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役に立つことなんかするな! 心の管理社会へのささやかな異議申し立て

管理社会というと「1984」という小説が有名だが、近年の状況を見てると、少し違う面が見えてきた。

「監視カメラ」とか「個人情報の管理」みたいなのがよく語られるんだけど、今、それ以上に「心の管理社会」になりつつあるのが恐いと思う。

「今だけ、カネだけ、自分だけ」という言葉が使われ出して久しいが、これに管理されてしまっているのだ。しかも、国家権力によってではなく、社会やあるいは自分自身によって。

妹と電話してて、大谷の話をしてたんだけど、「最近、子供は野球をしないよね」という話になった。その原因はいろいろあるんだろうけど、大きいのは「草野球」がなくなったこと。これは野球だけの話じゃなくて、子供の世界に「あそび」がどんどんなくなっているのだ。今、野球をやろうとしたら、リトルリーグとかの団体に入らなくてはならない。それは、サッカーでもラグビーでも同じだろう。つまり「スポーツ」をやるしか選択肢がない。「何の役にも立たない楽しいだけのあそび」はどんどん消えて行って、スポーツとして組織化されている。そして、少しでも才能があったりすると、「スポーツで進学できないか」「オリンピックに出られないか」「プロを目指せないか」ということになる。

これはスポーツだけじゃない。マンガを描くのが好きなら「プロの漫画家になれないか」ということになるし、ゲーム好きでさえ「eスポーツ」なんてのがある。そして、それぞれに塾があったり、専門学校があったりするわけだ。

あげくの果ては、粗暴なケンカさえ、「ブレイキングダウン」として競技化している。

もうそのうち、木登り好きでさえスポーツクライミングに取り込まれそうだし、イジメなんかも得点競技になるかも?と話したが、ほんと、これ、笑い話じゃないかもしれない。

ということで、今、子供たちに最も必要なのは、「何の役にも立たない、カネにもならない、たた楽しいだけの遊び」なのだと痛切に思う。こんな子供が遊びもできない世の中じゃ、ロクな人間が育つわけがない。

私には子供はいないが、もしいたら「役に立つことなんかするな!」と言いたい。「面白くてタメになる」もだめだ。絶対「タメになる」に取り込まれてしまうから。

そう思うと、「ゆとり教育」ってほんとに正しかったのだな。でも、遅すぎたのだ。あの時、もう既に、子供も教師も「ゆとり」の意味や大切さを理解できない状況になっていたのだった。


【追記】
「何の役にも立たない遊び」が、実は後々役に立つことは往々にしてあるが、それを逆転させてはダメだ。「意味なく苔の採集が好きな偏執的なおっさんが、数十年後ノーベル賞をとること」はあってもいいが、「ノーベル賞をとるために苔を採集」してはいけない。

「コスパ」なんて誰が考えたのだ。コスパの人生なんてクソだ。

「一番コスパの良い生き方は死ぬことですよ」と成田某が言ってたが、けだし名言だ。


最近は、「断捨離」とか「終活」とか「小さなお葬式」とか、死に方さえ、管理しようとしてる。ほんとろくでもない世の中だ。
せめて好きに死なせてくれよ!

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