私と母に見る、娘と私の関係。母は成長し続ける。
昨日の深夜、母を夜間救急に連れていく。
血圧はめちゃくちゃ高いけど、心電図、血液検査共に異常なく、頓服をもらって血圧を下げる。
落ち着いてきた頃に自宅へ帰り、母は寝室で、私はリビングのソファで寝る。
眠いのになかなか寝付けず、朝方ようやく眠れた。
母には私のことは気にせず、目が覚めてからもゆっくり過ごしてねと言ってあった。
が、世話好きの母は、私のために朝ごはんをしっかり用意しておいてくれた。
多分これ、私がお母さんにやってあげなきゃいけないやつだったかもなって思いながら、ありがたくいただいた。
母と2人だけの時間はすごく久しぶり。
いつもぴぃが一緒だから、本当に話したいこと、聞いてほしいこと、なかなか話せないでいた。
それ以上に、泣き言や不安を言うと、聞くにとどまらず必死になって何かを伝えようとする母と、いつも衝突してしまうから、話すことも減っていた。
でもちょっと前の私、すごくすごく泣きたい日を抑えたままになってたから、母と少し2人で話しただけで、意図せず涙が溢れてしまった。
「辛い涙でも悲しい涙でもない。なんだか泣きたい時がたまにあって、それを我慢してたから、今日は泣かせて欲しい。ただのデトックスだから、心配しないで。」
と言って、ぴぃのこの夏の成長記録をたくさん聞いてもらう。
すごいでしょ、すごいでしょ、とどこにもできないぴぃの自慢話を話してるのに、涙が止まらない。
たくさんのことを話していくうちに、涙の理由は、旧友との会話で感じた寂しさからだったと改めて感じ、それについても聞いてもらった。
泣き言のつもりはなかったけど、寂しかったんだって気持ちをただ聞いて欲しかった。
そうとなると、結局母は、口を挟まずにいられなくなってしまう。
その手の会話になると、決まって母は友達の気持ちを汲み取って私に伝えてくる。
そして、もっとあなたがこうすればいい、これからはこうしたらと、助言が始まる。
そうじゃないんだよなって思いながら、私もぴぃにそうしてきたなって思い、親子ってつくづく親子だなって感じた。
話がその流れになると、もう気持ちのシャッターが途端に降りてしまう私。
母はハッと我に返り、「母親の性なのよ、ごめんね。」と謝ってくる。
「大丈夫、私にも痛いほどわかる。でも、私はぴぃの1番の味方だよってわかってもらうために、共感できなくても、ぴぃの気持ちに寄り添うようにしてきたんだ。できればお母さんにも、そうして欲しいって思ってる。ただ聞いてほしい。」
四十過ぎたと言うのに、分かりやすく甘え、わがままを言ってみた。
悲しそうに微笑む母を見て、私も我に返った。
あ、そういえば、つい数時間前まで血圧が爆上がりしてた人だった。
私の涙やわがままを上乗せしてる場合じゃなかったと反省。
それでも、前に比べれば、だいぶ聴いてくれるようになった母。
それだけでも感謝しなくちゃ。
あなたの幸せを思ってるって言う気持ちだけはちゃんと伝わるから。
実家から帰ってしばらくして母から電話があった。
母「まだまだ穴ぼこだらけの母親でちゃんと聞いてあげれなくてごめんね。まだお母さん70代だから、これからもっと鍛錬します。」
私「いや、まだ70って・・・」
母「おばあちゃんは100歳だから、70なんてまだまだなのよ。まだ苦労できる。」
私「それを言ったら私なんてもっと豆粒じゃん。成長したい放題だね。私もごめんね、しっかり成長します。」
これはいつもと違う流れ。
ぴぃの成長がそうであるように、私の成長も母のためになるんだな。
私も、母にあなたなら大丈夫って思ってもらいたい。
安心をあげたい。
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