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晴れ時々曇り日記

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日々の自分、日々の気づき、不登校な娘の記録。 いいことわるいこと、晴れたり曇ったりの日々の暮らしを記録していきます。
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2023.9.1 またまた、はじめよう私

「2021.9.1 また、はじめよう私」から2年。 4年生で不登校になった娘は、現在中学2年生。 これまで春の進級のタイミングで何度も立て直しをはかるも、夏休みを待たずに力尽き、長いエネチャーモードに入っていた娘。 今年は、春から飛ばししすぎることなく、自分のペースと、心と体のバランスを取ることを覚え、マイペース登校を継続したまま夏休みを迎えました。 今年の夏休みは、学校の係活動に専念するため何度か登校したり、1人で外出してみたり、友達と遊びに行ったりと躍動していまし

noteとの向き合い方を考える。

久しぶりの記録。 なぜか怖いくらいnoteと向き合うことができなくなっていた。 あれほどブレブレな私を、あれほど整わせてくれていたnote。 今なぜ、このモードに入っているのか、自分でもよくわかっていない。 ただ言えるのは、「日々をあまり振り返らなくなった」ということ。 ぴぃのこと、自分のこと、日々を記録することで、自分達のことを認められるようになったし、どこかで誰かにこんなケースもあると知ってもらえる。 ただその一方で、変化や進化がその都度ないといけないような、

記録が漫画化!?ハムスターのお母さんだった娘のお話。

ちょうど去年の今頃、自分軸を作るための勉強会の中で、我が家のエピソードを文章におこす機会をいただいた。 あくまで、その勉強会でのテーマに基づいて作成したものであったが、これも一つの記録として思い切ってnoteに投稿した。 どこかで誰かに届けばいいな、こんなケースもあると知ってもらいたいな、そんな思いだった。 私はぴぃに起こった異変、またそれが強迫性障害という病気だと知った時、まず何をどうしたらいいのか分からなかった。 今までしてきてことが何も通用しなくなって、毎日のひ

親子であっても気持ちを一つにするのは難しい。

最近のぴぃは学校をお休みすると、私の実家へ行きたがる。 私の母が1人で暮らす家には、孫達が描いた絵が階段の壁に時系列で貼られ、作品展のようになっている。 私の兄2人にもそれぞれ娘が1人ずついて、みんな絵を描くのが好きで、母は孫達の絵を大事にしてくれている。 ぴぃはそこに飾られる自分の絵を見たいし、増やしたいし、いとこ達の絵の上達も楽しみにしている。 実家に来ると、家にいる時と変わらず絵を描き続けるぴぃ。 かろうじて中学校には行けてる分、学校の話も母にたくさんするぴぃ

娘にとって親以外の第三者の存在の大切さ。

ぴぃは少し前に、理科の授業で久しぶりに強い強迫症状に襲われた。 生花の解剖中に触れたくない部分に触れ、菌まみれになったと手洗いが止まらなくなってしまった。 その時は理解ある先生の対応でなんとか落ち着きを取り戻した。 そしてその後、担任と生徒指導の先生との話し合いで、生花を取り扱う授業が続く間は、相談室という小部屋で1人で自習をすることになった。 ぴぃはその小部屋を「ぴぃだけの秘密基地」と言っていた。 時々自習、ほとんどの時間を絵を描いて過ごしていたらしい。 それが

強迫症の再燃!?と共に見つけて得た安心。

最近症状が寛解していることで忘れがちなぴぃの病気。 強迫性障害 ぴぃの場合は主に「不潔恐怖」が強く、汚れ、シミ、キズなどを見つけると、それが菌であり、触れるとすぐさま死に至るというところまで囚われる。 その「強迫観念」を、我が家では『ミッケ』と呼んでいる。 不潔恐怖によるミッケが現れると、たちまち脳内がパニックになり、手洗いが止まらなくなったりという「強迫行為」に及ぶ。 ぴぃの場合、発症から3年間、寛解と再燃を繰り返し見えてきたのは、「不安」「ストレス」「疲れ」「緊

クラスメートからのメッセージに娘の姿を見る。

おもしろい話をありがとう。また聞かせてね。 おもしろいことを言ってくれて授業が楽しいです。学校に来てくれてうれしい。 楽しかったね、これからも大変になっていくと思うけど頑張って乗り越えよう。 ぴぃさんが来ることで、また違った特徴がクラスに出ていました。 短い間だったけど一緒にできた委員会は楽しかった。 あまりしゃべったことないけど、しゃべってみたらとてもおもしろくて笑ってしまいます。 学校生活を頑張っていて素晴らしい。 同じクラスで過ごした思い出忘れません。

2021年ありがとう!そう思える大晦日であったことがうれしい。

今日で2021年が終わる。 2月に殴り書きの日記から、noteへの記録に切り替えた。 毎日を記録することで、辿ってきた道が分かるし、辿ってきた道が分かると、行き先はわからなくても、これからの道標になった。 自分を反省したり、褒めたりを繰り返してると、自分がどういう人間かも見えてくる。 1日のうれしかったこと、楽しかったこと、感動したことにはしっかりフォーカスしたことで、小さな幸せを見つけて噛み締めるクセもついた。 あんなにぴぃと自分のことに必死で何も見えなくなってし

卒業文集に込めた不登校娘の思い。

ぴぃは土曜、1人の力だけで文集を書いた。 先生には「お母さんに助けてもらいながら頑張って書いてみて」と言われていたが、1人で書き上げた。 私はきっと、変に口出しして、ぴぃが伝えたい内容とは別物にしてしまうだろうから、なるべくノータッチでいたかった。 いつものようにYouTubeを見ながら、書き上げるまでに2時間ぐらいかかっただろうか、「できた!」と言って見せてくれた、およそ400字ぐらいの下書き用紙には、びっしりと文字が詰まっていた。 パッと見た感じ、ひらがなばかりが

しっかり日常から離れてみると、ちゃんと日常に帰れる。

パパには月一で飲み会をする幼なじみの仲間がいる。 その嫁たちとは地元の小中学校が同じだったりして、家族ぐるみで会う時は気心知れてるからとても心地よい。 毎回パパ会の招集をしている会長の粋な計らいで、今回はその嫁たちだけで、一泊二日の旅行に出た。 私以外は、子供を置いて実家以外の所に外泊をすることが初めての嫁ばかり。 そんな私も、2年前にいったんぴぃから離れた方がいいと、幼なじみに連れ出してもらった旅行が初めてだった。 私はその旅行で、大きな転機を迎えた。 不安が強

いよいよ明日本番!でも本番はオプションです。

今日は、明日に控えたスポフェスの最終練習が6時間目にある。 11時ごろ起きてきたぴぃ。 「6時間目に行くから。」と言い、朝をゆっくりやり過ごす。 「遅くても13時半には出るよ」と言っておく。 すると、13時少し前に「もう行く」と言って着替え始める。 家を出る、学校へ行く、お友達に託す。 いつの間にか、このパターンがお決まりになって、ぴぃのお友達とおしゃべりしたり、ハイタッチしたりして触れ合うことが私も楽しくなっている。 ぴぃより先に私の姿を見つけ、跳ねるように寄

学校なんて、と思いたいけど、そうじゃないのよね。

昨夜久しぶりにぴぃが「明日は学校に行きたいから、引きずり起こしてくれ。」と言ってきた。 入賞した自分の塗り絵が図工準備室に飾られてるのを見に行きたいらしい。 とりあえず朝から行きたいと言っていたので、そのつもりで今朝7時に起こしに行った。 声をかけてもすぐに起きてくる気配はない。 これは朝からは無理だなと思うが、一応「引きずり起こしますかー?」と聞いてみた。 ぴぃ「起きれない、無理」 私「了解」 通常日課になってからの6時間授業は今のぴぃにとっては過酷だもんな。

パパとうまくバランスをとるために、感謝の気持ちを分かりやすく伝えておきましょう。

金曜土曜は飲み会だったパパ。 自粛中につきおあづけになっていた別々の飲み会がたまたま続いた。 私は日曜に友達と朝から古着屋巡りの予定があり、久しぶりのオフということで、とても楽しみにしていた。 だから、二夜連続のパパの飲み会は、むしろどうぞどうぞだった。 ぴぃのミッケの症状が安定しない時は、1人でぴぃのパニックを受け止める自信がないのと、パパがいてくれることで私の心が安定するのとで、大好きな飲み会を我慢してくれていたパパ。 そうこうしてたら、コロナが始まって、必然的

唯一登校刺激を許された存在。

久しぶりにぴぃのお友達が遊びにきた。 面倒見のいいDちゃん。部屋に入ってくるなり、 「ぴぃちゃん、学校来ない?来る??明日来る??」 と、笑えるほどダイレクトな登校刺激。 ぴぃは、「わかんない。」を繰り返す。 なんでも、席替えがあるらしく、今の席ではぴぃのお世話をたくさんできたけど、席が変わったらできなくなっちゃうってことを伝えたかったらしい。 Dちゃんが来てすぐに、学校の先生から連絡があった。 集金についての話と、「Dちゃんが今日行ってると思います。」と言って