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『もしも、突然「天変地異」が起こったら』ー10ー〈古代地震は「地の妖」であった〉

リモートの息抜きに
近所をブラっとしてみる。

「緊急事態宣言」も解除され
かなり人が出ている。

皆平和そうだ。

「今日の地震」は、
小さな地震一件だけ。

危機感が薄れる。


滅多に行かない方へ歩く。

図書館があった。

そう言えば
息子が通ってたな。

図書館に入り

気がつくと1冊の本を借りていた。

朝日新聞出版

『津波、噴火、、、
日本列島地震の2000年史』

様々な専門家の先生方の見解が
掲載されていた。

常時【天変地異】という言葉を
意識しなければ、一生借りない本だろう。

気になるタイトルを見つけた。

岡山大学院 今津勝紀准教授の

古代の地震と噴火
〔地震は「地の妖」であった〕

ざっくり抜粋する。

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「天災・地妖」とは、
古代の災害の表現である。

(『日本書紀』孝徳元年六月辛亥条『日本霊異記』、、)

人々は、天神地祇(てんじんちぎ)を祀り、
仏に祈ることでそれを鎮めるのだが、
こうした地の妖(わざわい)の代表例が
地震と噴火であった。

古代の地震は
地上の支配者の統治がうまくゆかないときに起こるものとされていた。

天平6年(734)4月に生駒(大阪府)近辺にて大地震が発生し、多くの犠牲者が出る。聖武天皇の治世下で、天下に大赦を行う。

その詔は
「朕が訓導の不明に由り、民多く罪に入る。責めは予1人に在り、諸々に預かるに非ず。」

聖武天皇は人々の安全と生活の保全には
仏教が最も効果的と考え、
全ての仏教経典を写させる事業と
大乗経典で最も重要とされる
大般若経の転読を命じ事態の収拾をはかった。

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災害を天皇だけに
押し付けるのはどうかと思ったが、

昔の天皇は災害を一身で受け止める
気概があった事に心が動く。

更に「聖武天皇」は事態の収拾に
尽力した姿勢も流石だ。

その後こんな内容が

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800年代、地震が頻繁に起き仁和3年(887)
の南海地震後、平安京では流言が飛び交い
怪奇現象が出現大混乱に陥り
8月20日平安京に台風が襲い
鴨川と桂川の氾濫にて
京中は大水害に見舞われる。

この惨状を目の当たりにして、
地震発生の直前まで相撲を楽しんでいた
時の天皇「光孝天皇」がにわかに崩御した。

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昔、『陰陽師』という映画があったが
妖怪がはびこる平安京では
この大災害も妖怪の仕業だと
思っていたのだろうか。

地震が地の妖怪。

それが迷信なのか
どこか的を得ているのか、、

それにしても
「光孝天皇」は色んな意味で残念だ。

古代でも現代でも
相変わらず地震はやってくる。

きっと古代と現代の地震には
必ず共通点があるはずだ。

外は強い雨。

黄色いカッパを着た息子が
習い事から帰ってきた。

今度、
一緒に図書館に行ってやろう。

〈続く〉