浦和レッズ〜GKの歴史〜①
30年の歴史の中、様々な個性豊かな面々がレッズのゴールを守ってきた。他チームのGK事情は詳しくないが、キーパーのレベルの高さはチームのウリの一つと言っても良いだろう。
レッズに所属したキーパーと、守護神の移り変わりをまとめてみたいと思う。
①1992年〜2001年
土田尚史
田北雄気
ミロ
西部洋平
安藤智安
浦和レッズの始まりは2人のGKと共に
1992〜1998年
土田尚史 167試合(以下全て公式戦)
田北雄気 114試合
ミロ 10試合
92年に浦和レッドダイヤモンズとしてスタートし、93年にJリーグが開幕。
土田尚史の紹介で詳しく書いているが、初期のレッズはとにかく弱く、守備が崩壊していた。
土田がレギュラー、田北がサブという位置付けでスタートし、途中ミロが加入するも正直「誰が出てもあまり変わらない」状態で、3人共一定以上のレベルにはあったと思うのだが、数字で見ると散々な結果になってしまっていた。
95年、ギドが加入してからは守備も安定、成績も上向きになった。
97年、98年は土田と田北で出番を分けあっている。
97年に安藤が加入。
また、当時所属していたが出番がなかったGKに
高橋範夫 (仙台他)
J1、J2で150試合以上に出場
荒谷弘樹 (大宮他)
J1、J2で170試合に出場
本間幸司 (水戸)
J2で600試合に出場
など移籍後他チームで活躍したGKがおり、土田、田北のレベルの高さがうかがえる。
西部の台頭と1時代の終わり
1999年〜2001年
田北雄気 68試合
西部洋平 48試合
安藤智安 17試合
1999年
田北雄気がレギュラーに。しかしチームはJ2降格してしまう。新人として西部洋平が加入。
2000年
田北の立ち位置は変わらなかったが、昇格に黄色信号が灯り監督が交代。
GKには若手の西部洋平が抜擢され、以降レギュラーに。ベンチには年間通して安藤が座った。
西部について詳しくはこちら。
この年のオフ、土田尚史と田北雄気は引退。
同じの年に生まれ「目も合わせなかった」というライバル関係だった2人の引退。一つの時代が終わった。
2001年
新人として山岸範宏が加入。レギュラーは西部、サブに安藤という立ち位置。西部不在時は山岸がベンチ入りした。
若き守護神の活躍と、地元埼玉出身の山岸の加入。
新しい時代が始まった。
その②に続きます。
読んでいただきありがとうございました。
現代までまとめて書くつもりでしたが、長くなりすぎちゃったので分けます笑正直面白いかどうか分からないのでTwitterで宣伝はやめておきます…が、読んで頂いた方に広めてもらえるのは大歓迎です。
②がかなり力入ったのでやっぱりTwitterに上げます笑
では次もよろしくお願いします。
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