうかもしれんがな。
さち  ねぇ‥‥何とかならないの? 今回だけは許してあげてよ。
松平  そう言われてもなあ‥‥上の人間が決めることだからな。
さち  そうなの?
松平  ああ。
さち  ‥‥ねぇ。
松平  うん?
さち  松平さんって、あの松平なんでしょ?
松平  あの松平って?
さち  将軍様の血筋の。
松平  ああ‥‥遠い血縁らしいけどな。
さち  じゃあ、偉いんじゃないの?
松平  おいおい、この国にいったい何人、松平がいると思ってんだよ? どこの役所に行っても、三、四人は、必ず松平がいるんだぜ。
さち  え、そうなの?
松平  ああ。‥‥うちの松平なんか、その下の下の方さ。
さち  ふーん。そうなんだ。
松平  ああ。‥‥だからさ。
さち  何?
松平  そろそろ、その松平さんって呼び方、やめてくれないかな?
さち  え、どうして?
松平  ここには、他にも松平はいるわけだし‥‥。それに、何かよそよそしい感じだし‥‥。
さち  ふーん。‥‥じゃあ、何て呼んだらいいの?
松平  だから、名前でいいよ。一郎さんとか、一郎とか。
さち  でも、教官さんだから‥‥。
松平  だから、その、教官さんってのもさ‥‥。
さち  でも、教官さんは、教官さんだから‥‥。
松平  な、わかるだろ?
さち  ‥‥‥。
松平  な。頼むよ。
さち  ‥‥うん。
松平  その代わり、と言っちゃ、何だけど‥‥。
さち  ‥‥何?
松平  君のこと、さっちゃんって呼んでもいいかな?
さち  え?
松平  な、いいだろ?
さち  ‥‥それは‥‥、命令ですか?
松平  え?
さち  冗談よ。冗談。
松平  あ‥‥何だよ! こら!
さち  申し訳ありません。教官殿。
松平  もう! 怒るぞ!
さち  ウフフフ‥‥。
松平  ハハハハ‥‥。

    しばしの間。

松平  じゃあ、やってみようか?
さち  え? 何を?
松平  何をって、ほら、呼び合いっこ。
さち  えー。何か恥ずかしい。
松平  いいじゃない? こんなの、慣れだよ。慣れ。
さち  でも‥‥。
松平  じゃあ、オレからね。‥‥さっちゃん。
さち  ‥‥‥。
松平  どうしたんだよ?
さち  やっぱり、恥ずかしい。
松平  恥ずかしくないって! ほら。‥‥さっちゃん。
さち  松平一郎さん。
松平  なんだよ! 松平はいらないの! もう一回。‥‥さっちゃん。
さち  ‥‥一郎さん。
松平  そうだよ! やれば、できるじゃない? じゃ、もう一回。‥‥さっちゃん。
さち  一郎さん。
松平  いいね、いいね、グッとくるねぇ。‥‥さっちゃん。
さち  一郎さん。
松平  さっちゃん。
さち  一郎さん。
松平  さっちゃん。
さち  一郎さん。
松平  うーん、たまんないねぇ。これで行こう。これで。
さち  ねぇ、一郎さん。
松平  何だい? さっちゃん。
さち  お願いがあるんだけど。
松平  何だい?
さち  お願いだから、権蔵さんを助けてあげて。
松平  ‥‥‥。また、それか? もう、あんなじじいのことなんてどうでもいいじゃないか。
さち  でも、一郎さん。お願いだから。
松平  だから‥‥。
さち  ねぇ、一郎さん。一郎さん。一郎さん。
松平  ‥‥‥。
さち  ねぇ、一郎さん。さちのお願い。
松平  ‥‥困ったな。‥‥わかったよ。一応言ってはみるよ。
さち  ほんと?
松平  一応言うだけだよ。
さち  わあー、一郎さん、だーいすき!

    さち、松平に抱きつく。
    松平、さちの髪をなでる。

    音楽。
    暗転。



    学校の机が四脚横に並んでいる。
    上手から、矢口、晶子、さち、石原が座っている。
    全員が雑巾を縫っている。
    石原は、頭に包帯をまいて、机に突っ伏している。

矢口  あたし、縫い物なんかやったことないのよねぇ。こんなの無理よ。
晶子  私も苦手よ。大苦手。
さち  でも、小学校の時とか、やりませんでした? 雑巾縫い。一人二枚とか。
矢口  あんなの、ママにやってもらったわよ。
晶子  私もそうだった。
さち  でも、そしたら、家庭科で刺繍とかしませんでした?
晶子  ああ、あったわねぇ。あれ、苦痛だったわ。
矢口  あたしはねぇ、前衛作品を作ってたわ。
さち  え? 前衛作品?
矢口  糸がね、全然思ったように行かないのよ。そしたら、何作ってるのかわけわかんないようになっちゃって、「お前のは、ピカソみたいだ」って言われちゃって。それで、しばらくの間、「ピカソ君」って呼ばれてたわ。
さち  へぇ、「ピカソ君」ですか。
晶子  「ピカソちゃん」じゃなかったの?
矢口  その頃は、まだ、おかまじゃなかったわよ。

    さち、晶子笑う。

晶子  ユーちゃんは、いつおかまになったの?
矢口  そうねぇ、小学校の時から男の子が好きだったけど、スカートはいたり、お化粧するようになったのは、中二頃かな?
さち  へぇ、早熟なんですね。
晶子  そういうのって、早熟って言うの?
さち  さあ?
晶子  学校の教師に文句とか言われなかったの?
矢口  そりゃ、一応、学校じゃ、男の格好をしてたし、お化粧もしてなかったわよ。それでも、しゃべり方とか、歩き方が変だって言われたわね。
晶子  「せんせー、あたしー、そこんとこ、わかんなーい」とか?
矢口  そこまでじゃないけど、そーゆーのって、何かの拍子にたまにポロっと出ちゃうじゃん? ほら、たとえばハチとか教室に入ってきたら、「キャー!」とかって。
さち  うん、わかる、わかる。
矢口  そーゆーのが出ちゃうと、教師がさー、「お前は非国民だ」ってゆーのよねー。それで、ずーっと「非国民」ってアダ名で呼ばれてたわけ。
さち  え? おかまだとどうして非国民なんですか?
矢口  そんなの知らないわよ。教師に聞いてよ。
晶子  ほら、あれじゃない? ホモとかレズとかは、西側の退廃文化だって言ってるでしょ?
さち  おかまは、ホモとかレズの仲間なんですか?
晶子  まあ、似たようなものじゃない?
矢口  違うわよ! おかまをホモとかレズと一緒にしないで!
晶子  じゃ、どこが違うのよ?
矢口  どこが違うって‥‥うーん、とにかく、おかまは、おかまなのよ!

    さちと晶子、笑う。

晶子  じゃあ、そこんとこは、ゴンちゃんさんに聞いてみようか?

    全員、石原を見る。
    石原、机に突っ伏したまま。

晶子  ‥‥ゴンちゃんさん?
さち  大丈夫ですか?
矢口  眠いの? 痛いの?
石原  ‥‥‥。
晶子  ゴンちゃんさん?
矢口  ゴンちゃん、まさか‥‥。
石原  どっちもや。
さち・晶子・矢口  は?
石原  そやから、痛いし、眠いし、どっちもや。
矢口  なんだ、生きてるなら、生きてるって言ってよ。てっきり死んじゃったのかと思ったわよ。
石原  うちはなあ、そんな簡単には死なへんのや。復活!(石原、顔を上げる)

    三人、石原の顔をしみじみと見る。

晶子  それにしても、派手にやられたわねぇ。
矢口  ゴンちゃん、かわいそう。
さち  ほんとに。
石原  ‥‥あんたら、ほんまに、そう思てる?
さち・晶子・矢口  え?
石原  ‥‥それにしたら、雑巾がどうの、ホモがどうのと、えらい盛り上がってたんやおまへんか?
さち・晶子・矢口  あ?
石原  この石原権蔵、トシはとっても、包帯巻かれてても、耳はばっちし聞こえてますねんで。
さち・晶子・矢口  はあ‥‥。
矢口  ‥‥い、いやあ、ゴンちゃん戻ってきたの、夜中だったし、疲れてるかなあって思ってぇ‥‥。
晶子  そ、そうよ、今は、そっとしておいてあげるのが一番かなあってね‥‥。
さち  そう、そう、そうですよねー。
石原  ‥‥ふーん。
さち・晶子・矢口  ‥‥‥。
石原  そりゃ、まあ、えらい気ぃー使うてもうて、おおきにさんどす。
さち・晶子・矢口  ‥‥はあ。
石原  そこまで心配してくれはるんやったら、うちがどないな目ぇに遭うたんかも、さぞかし気になりまっしゃろなあ?
矢口  そ、そりゃあ、そうよ。ねー。
さち・晶子  うん。
晶子  殴られたの?
石原  そら、ぼこぼこでんがな。竹刀でしばかれて、木刀で殴られて、挙げ句の果てには、真剣を目の前にちらつかされましてん。
さち・晶子・矢口  へぇ。
石原  そんなんは序の口でっせ。猿ぐつわを噛まされて、水責め、火責め、笞打ち、石抱き、海老責めと来て、最後の仕上げは逆さはりつけ。それでも、うちは吐きも転びもしませんでした。ほんに、つろうつろうございました。いっそ死んだ方がどんなに楽かと、何度思ったことかしれません。そやけど、そやけど、うちは日本男児、いや、日本おかま。その大和魂のど根性で、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、恥ずかしながら生きて帰ってまいりましたんや。

    さち、晶子、矢口、拍手。

晶子  ‥‥あのう?
石原  はい?
晶子  それ、どこまでホントなんですか?
石原  え?
矢口  そうよねぇ。いくら徳川幕府だからって、この二十一世紀に、水責め、火責め、石抱き、逆さはりつけって‥‥。
晶子  それに、吐きも転びもしなかったって、ゴンちゃんさん、別にスパイ容疑で捕まったわけじゃないでしょ?
石原  ‥‥‥。
晶子  ねぇ、どうなのよ? さっさと吐いちゃった方が、楽になるわよ?
石原  石原死すとも自由は死せず!

    一瞬、沈黙。

晶子  な、何なのよ? それ?
石原  あんたらは知らんやろうけど、うちは国家当局から要注意人物としてマークされてるんやで。石原権蔵ゆーたら、「自由の女神」もとい、「自由のおかま」って呼ばれててな、解放の闘士として西側の連中にも有名なんや。そやから、大日本民主主義人民共和国政府の上層部も、うちのことを恐れてて、うかつに手出しはできひんのや。そら、そうやろ? うちを暗殺や虐殺でもした日には、国連も、国際世論も黙ってへんからな。
晶子  ふーん。‥‥それにしては、派手にやられちゃったじゃないの?
矢口  そうよねぇ。ボコボコじゃん。
石原  そ、そやから、生かさず、殺さずちゅうんが、あいつらのやり方なんや。
さち・晶子・矢口  ふーん。
石原  な、うちのこと、ちょっとは見直したやろ?
さち・晶子・矢口  ふーん。
石原  それでな、そやったら、うちが何で「自由のおかま」になったかということが、気になるところやろ?
矢口  ああ‥‥そういえば、晶子は、どうしてここにいるんだっけ?
晶子  え、私?
矢口  まだ、聞いたことないわよね?
晶子  ええ、まあ。
石原  なあ、うちの話はまだ終わってへんで。
矢口  もうだいたいわかったからいいわ。
石原  いや、これからが話のキモやがな。今までのは前置きや。
矢口  はい、はい、またヒマがあったら聞くわ。
石原  え‥‥。な、なあ、さっちゃんは聞きたいやろ?
さち  同左。
石原  え、ドーサ?
さち  左に同じ。
石原  ‥‥そんな。
矢口  えっと‥‥、そうそう、それで、晶子は、どうしてここに放り込まれたのよ?
晶子  私のはねぇ、すっごく単純な話。要するに、商売よ。
矢口  え、商売?
晶子  私、ロシア人と結婚しててさあ、そのダンナのつてで、ロシアと貿易をやってたのよね。
矢口  へえ。
さち  それだけで捕まったりするんですか?
晶子  それがさ、国営の取引だけじゃ大した稼ぎにならないじゃない? だからさ、その一部を自由市場にも流してたのよね。
さち  何を売ってたんですか?
晶子  元々は魚が中心だったんだけど、そのうち何でも売るようになったわ。食料品、雑貨、電化製品、たまには自動車なんかも扱ったわね。
さち  へえ。それで捕まっちゃったんですか?
晶子  もちろん、やることはちゃんとやってたんだけどね。
さち  やることって?
晶子  だから、商売する時のアレよ。
さち  アレ?
矢口  さっちゃん、知らないの? アレって言ったら、もちお金よ。ワ・イ・ロ。
さち  え、ワイロって‥‥。
晶子  さっちゃん、ホントに何も知らないのねぇ。この国じゃ、たいていのことはワイロで解決するのよ。まあ、逆に言えば、何をやるにもワイロが必要なんだけどね。
さち  そ、そうなんですか‥‥。
晶子  で、私の場合、税関関係に、きちんと支払ってたわけ。だから、税関は、フリーパスだったのよ。商業省の役人にも、ちゃんと年貢は納めてたわ。だから、商売にも何のおとがめもなかったの。
矢口  それなのに、どうして?
晶子  それがさ、運が悪かったのよ。
矢口  運が悪いって?
晶子  ほら、役人の世界ってさ、派閥抗争が付きものじゃない?その派閥抗争で、私と通じてた役人達が一斉にパージされちゃったのよねぇ。それで、そのあおりをモロに受けちゃって‥‥。
矢口  新しい役人に話を付けなかったの?
晶子  もちろん、したわよ。ところが、あいつら、人の足元を見て、とんでもない金額をふっかけてきたのよ。
矢口  とんでもないって?
晶子  十倍よ、十倍。いくらなんでも無茶苦茶じゃない?
矢口  へぇ、ほんとあいつら腐りきってるわね。
晶子  ほんとよ。あいつらに比べたら、犬のクソの方が、よっぽどきれいだわ。
矢口  ふーん。大変だったのねぇ。
晶子  うん。‥‥まあ、そのうち、何とかしてやるけどね。
矢口  何とかって?
晶子  お金に決まってるでしょ? かなり没収されたけど、まだ、ちゃんと隠してあるから。‥‥この国で信用できるのは、ほんとお金だけよ。
さち  あの‥‥ご主人はどうなったんですか?
晶子  ご主人? ああ、ダンナね。わかんないわ。たぶん、ロシアに強制送還でもされたんじゃないかしら?
さち  それで‥‥平気なんですか?
晶子  平気も何も、どうしようもないじゃん。
さち  そ、そうですよね。
晶子  どうしたのよ、さっちゃん? ‥‥ひょっとして、あんたもダンナと生き別れなの?
さち  いや、結婚はしてないですけど‥‥。
晶子  ああ、彼氏さんか‥‥。
さち  はい。
晶子  日本人?
さち  はい。
晶子  西にいるの?
さち  はい。
晶子  その彼氏とはどうやって知り合ったの? いや、答えたくないんなら、答えなくていいんだけどさ。
さち  サッカー選手なんです。国際試合でフランスに行って、そこで西の大使館に駆け込んだんです。
矢口  その彼氏って、もしかして山岸賢司?
さち  はい。ユーさん知ってるんですか?
矢口  あの時は、結構話題になったからね。
晶子  えー? 私、そんな話、知らないわよ。有名な選手なの?
矢口  有名も有名。東日本代表のミッドフィルダーだったのよ。
晶子  ふーん。知らないなあ。
矢口  サッカーファンはみんな知ってるわよ。まあ、一般の新聞やテレビのニュースじゃ出ないけどね。亡命の話は。
石原  ああ、その話やったら、うちも聞いたことあるわ。
矢口  あれ、ゴンちゃんもサッカーファンなの?
石原  まあ、ファンというほどではないけどな。一応名前ぐらいはな。それに、西のやつらからもウワサが入ってたし。
矢口  ふーん。そうなんだ。
晶子  それで、さっちゃんも西に行こうとしたんだ。
さち  はい。
晶子  その彼氏さんのご家族は、今どうしてるの?
さち  はっきりとは知らないんですけど、ウワサでは、島流しになったとか‥‥。
晶子  え‥‥。
矢口  八丈島? 小笠原?
さち  だから、はっきりとは知りません。
晶子  ‥‥そっか。‥‥それはつらいわねぇ。
さち  ‥‥はい。

    気まずい沈黙。

晶子  えーと、その彼氏さん、何て名前だっけ?
矢口  山岸賢司。
晶子  そうそう、山岸さん。その人は、今、どうしてるの?
さち  それも‥‥よくわからないんです。
晶子  ああ、そりゃ、そうよねぇ。
石原  えーとなあ、確か、西のチームに入ったはずやで。なんちゅうチームか忘れたけど。
さち  え、そうなんですか?
石原  まあ、伝え聞きやけどな。確か、そのはずや。
さち  そうなんですか。
石原  ああ。
矢口  よかったじゃない。
さち  はい。
晶子  よかったね。
さち  はい。
矢口  国境を越えた恋か‥‥。離ればなれの悲しい運命の二人。しかし、愛の情熱は、分厚い国境の壁も越えて行く‥‥。
ああ、あたしも、そんな燃えるような恋がしたいわあ‥‥。
晶子  あんたは、ゴンちゃんでいいじゃない?
矢口  何よ、それ?
晶子  お似合いよ。
矢口  あたしの相手が、どうしてあんなボケじじいなのよ!
石原  何やて? うちかて、選ぶ権利がありまっせ。
矢口  それ、どういう意味よ?
石原  あほか? そのまんまの意味やんか?
矢口  あんた、ケンカ売ってるの?
石原  売ってるのは、そっちの方やないか?
矢口  何よ、やるの?
石原  おう、やったろうやないか?

    矢口、石原立ち上がる。

晶子  あんたたち、いいかげんにしなさい!
矢口・石原  ‥‥‥。
晶子  はい、ごめんなさいは?
矢口・石原  ‥‥ごめんなさい。
晶子  はい、仲直りの握手!

    矢口と石原、歩み寄る。

晶子  はい、握手!

    矢口と石原、そっぽを向いて握手する。

晶子  はい、よろしい。

    晶子とさち、笑う。
    つられて矢口と石原も笑う。

    音楽。
    暗転。



    学校の机が四脚横に並んでいる。
    上手から、矢口、晶子、さち、石原が座っている。
    松平が入ってくる。

矢口  起立!

    全員、起立。

矢口  気をつけ!

    全員、気をつけ。

矢口  礼!
全員  よろしくお願いします!

    全員、礼。

矢口  着席!

    全員、着席。

松平  東照宮遺訓。
全員  東照宮遺訓。
松平  一、人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
全員  一、人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
松平  一、不自由を常と思えば不足なく、心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
全員  一、不自由を常と思えば不足なく、心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
松平  一、堪忍は無事長久の基。怒りは敵と思え。
全員  一、堪忍は無事長久の基。怒りは敵と思え。
松平  一、勝つ事ばかりを知って負くる事を知らざれば、害その身に至る。
全員  一、勝つ事ばかりを知って負くる事を知らざれば、害その身に至る。
松平  一、おのれを責めて人を責むるな。
全員  一、おのれを責めて人を責むるな。
松平  一、及ばざるは過ぎたるより優れり。
全員  一、及ばざるは過ぎたるより優れり。

松平  それでは、本日は、論語、学而編を学習する。

    全員、机から教科書を出す。

松平  それでは、矢口、読め。
矢口  はい!(起立)子いわく、学びて時にこれを習う、また説(よろこ)ばしからずや。朋(とも)あり、遠方より来たる、また楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、また君子ならずや。
松平  意味を述べよ。
矢口  はい! ‥‥えーと、先生がおっしゃいました。学んで時々これを習って、また喜んで‥‥。友達が来たら、また楽しくなって‥‥。
松平  違う!
矢口  はい! 申し訳ありません!
松平  バケツを持って立ってろ!
矢口  はい!

    矢口、バケツを持ってきて、立つ。

松平  次! 三村。
晶子  はい。(起立)有子いわく、その人と為りや、孝弟にして上(かみ)を犯すことを好む者は鮮(すく)なし。上(かみ)を犯すことを好まずしてして乱を作(な)すことを好む者は、いまだこれ有らざるなり。君子は本(もと)を務む。本(もと)立ちて道生ず。孝弟なる者は、それ仁の本(もと)たるか。
松平  意味を述べよ。
晶子  はい。わかりません!
松平  馬鹿者! バケツを持って立ってろ!
晶子  はーい。

    晶子、バケツを持ってきて、立つ。

松平  次! 森村。
さち  はい!(起立)子いわく、巧言令色、鮮(すく)なし仁。
松平  意味は?
さち  はい! 先生がおっしゃった。口がうまく、愛想ばかりふりまいている人間は、真心に欠けるものだ、と。
松平  よろしい! 座れ。
さち  はい!

    さち、座る。

松平  次! 石原。
石原  はい!(起立)忘れました!
松平  何? 何を忘れた?
石原  教科書を間違って持ってきました。
松平  何だと?
石原  取りに帰りましょうか?
松平  馬鹿! もういい!
 約一名を除いて、お前らはなっとらん! お前らに学問を期待したのが間違っていた。勉強はもういいから、体で学べ! 今から教室の掃除を行う。先生は雑巾を取ってくるから、机を下げろ! わかったな!
全員  はい!

    松平、退場。
    全員、机を下げ始める。

晶子  約一名を除いて、だって。
矢口  あんな短いのだったら、あたしだってできるわよ。
晶子  ひいきよねぇ。
矢口  そうよ、先生ひいきしてるのよ。
晶子・矢口  ひいき。ひいき。ひいき。
さち  ‥‥‥。
石原  なあ、みんな!
晶子・矢口  何よ?
石原  そんなことゆーたらあかんと思いまーす。
晶子  石原さん、あんた、何いいかっこしてんのよ?
矢口  そうよ。それになまってるから、全然説得力ないしー。
晶子  アハハハ。それは言えてるー。
石原  なんやねん、なんやねん。うちにけんか売ってるんか?
矢口  アハハハ。ケンカの文句までなまってやんの。
晶子  それも言えてるー。
石原  な、なんやねん。関西弁のどこが悪いねん! お前らの言葉の方が、よっぽどきしょくわるいわ!
矢口  何よ? やるの?
石原  おう、やったろやないか!

    石原と矢口、にらみ合う。
    そこへ松平が戻ってくる。

松平  何だ、何だ。お前ら、やめんか! ちょっと先生が目を離したら、すぐにこれだ。本当に、おかまというのはどうしようもないな。
石原・矢口  これとおかまは関係ありません!
松平  ‥‥そういうところだけ一致団結しやがって。
とにかく、今から掃除をするから、一人一枚ずつ雑巾を持て!
全員  はーい。

    全員、松平から雑巾を受け取る。
    全員、雑巾を持って、横一列に並ぶ。

松平  ふき掃除、始め!

    全員、横一列で床をふき始める。

全員  ♪人生楽ありゃ苦もあるさ
    涙の後には虹も出る
    歩いてゆくんだしっかりと
    自分の道をふみしめて

    人生勇気が必要だ
    くじけりゃ誰かが先に行く
    あとから来たのに追い越され
    泣くのがいやならさあ歩け

松平  それでは、先生は、用事があるから職員室に戻るが、さぼらず、けんかせず、ピカピカになるまで、きちんとやるんだぞ!
全員  はーい。

    松平、退場。
    全員、松平の様子を見ている。

石原  よっしゃ、行ったで。
全員  よし! ながーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーいお付き合い。京都銀行!
石原  はい、学校ごっこおしまい!

    全員、雑巾をバケツに入れる。
    机を戻す。

矢口  ああ、おもしろかったねー。
晶子  すっごい懐かしい感じ。
さち  でも、どうして私がいじめられっ子なんですか?
石原  まあ、細かいことは気にせんときよし。
さち  まあ、いいんですけどねー。
矢口  そうそう、気にしない。気にしない。気にしないったら一休さん。
全員  アハハハハ‥‥。

    音楽。
    暗転。



    深夜。
    学校の机が四脚横に並んでいる。
    さちと松平が座っている。

さち  ねぇ、一郎。
松平  うん、何だい?
さち  ちょっと、言いにくいんだけど‥‥。
松平  だから、何だい? 何でも言ってみろよ。
さち  うーん。どうしようかなあ‥‥。
松平  おい、さち、水くさいよ。オレとお前の仲じゃないか? 言っちゃえ、言っちゃえ。
さち  ほんとに、何でも言ってもいい?
松平  ああ、もちろん。
さち  実はねぇ‥‥。
松平  実は、何だい?
さち  実は、お願いがあるの。
松平  どんなお願い?
さち  それがさあ‥‥。
松平  何?
さち  やっぱり、言いにくいなあ。
松平  おい、何だよ。もったいつけるなよ。
さち  言っても、怒らない?
松平  ばか。怒るわけないだろう?
さち  ほんとに、怒らない?
松平  ああ、怒らないよ。
さち  ほんとに、ほんと、何を言っても怒らない?
松平  ああ、怒らない。約束するよ。
さち  ほんとに、ほんと?
松平  しつこいな。だから、怒らないっていってるだろ? オレを信じないないなら怒るぞ。
さち  あ、やっぱり怒るんじゃん。
松平  もう! トンチみたいなこと言うなよ。ほら、さっさと言っちゃえよ。
さち  ‥‥じゃあ、言う。‥‥あのさ。
松平  うん。
さち  実は、私‥‥。
松平  うん。
さち  西トーキョーに行きたいの。
松平  え。
さち  ‥‥ダメかな?
松平  ‥‥‥。
さち  ‥‥やっぱり、怒った?
松平  ‥‥‥。
さち  怒ったんだ‥‥。そりゃ、そうよねぇ。
松平  ‥‥いや、‥‥いや、怒ったんじゃないけどね。あんまり急な話だからさ。
さち  ‥‥ほんとは、かなり前から思ってたんだ。でも、言い出せなくって。
松平  ‥‥そう。
さち  ‥‥うん。
松平  ‥‥どうして?
さち  え?
松平  どうして西トーキョーに行きたいの?
さち  それは‥‥。
松平  それは?
さち  ‥‥実はね、西トーキョーに、私のおじいさんがいるのよ。お母さんのお父さんでね、その人に、うちの家族がすごくお世話になってたの。‥‥ここだけの話だけど、お金の面倒とかもみてくれて‥‥。私達家族が、ここまでやってこれたのも、そのおじいさんのおかげなの。
松平  ふーん。
さち  それで、私が、そのおじいさんの初孫だから、とってもかわいがってくれてて、‥‥手紙では、ずっと連絡してたし、人に頼んでビデオレターも送ったこともあったわ。でも、西の人だから、直接会ったことは一度もないの。
松平  うん。
さち  そのおじいさんが、癌になっちゃって、もう長くないらしいの。おじいさんは、死ぬ前に一度でいいから、私に会いたいって言ってて、私も、大事な大事なおじいさんだから、どうしても会いたいの。
松平  うん。‥‥それで、亡命しようとしたのか?
さち  ‥‥うん。
松平  ‥‥そうか。
さち  私、別に亡命なんかできなくってもいいの。一度おじいさんに会えたら、それだけでいいの。そしたら、すぐに戻って来るから。
松平  ‥‥‥。
さち  だから、お願い。何とかならない?
松平  ‥‥‥。
さち  ねぇ、ねぇ、一郎。お願い。
松平  ‥‥うん。気持ちはわかるけどな。
さち  何とか方法はないの?
松平  何とかって言われてもなあ‥‥。
さち  ねぇ、一生のお願いだから。
松平  そりゃ、できるものなら何とかしてあげたいけどさ‥‥。
さち  一郎の力でも無理なの?
松平  オレはしょせん下っ端役人だからなあ‥‥。
さち  ‥‥そうなの。(泣く)
松平  ‥‥‥。

    さち、泣き続ける。

松平  ‥‥方法が、全くないわけでもないけどな。
さち  ‥‥え?
松平  方法は、ないこともない。
さち  ‥‥それ、ほんと?
松平  ‥‥ああ。でも、相当難しい。
さち  私、何でもするわ。どんな努力でもする。ねぇ、どうしたらいいの?
松平  ‥‥金だ。
さち  え? お金?
松平  それも、相当な金額だ。
さち  相当って‥‥どれくらい?
松平  一千万。
さち  え‥‥一千万?
松平  ああ。それだけ出せば、西へ亡命させるブローカーがいる。
さち  そんな‥‥。一千万なんて‥‥。
松平  ああ。だから‥‥限りなく不可能に近い。
さち  ‥‥‥。
松平  そりゃ、オレ、さちのこと愛してるから、何とか工面できるならしてやりたいさ。でも、一千万て言えば、オレの給料の十年分だからな‥‥。
さち  ‥‥‥。ありがとう。その気持ちだけでもうれしいわ。
松平  ‥‥ごめんな。

    長い沈黙。

松平  ‥‥あのさ。
さち  ‥‥‥。
松平  なあ、さち。
さち  え?
松平  ‥‥物は相談だけど。
さち  え? 何?
松平  オレと結婚しないか?
さち  え? 何言ってるの?
松平  そうすれば、何とかなるかもしれない。
さち  え? いったい何の話?
松平  オレとさ、一緒なら、西へ行けるかもしれない。
さち  え‥‥。
松平  下っ端役人と言っても、オレは一応、国側の人間だ。その立場を利用すれば、国境を越えることも不可能ではないかもしれない。
さち  え‥‥。
松平  なあ、‥‥オレと一緒に亡命しないか?
さち  な‥‥何を言ってるの?
松平  だから、オレたち二人で、西へ行くんだよ。
さち  一郎。‥‥あなた、それ、本気で言ってるの?
松平  オレは本気だ。
さち  ‥‥‥。
松平  ‥‥単なる思いつきで言ってるんじゃないんだ。‥‥オレは長い間、この国で役人をやって来た。それで、この国の表も裏も見てきた。それでわかってるんだ。この国で必要とされているのは能力じゃないんだ。家柄なんだよ。家柄で全てが決まるんだ。だから、オレみたいな下っ端役人がいくら努力したって、しょせん先は見えてるのさ。それだったら、いっそのこと‥‥。そんな思いがないわけじゃなかった。でも、きっかけがなかった。でも、オレは、今、こうしてさちと出会えた。お前と二人なら、何でもできるような気がしてるんだ。
さち  ‥‥‥。
松平  もちろん、リスクはかなりある。でも、どうせ一度の人生だ。このチャンスに、二人で賭けてみないか?
さち  一郎‥‥。
松平  さち‥‥。

    さちと一郎、抱き合う。
    その時。

矢口の声  ラブシーンはそこまでよ!
さち・松平  !

    矢口が銃をかまえて登場。

松平  矢口!
さち  ユーちゃん!
矢口  松平一郎、森村さち、あんたたちを国家反逆罪で逮捕するわ。
松平  な、何を言ってるんだ?
さち  ユーちゃん?
矢口  まだ、わかってないようね?
さち・松平  ?
矢口  月に代わってお仕置きよ!(ポーズ)
さち・松平  はあ?
矢口  これでもわからないの? あんたたち、相当お馬鹿さんなのね。じゃあ、冥土の土産に教えてあげようじゃないの。
あたしこと矢口悠也は、再教育収容者とは世を忍ぶ仮の姿。しかして、その実体は‥‥聞いて驚くんじゃないわよ。大日本民主主義人民共和国公安省の秘密エージェントなのよ!
松平  何だと!
さち  ユーちゃん‥‥。
矢口  フフフ‥‥。お二人とも、やっと事態が飲み込めたようね。
松平  き、貴様‥‥。
さち  ユーちゃん、あなたスパイだったの? ずっと友達だと信じてたのに‥‥。
矢口  おっと、さっちゃん、そんな泣き落としに乗るようなアタクシじゃなくってよ。‥‥まあ、事が事だけに、二人とも仲良く公開処刑は免れないわね。
さち  ねぇ、ユーちゃん。
矢口  だから、その手は桑名の焼きハマグリだって言ってるでしょ!
さち  ねぇ、一つだけ、教えて。あなたはほんとのおかまなんでしょ? それなのに、どうしておかまを弾圧する政府のスパイなんかになったの?
矢口  それは‥‥。
さち  ねぇ、教えてよ。
矢口  ‥‥それはねぇ、あたしがおかまだからよ。
さち  え?
矢口  ‥‥あたしはねぇ、中学校の頃から、ずっといじめられてきたのよ。非国民、非国民って呼ばれてね。それでも、じっとがまんしてたわ。どんなに抗議したって、この国じゃ、おかまの権利なんて認められるわけもないからね。
さち・松平  ‥‥‥。
矢口  ‥‥そんなあたしでも恋をしたわよ。高校生の時、大好きになった人がいてね、でも、ずっと黙って見つめてたの。片思いのままでいい。片思いのまま終わらせようって。だって、おかまはそうするしかないじゃないの? でも、卒業式が近くになって、愛は通じないかも知れないけど、心と心は通じ合うかもしれない。心には男もおかまもないから。そう思ったのよね。だから、勇気を出して告白したの。ただの友達で終わってもいい。そう思って告白したのよ。そしたら、彼、何て言ったと思う? 「気持ち悪いから、二度と近づくんじゃねぇ! この非国民が!」
さち・松平  ‥‥‥。
矢口  ‥‥あたし泣いたわよ。一週間泣き続けた。そして、この国に生まれたことを恨んだわ。この国を憎んだわ。‥‥だからね、あたしは決めたの。見返してやろうって。あたしを馬鹿にしたやつら、あたしを傷つけたやつら全員に復讐してやろうって。そのためには、どんなこともしてやるって。‥‥だから、あたしは、国家の犬になったのよ。本音と建て前を使い分けて、甘い汁を吸ったり、うまく世渡りする連中を、憎い国家権力の力を借りて、みんなあばき出して、処刑台に送り込んでやるのよ。

    しばしの沈黙。

さち  ‥‥ねぇ、ユーちゃん。
矢口  何よ!
さち  それじゃ、あなたも西へ行けばいいじゃないの? そう思わなかったの?
矢口  あたしなんかが西へ行けるわけないじゃないの? 世の中はね、あんたが考えてるほど甘くないのよ。
さち  ねぇ、私達と一緒に西へ行きましょうよ。
矢口  フフフ‥‥。その手には乗らないわよ。‥‥それに、あたしは、この国が憎いから、この国から逃げるのは嫌なのよ。

    そこへ、石原が飛び込んで来て、矢口を羽交い締めにする。

矢口  あんた! 何すんの!
石原  じゃかましい! この裏切りもんが!

    石原、矢口から銃を奪い、銃を矢口に突きつける。

矢口  !
石原  石原権蔵見参! 義によって助太刀致す!!
さち  ゴンちゃんさん!
石原  あんたみたいなんはな、おかまの名折れや! うちは、ダテに「自由のおかま」と呼ばれてるわけやおまへんのやで!
さち  ゴンちゃんさん!

    さち、石原に駆け寄ろうとする。

松平  行くな! さち!

    松平が銃を取り出し、石原に向ける。

石原  なんや、あんた、恩を仇で返すんか?
松平  さあ、さち、こっちに来るんだ!
石原  さっちゃん、行ったらあかん!

    さち、石原と松平を見つめ、立ち尽くす。

石原  もう、誰が味方で、誰が敵か、わからへん。さっぱりワヤやがな。
松平  さち!

    混乱に乗じて、矢口が石原から銃を奪おうとする。

石原  あ、こいつ!
矢口  よこしなさいよ!

    石原と矢口が銃の奪い合い。
    その時。

声  全員、動くな!
全員  え?
声  銃を捨てて、手を挙げろ!
全員  え?
声  手を挙げるんだ!
全員  え?

    その瞬間、上手奥から激しい光と機関銃音。
    全員が、次々と倒れていく。

    静寂。
    硝煙と薄明かりの中に、転がる死体。

    音楽。
    暗転。



    学校の机が四脚横に並んでいる。
    晶子が座って、折り紙を折っている。

晶子  ‥‥みんな、いなくなっちゃった。

    しばしの間。

晶子  ‥‥みんな、いなくなっちゃったのよねぇ。

    晶子、ツルを持って、ゆっくり立ち上がる。
    ツルを石原の机に置く。

晶子  ‥‥ゴンちゃん。‥‥石原死すとも自由は死せず‥‥か。‥‥結局、ゴンちゃんも自由も、両方とも死んじゃったわねぇ。‥‥みんなみんな死んじゃったわねぇ。

    晶子、ツルをさちの机に置く。

晶子  ‥‥さっちゃん。‥‥結局、あなた、彼氏に会えなかったわねぇ。あなたにだけは幸せになってほしかったのに‥‥。愛の力でも国境の壁はこえられなかったわねぇ。‥‥ねぇ、彼氏に何か伝言でもある? あたしが伝えられるかどうかわかんないけど。

    晶子、ツルを矢口の机に置く。

晶子  ‥‥ユーちゃん。あたし、あんたのこと嫌いじゃなかったわよ。ちょっとどんくさくておバカなおかまだったけど、なんか憎めなかったわ。女とおかまの友情ってありかもしれないと思ってたんだけどね。

    晶子、再び座る。

晶子  さて、と。あたしはどうしようかな? みんないなくなっちゃったし、ひとりぼっちだねぇ。
‥‥こら、さびしいぞ。

    しばしの間。

晶子  あ、紙飛行機。

    晶子、紙飛行機を折る。

晶子  今度は、遠くまで飛べるかなあ‥‥。

    紙飛行機を、客席に投げる。

晶子  ブーン。ほら。

    音楽。「紙飛行機」(井上陽水)

  白い紙飛行機 広い空をゆらりゆらり
  どこへ行くのだろう どこへ落ちるのだろう
  今日は 青空が隠れている

  風がふいてきたよ 風にのれようまく
  だけど余り強い風は 命取りになるよ
  君は プロペラを知らないのか

    暗転。

                          おわり

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