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マン歯ッタン

3年か4年ほど前、ニューヨークに居た。期間は3ヶ月か4ヶ月くらいで、あるいは半年ほどかもしれない。5年か6年ほど勤めた会社を辞め、なんとなくの勢いで、1番行きたかった場所に住もうと思い、アポロシアターのあるハーレム地区にアパートを借りた。ニューヨークはふざけてるのかと思うほど家賃が高く、マンハッタンで比較的安い同地区でも、月30万円ほどかかったと思う。20万円くらいかもしれない。
 
ニューヨークでは、語学学校に通ったり、市街地のど真ん中にあるブライアントパークという馬鹿でかい公園で一日中ぼーっとしたり、日本人観光客向けの現地のウェブメディアになんか書いたり、食べたくもないピザを食べたりしていた。
 
食べていたものといえばピザ、と思えるくらいピザを食べていた気がするけれど、実際はそうでもないのかもしれない。スーパーに行って何かしらの食材を買ったり、ときにはちゃんとしたレストランみたいなところに行ってちゃんとしたものを食べていた気もする。でも、あの、油でぎっとぎとの、ぺらぺらの紙皿に載ったやっすいピザを食べていた映像が、記憶の浅いところに浮かんでいる。
 
なぜニューヨークに行ったかというと、都会が好きだからだ。うんざりするような人混みや、方々で巨大な液晶が光っている感じ、人の声が人の声でかき消される密度、タクシーの列、そういう景色の中にいるのが好きで、その最たるものがニューヨークというイメージ、とくにタイムズスクエアに行ってみたかったのだけれど、ハードルを上げすぎたのか、大きな感動はなかった。ああ、なんか光ってるし、人も多いし、裸体にアメリカの国旗をペイントした男女が普通に歩いてるし、ドナルド・トランプの被り物を着けておどけている人もいるしで、やたらイベント感に溢れているけど、この感じは渋谷スクランブル交差点、とりわけハロウィンのときのそこと遜色はないなと思った。年末には、交差点の中央に掲げられた巨大くす玉がどうにかなって市民がやたら盛り上がる「ボールドロップ」というイベントがあるらしいから、そっちはすごいのかもしれない。
 
あと臭い。とにかくあの街は、いたるところが臭い。地下鉄の車内、駅、路地、このあたりは薄汚れている場所が多く、悪臭も発生している。意外だったのは、ドラマや映画などの舞台になりがちなセントラルパークも臭かったことだ。

ここに関しては、園の外周、入り口付近に馬が大量にいることが原因と思われ、爽やかな景観と反し、飼育小屋のような臭いがする。でもそれはあくまで入り口や外周付近に限った話で、園内はまったく臭くないのかもしれない。「くさっ」と思った段階で即座に鼻孔を閉じ、以降しばらく鼻で呼吸をしないという習慣があるので、ニューヨーカーたちがスターバックスのコーヒーを飲んだりペーパーバックスを読んだりしているオシャレ園内では、嗅覚を閉ざしていた可能性がある。もしかしたら、地下鉄車内や駅でも、何度か「くさっ」と思っただけで、実際にはほとんどの場所で鼻を閉じていたのかもしれない。ということは、ニューヨークは案外臭くないのかもしれない。
 
自由の女神は見た気もするし、見ていない気もする。これは本当に覚えていない。通っていた語学学校がロウアーマンハッタンの中でも最南、女神像に向かう船が発着する場所に近く、観光する機会などいくらでもあったはずだった。ということは見た可能性が高いのだけれど、像の改修工事か、像の位置するリバティ島自体の封鎖か、そういった理由でいまは近寄ることができないと、講師か誰かに言われた記憶がある。像を眺めている映像は頭に残っている。でもそれは実際に見たものか、過去に映画などで見たものか、判別することができない。いまとなってはどちらでも構わない。
 
いつかの帰路に、背の高い老爺に杖で膝を叩かれたり、タイムズスクエアあたりをぷらぷらしていて、首に直径十センチくらいの縫い目を浮かべた、白目を剥いている大男に進路を塞がれ、首を裂かれるに至った経緯を訊いてもないのに延々と説明された記憶などもあるのだが、これも夢だったり、妄想だったりするのだろうか? でも悪い記憶には妙なリアリティと説得力があり、楽しかった記憶に比べ、たしかに現実だったと信じられそうだ。頼もしい。
 
「ここは、たまに銃撃事件が起こる場所だから。銃声が鳴ったと思ったら、窓に近づかないように」
 
どっかで知り合った女の人に言われた気がする。これは怖い記憶だから本当である確率が高い。僕が住んでいたハーレム地区は、アフリカ系アメリカ人の文化が根付く街で、ガイドブック上で危険とされる場所も多い

とくにアポロシアターのある125st以北は、治安が悪く、僕は126stか127stか128stか129stに住んでいたので、それなりの警戒が必要だった。「銃声が鳴ったと思ったら、窓に近づかないように」は冷静に考えれば当たり前の話で、そもそもどんな音が響いても普通であれば「銃声が鳴った」とは思わないので、自身のセキュリティレベルを上げるため、破裂音はなるべく銃声だと思い込むようにしていた気がする。
 
たしかな記憶を思い出した。これはたしかだ。旅の後半、ずっと歯が痛かった。だから歯科に行った。現地の歯科は保険が適用されないので、狂ったように高い。5万とか6万とか、それくらいしたと思う。でもそのくらい払ってでも治してもらわずにいられないほど、歯の痛みは激していた。
 
「痛い」という感覚は、楽しい、嬉しい、面白い、充実してる、綺麗、美しい、臭い、このくらいの感情や感覚は軽く上回ってくるので、後半はほとんど「痛い」に終始していた。

なんとか我慢し、帰国した際にはすぐに歯科にかかる、そう意識し、現地での生活を「痛い」に捧げていた。でも限界だった。痛みというのは絶対的なものなので、頑張るとか踏ん張るとか歯を食いしばるとか、そういうことでは一切揺らがない。痛んでいる当事者は相対化する術を持っていない。
 
ニューヨークでの記憶と「痛い」という感覚は密接に結びついている。痛みと記憶は相性がいい。どんなことを思い出しても、結構な頻度で「痛っ」と思う。頭より先に歯が思い出す。記憶をたどる際、頭は信用ならないけれど、肉体は信用できる。このことを学んだ。
 
3ヶ月か4ヶ月か半年が過ぎ、帰国の日となった。現地の知り合いと、ありがとう楽しかったまた会おう的なことをしたのかしていないのか、覚えていない。空港に向かったのが、昼だったのか夜だったのかもわからない。

タクシーの車窓から、遠ざかっていくマンハッタンの夜景が見え、まるで映画の世界だな、100万ドルの夜景ってニューヨークだっけ、あれ、それは香港? そもそも香港の通貨ってドルだっけ? あ、ドルか、とかなんとか思った気もするけれど、それは現地に着いた日、つまり行きの話かもしれない。夜景は遠ざかっていったのではなく、近づいていったのだろうか。

空港に早く着きすぎてやることがなく、麺の伸びたうどんを啜りながらいたずらに時間を潰していたのも行きの話? だとすると、帰路に関する記憶がまったくない。本当に帰ったのか? 
 
なぜこんなことを思い出したかというと、いま通っている歯科から定期検診の手紙が届いたからだ。紙面に描かれた歯のロゴが、見事に記憶のトリガーとなった。以前なら放置していたけれど、あの旅で「痛みを放置すると大変なことになる」という当たり前のことを学んだので、早速電話をかけた。検診を受けながら、マンハッタンの夜景を思い出すかもしれないし、思い出さないかもしれない。

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