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10歳でハムスターのお母さんになった娘の話。<別れ編>

薬が効き始め不安が和らいでいくと共に、合間に行っていた手洗いが少なくなって、毎日のお世話がものの5分程度で済むようになった。
症状が寛解したことで、できることも増えたが、学校に行けるようになったわけではなかった。
ハムスターの癒し効果はあったけど、心のエネルギーを貯めるまでにはいかず、学校に行けていない不安は依然残ったままだった。

不登校児が抱える不安、その不安を埋めるためにゲームとYouTubeには没頭するものだという認識はあった。

私は、最初の方こそ、制限をつけて何とか学校に戻れるようにと取り組んでいたが、本人が自分で決めて、自分で立ち上がれるようになるまで、ただ見守る、認めることしかできないんだと気付き、制限することをやめた。
そして監視、先回り、コントロールしようとして空回り、苦しくなっている自分を解放し、娘の寝起き時間に口出しするのもやめた。

すると、ハムスターのお世話も必然的にルーズになっていった。
iPadをケージの前に置き、YouTubeを見ながらお世話をする。
お世話タイムも、寝る寸前の11時12時近くになることもあり、私のサポートタイムもそれに合わせて遅くなるため、その時だけは、「もっと早くにやろうよ」と言わずにはいられなかった。
何週かにわたって私の小言が続くと、「1人でできるからママは手伝ってくれなくていいよ。」と娘は言い、その時から私のサポートは要請があった時のみとなった。

トイレの掃除も床材の交換も最初の頃よりは適当にはなったけど、自分のタイミングで自分のペースで、お世話を毎日続けた娘。
気がつけば、糞尿が絡んだ汚い床材を素手で掴んで捨てるようにもなっていた。
最初のうちはきっちりすぎるほどきっちりと神経質にお世話していただけに、ちょっと適当になったぐらいでハムスターのみならず、自分の命にも関わらないことに気づいたんだと思う。
そのあたりから、ルーズになったお世話よりも、毎日お世話をしている娘の姿に視点を変え、「お母さんやってるねぇ」とか「ハムちゃん幸せそうだねぇ」と娘の自信に繋がる言葉がけを意識した。

ハムスターが2歳を迎える少し前、明らかに体調が悪そうな日が続いた。
「お迎えが近いかもしれないね」と話すと、娘はハムスターを優しく抱きしめ、泣きながら「ありがとう、ありがとう、大好きだからね」と何度も伝えていた。
その次の日、ハムスターはケージの中で笑っているように亡くなったいた。
「強くなれたよ、励まされたよ、幸せだったよ、ありがとう。」と与えてもらったものへの感謝の気持ちを伝えながら娘はたくさん泣いた。
娘が落ちつくのを待って、「心残りはある?」と聞いてみた。
「毎日ちゃんとお世話できたからない。感謝しかない。ハムちゃんのおかげで病気に負けたくないと思った。」と娘は言った。
この頃、強迫の症状が再燃してきていて、お世話中の頻繁な手洗いこそなかったが、1日に何度もお風呂場で足を洗うという強迫行為が頻発していた。
でも、ハムちゃんが亡くなった日だけは、足洗いを1回にとどめた。

強迫観念のせいでこだわりが強く、こうでなきゃダメだと囚われすぎていた娘が、ハムスターのお世話を続ける中で「まぁいっか」と思える領域を見つけたんだと思ったら、ルーズになったことはむしろ成功体験でしかなかった。
そして、「毎日続けたこと」が、できなくなったこと、やれなくなったこと、守れなくなったことよりも、ずっとずっと素晴らしいことのように思えている。
今、どれだけの時間ゲームやYouTubeに没頭していても、どれだけ遅くに寝て遅くに起きても、ハムスターのお世話を毎日していた娘がいたという事実だけで、私は娘を丸ごと信じることができている。

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