見出し画像

幼なじみとの関係。終わらせる?終わらせない?

しばらくnoteが書けなかった。

記したいことがたくさんあるのに、時間がないわけでもないのに、noteを開くことすらためらう日もあった。

自分探し、自分軸をつくるためにnoteを始めたわけだから、ちゃんと正直に記録しおこう。

まだまだ未熟で情けない自分も自分なのだと認めるための記録。


とはいえ、私はやっとしんどかった問題から解放されたんだと思う。

ぴぃの不登校問題からではなく、なかなかぬぐえなかった自分自身の問題から。

何度かnoteにも記録していた幼なじみ2人との関係。

ぴぃの不登校をきっかけにして、自分の中で勝手にこじらしてしまっていた関係。

タイプは違えど、とにかくしっかりものの幼なじみ2人。

やるべきはしっかりやりとげるし、負けず嫌いで、努力家で、綺麗好き。

子育てにおいては、若干厳しくも感じるが、自分の時間を削ってでも、できる限りのサポートを惜しまない。

いっぽうの私は、2人に比べるとガサツでおおざっぱ。

昔から物事は周りがよければどっちでもよくて、あらゆる決め事はしっかりものの2人に任せてきたことが多い。

子育てにはいつも自信がなくて、甘いと思われることも多々あった。

私はそんな自分に満足しているわけではなく、気づけば、私みたいにならないようにと、ぴぃをコントロールしたり、先回り、監視するような母親になっていた。


ぴぃの不登校からしばらくたち、私自身が変わるべくいろんな学びを経て、「ぴぃのありのままを受け入れて、見守るんだ」という思いを伝えた時に言われた言葉。

「いつまでも甘やかしていたら何も変わらないよ。」

あぁ、私なりにお母さんがんばってきたんだけどな・・・、それすら甘やかしになるのか・・・。

2人には私の思いは伝わらない、分かってもらえない、共有できないんだと確信した言葉だった。

昔からの私を知る2人には、ぴぃの不登校は、「私の甘やかし」と「ぴぃの甘え」によるものと思われている感覚が拭えなくなる。

それからは、なんでも話してきた関係だからこそ、会うたびに自分のことを話す意味の無さを感じた。

ほんとは泣きたい、聞いてほしい、そんな時でさえ、笑顔で取り繕う自分に疲れた。

彼女たちの子供がそれぞれ海外へ留学したり、コンテストに入賞したり、立派に成長している知らせが、うとましいと思う時もあった。

子供たちそれぞれの努力の成果と分かっていても、ぴぃの努力の成果は、次元が違うと胸にしまうしかなかった。

自分の気持ちに嘘をつき、自分は大丈夫だからと取り繕うこの関係に無意味さを感じていた。

だからと言って、この気持ちを全部伝えてしまえば、今までの関係は完全に終わる。

終わらせたいのか、終わらせたくないのか、ずっとこの間を行ったり来たりしていた。

それは、遠ざけようとする私を必死に繋ぎ止めようとしてくれる2人の姿があったから。

ぴぃは救えない、でも私のことを救いたい。少しでも楽しい時間が過ごせるようにと、定期的に旅行やお出かけを企画し、声をかけ続けてくれていた。

2人の優しさに甘える反面、「2人がいるから辛いんだ」という気持ちはずっと閉じ込めておかなきゃいけないと思っていた。


先日、子供たちをおいて、3人旅をしてきた。

一緒に行くべきか悩んだけど、どこかで覚悟を決めている自分がいた。

宿で夜ご飯を食べている時、あの日「甘え」と言った幼なじみが、あの言葉を放って以来、私との心の距離をずっと感じていると話し出した。

彼女の姉の子も中2で不登校になり、間近で苦しむ姉の姿を見て、私の気持ちに寄り添えなかったことを後悔しているようだった。

「正直、当事者にならないと一生分かり得ない経験だから、伝わらないのはしょうがない。でもこれは私自身の問題だから、そこまで思い悩まないで。」

私は持ってきたはずの覚悟がなかなか決まらず、なかなか本音を絞り出せない。

ダメだ、このままでは何も変わらない、心の中で何度も言い聞かせて、思い切って伝える。

ぴぃのことがあってから、子育てについて2人に共感できることが一つもないし、共感してもらえることもない。それがずっと苦しかった事。

2人の子供たちは大好きなのに、どうしてもぴぃと比べてしまう自分を消せなかった。どうにもならないから、聞かないように見ないように遠ざけるしかなかった事。

気にかけてくれることも、心配してくれることもうれしかったし、ありがたかったけど、2人と自分のいる場所が違いすぎて、本当は2人といるだけで苦しいことのほうが多かった事。

分かってほしい、味方でいてほしいって思うのは、ただの私の甘えだってのはわかってる。だから、2人の存在を諦めることでしか自分を守れない事。

もう、こんなめんどくさい自分はほっといてくれていい。

そんな思いで、全て、ぶちまけた。


これまで不思議に思っていたことがあった。

私は2人の子供たち以外の子とぴぃを比べ、悲観することはあまりなかった。

大人になってから出会った友達の子供や、唯一のママ友の話も、自分の問題を重ねたり、羨んだりしながら聞くこともなかったし、聞きたくないと思ったこともない。

ただ、幼なじみ2人にはずっとそれができなかった。

私自身の中にある問題が見えた。

それは、2人と自分を比べてきたこと、「2人のようにはなれない」そんなコンプレックスがあったことだったと気がついた。

大人になるにつれ、たくさんの出会いと経験の中に、自分のままでもいいと思えていたのに、ぴぃの不登校をきっかけに、その軸がぶれてしまった。

しっかり者の2人が育てたから、子供たちもしっかり成長してるんだ。

「人任せで甘えん坊な人間が育てた子だからこうなった。」

そう言われてもいないのに、あの一言で、昔からの私を知っている2人というだけで、勝手にそう思われていると思い込んでいたのだ。

私はずっと、2人に自分のことを認めてほしかったのだ。

2人とは違うけど、私なりにしっかり向き合って、お母さんがんばってるよ。

それを知ってほしかった。わかってほしかったのだ。

母への思いと同じ感覚・・・

2人にありったけの思いをぶちまけながら、頭の中と心の中がきれいに整っていくのを感じた。

2人は、私がそんなふうに思っていることは薄々気づいていて、自分達がどうあるべきかをずっと考えてるとのことだった。

私が放った言葉が確信に変わったけど、私への気持ちはこれからも変わらないと言ってくれた。

3人でたくさん話をして、それぞれが、それぞれに対して「2人にはなれない」と思っていると知る。

「誰にでも分け隔てなく接することができて、誰からも好かれるあなたにはなれない。」

「やりたいと思ったことをしっかり行動に起こして、実現させているあなたにはなれない。」

2人にそんなふうに言ってもらった時、本来の私の姿がスーッと見えてきた。

お母さんになって子供を通して関係性が少し変わった気がしていた。

でも、2人といる時に私がどんなお母さんをしてるかなんてどうでもよかった。

私は私でいればいいんだ。


関係性が変わる。

何が変わったかといえば、私の気持ちがただただスッキリしたことだった。

そしたらすごい解放されたような気分になった。

noteにありのままの日常を記録し、ありのままの自分をさらけ出す事で、自分を認め続けてきた。

ただ満足しているわけではなかった。

あの旅から帰ってきてから、これを開放感というのか、抜け殻に近い状態が今。

このことをなかったことにして、記録を続けられないなと思うほど、私には大きな出来事だった。

何事もなかったように2人とのやりとりは続いている。

ただ、私の心はスッキリと軽い。

ずっとウジウジしてきた自分、疲れたね、おつかれさま。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?