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第四部 [カスハラ]に疑義を唱える意見への反論



カスハラの類の投稿は久しぶりですが、なかなかの記事を見つけたのでそれをたたき台に話をします。2017年はカスハラという言葉が出始めて間もない頃だと思うので、当時の常識では仕方ないのかもしれませんが、今なら炎上するでしょうね(苦笑)

記事は下記です。引用の仕方に問題有ればいって下さい。
携帯ショップや病院で「カスハラ」扱いされた高齢者の困惑
2017.12.13 16:00  週刊ポスト

https://www.news-postseven.com/archives/20171213_636297.html?DETAIL


内容を要約すれば、「接客側の対応に落ち度があるから客が怒鳴ったりキレたりしただけなのに、それをカスハラ客というのは如何なものか。高齢者はカスハラ客だという若者の方は本当に正しいのか」といった主張です。
一見正しいように思いますが、明らかにおかしい点があります。それは、【接客側に落ち度があったとしても、カスハラをしていい理由にはならない】ということです。カスハラはハラスメント=嫌がらせであり、記事の主張を当てはめるなら、【落ち度がある相手は嫌がらせを受けても仕方がない】という、[学校でイジメられるやつにも落ち度がある]的な、モラルからかけ離れた主張と捉えられるからです。

カスハラあるあるなのですが、この記事はクレームとカスハラを混同しています。「接客への改善を求めるクレーム」と、「怒鳴る・キレるなどのカスハラ」は別だと言うことです。クレームを言うのなら大声で怒鳴ったりキレたりせず、「ここをこうして欲しいです。」「ここはこうではないですか?」などをフツーに言えば【カスハラ客】などと認識されず、接客側も丁寧に改善・提供するでしょう。
それを「〇〇と言っただろ!」や「○○ってのが分からんのか!」と言うように、カスハラ要素を余計にプラスする、つまり余計なことを客側がするからややこしくなるのです(苦笑)「満足のいかない対応」が【店側の落ち度】であるならば、「カスハラ」は【客側の落ち度】だとも私は考えています。

ただどうしても「文句のつけようがない素晴らしい接客」を求める考えがあり、その延長線上に、「落ち度のある接客をしたなら、カスハラを受けても仕方がない」という考えに結びついてしまうのが、カスハラが改善されない大きな問題だと考えています。
特にお客だけでなく、接客業がハマっている人(特に接客業を長年続けていたり、接客することへのプライドを形成している人)などの接客側にも「カスハラ対策」が腑に落ちていない人がいる点にメスを入れなければ、カスハラ問題は悪化の一途を辿るでしょう。今回の記事に合わせていうならば、「そこに無意識に気づいている若者と、気付けていない高齢のお客」ということなのかもしれません。

「カスハラ」という分野が問題として確立した以上、それを無視することは出来ません。「接客への拘り」がその問題解決を妨げるなら、拘り続ける人は時代遅れと言わざるを得ません。時代の変化についていけない人は、潔く身を引くべきだと私は個人的にですが思います。

接客の中でカスハラがあった場合、私の理想は
客「〇〇いうてるやろ!」
店「申し訳ございません。その部分は訂正・改善いたします。しかし、大声で怒鳴ることは他のお客様のご迷惑となり、また、そのように店側を畏怖させる行為を私どもが受け入れることは出来ません。次もそのような行為をされるなら、私どもも然るべき対応をさせて頂くことになります」(クレームは受け入れますが、カスハラは認めません的話し方をする)
客「しっかりしてくれるなら、ええわ。大声出してすまんかった」
このように【客と店でお互いの非を認め合える関係】を目指すべきであり、カスハラ対策はその重要な要素です。私自身は接客業に身を置く者ですが、そういった社会に変えていけるよう、自分に出来ることを少しずつしていきたいと考えています。

人々が互いに間違いを認め合い、無闇に傷つけない・傷つけることを許さない社会を、一日も早く見てみたいと思っています。

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